仁科とか高梨だとかは取り上げる必要もないということでいいんかいね。
>>4
革新で、武力10の家宝取り上げるために雇ってたなあ…… 前スレではどうやったら統一できたのか、みたいな話になってたな
何匹とか ざざむしの炊き込みご飯みたいに言うなよ!
蟲って食うとぐにゃっとしてそうでやだな。あげればうまそうだが
897 :人間七七四年:2012/06/25(月) 20:18:35.76 ID:idaFkuId
北信
現在の長野県北部、長野市周辺
水内郡・高井郡・更級郡・埴科郡の川中島4郡、中心地は善光寺平
戦国時代は北部を高梨氏、南部に村上氏らが割拠
中信
現在の長野県中部、松本市周辺から大町市周辺
筑摩・安曇郡。信濃の国府。
戦国時代は守護大名小笠原氏の支配圏
南信
現代の諏訪・上伊那・飯伊地方。諏訪湖周辺から天竜川水域。
諏訪郡。伊那郡
諏訪郡は古代では諏訪国として独立していた時期もあり、狭義では含まないことも有る
戦国時代は、諏訪郡は古くから諏訪氏支配。
伊那郡は高遠諏訪氏、知久氏、松尾小笠原氏らが割拠
東信
現代の上田市、佐久市周辺
小県郡、佐久郡
戦国時代は、海野氏、望月氏、禰津氏の滋野三家の支配圏
後に村上氏の影響下になり、さら後には真田氏らが台頭
木曽
木曽谷一帯。現在は中信に分類される。
木曽郡。
戦国時代は木曽氏支配
木曽地域は飛騨と信濃両国にまたがっており、信濃一円の祭事である御柱祭にも参加しておらず
長い間信濃とは認識されていなかった。(飛騨というわけでもなかった。)
完全に信濃と認識されるようになったのは、実は武田家によって支配されてから。
信濃を統一した勢力に最後に食われるか美濃方面から攻略されちゃう?
攻めてきたら一旦みんな周りの山に避難する。
帰ったらまた木こり→木曽川で輸出。
それが山の民・川沿いの民ですよ。
耕地を持たないから基本がゲリラ。
木曽じゃ攻め獲る価値が殆どない
美濃へのルート確保だけの土地
支配認めて相互交通の取り決めだけでいい
木曽って、古代では、美濃だったんだよね・・・
裏切ってもしょうがないよ。
武田家滅亡のきっかけは、必然。
越後とかグンマーから進攻考えると上田とか松代に敵勢力がいるとめんどいな
木曽が信濃を統一するで決着ついたのか
これからは信濃民は木曽を崇めるがよいぞ
土地の大きさより地形よ。
信濃も飛騨も山が多くて、守りやすく攻めにくい場所ばかり。
すでに高梨に合計で負けてるのね
高梨政頼 統率70 武勇57 智謀50 政治40 合計217 斉射之二 槍C 馬D 弓A 銃D 砲B
小笠原長時 統率76 武勇79 智謀11 政治43 合計209 斉射之極 槍C 馬A 弓A 銃D 砲D
秀政影武者説っていうのは年齢が離れてる割に有名だが根拠はあるのかね?
小笠原は戦闘に特化してくれてるから使いやすいけど諏訪と木曾は半端
決戦3が発表されたときはwktkしたもんだが
まったく出てこなかったがっかり感といったら
木曾家は特に信濃内で大きな争いとかこの時代してないよね
小笠原と諏訪、村上と小笠原あたりはどんぱちやってるが
元々は木曽は飛騨と戦ってた。
内政策とってたら武田に攻めこまれて併呑されて
信濃国人に組み込まれてから信濃に関わるようになったけど
木曾は美濃にあっても飛騨にあっても信濃にあっても
なんか違和感あるよね
木曽義昌は徳川も織田も撃退しているのに
村上に二度も撃退された武田に屈服している
中央線で木曽訪れてみろよ
まさに攻めがたく守りに易い天險の地だぞ
ちなみに中央道はあまりの険しさに木曽を綺麗に避けてる
元は水路の終点。山道より川沿いが道だった。ダム化で道を作らなければならなくなっただけ。
邪魔な重臣がいる→村上に攻める→その重臣を討ち取ってもらう→信玄の権力アップ
→まだ邪魔な重臣がいる→村上に攻める→
そりゃ真田パパンの師匠だぞ。黒くないわけがないだろうJK
惜しかったんだよきっと
惨敗とかじゃなくて紙一重で負けたんだと思いたいね
信虎が攻め込む前の佐久って大井氏の支配領域?
それとも乱立状態で特定の大勢力は存在しなかったのかな?
川越夜戦のイラストがあるから
シナリオ的に四大将も出番ありそうだな
一番古いシナリオの開始が1551年なら諏訪の出番は・・・
革新よりおもろいなら、買うけどなぁ……
とりあえず、評判待ちだわ。
避難所にプロデューサーが降臨してるしなかなか期待できそうだよ
現在リチャード・コシミズ氏をはじめ多くの人が、不正選挙の裁判をおこしていますが、
これが不正選挙を行なった人々を怯えさせ悩ましているようです。
不正選挙はなかった事にされるというのが、これまでの彼らのやり方のようです。
ところが今回の不正選挙の裁判はリチャード・コシミズ氏が相手なので、
どうもこれまでのようにはうまく行かないようです。氏は大変頭の良い人なので、
裁判長であった斉藤隆氏に女装癖があり、その筋では"ビクトリア"あるいは"ヴィッキー"と
呼ばれていることをつきとめ、ブログ上で暴露してしまいました。
くわしくはリチャード・コシミズ氏のブログでご覧下さい。大変盛り上がっています。
村上義清が何でイマイチ人気出ないのか分からん
武田信玄二度も破った猛将だぞ
村上義清 統率83 武勇85 知略65 政治53 咆哮 相変わらず優遇
小笠原長時 統率71 武勇74 知略22 政治45 狙い撃ち なぜか村上所属
諏訪頼忠 統率38 武勇46 知略45 政治61 逆撫で 並み
木曽義康 統率53 武勇62 知略60 政治64 用心 支城勢力として存在
信濃国人の影が薄いからゲームのイメージしか出てこないんだろwそんなのもわからないバカw
悔しかったら村上や小笠原を全国区の知名度に押し上げて見ろよ三下風情が
小笠原は礼法と家宝が本体で有名だけど村上はなんかある?
>>91
村上義光の活躍とか村上水軍と同族とか
信州総大将の肩書は・・・有名じゃないな・・・ 村上氏といえば大塔合戦
ついでに諏訪氏といえば中先代の乱
>>91
小笠原の弓術は見事に形骸化したもんなぁ。
今じゃ本田流やってる奴が小笠原流をかたってるし 小笠原─村上
\ │
諏訪─海野
/\ /
高遠 武田
仁科─高梨
│ │
小笠原─村上
\ │
諏訪─海野
/\ /
高遠 武田
信玄は駿河が欲しかったんだよね
駿河を得るために信濃を攻めたと・・・
ずいぶんと遠回りしたよね
そりゃ当時最盛期迎えてた今川義元とやりあうなんて無謀だからなw
強いとこを避けて弱いとこを攻める、兵法の理にかなってるよ
>>102
滅亡一歩手前から息を吹き返しただけじゃん
あれに手が出せない程度の人間だから上洛出来なかったんじゃねw
そもそも、今川義元だって尾張を抜けなかったんだから >>101
海野ではなく大井じゃないかね
あと武田が内紛してた頃は小笠原諏訪あたりが甲斐に攻め込んだりしてたからまず信濃に行ったのはその復讐もあったんじゃないかな 親父を預かってもらってる今川を攻めるわけねーじゃん
氏真のようにどうしょうもないアホ大将でもないかぎり友好国今川にホイホイ手を出すわけない
仁科 高梨
│ │
小笠原─村上
\ │
木曽─諏訪─海野
/ \ /
高遠 武田
>>104
大井と海野は被ってるんだよね〜
大井は村上でいいでしょ
>>105
織田信長なら真っ先に、或いは諏訪を抑えた後に駿河を獲りにいくと思うよ 駿河に幼君でも立ってたらだな
取る気があるなら今川の味方せずに北条といっしょに攻め込んでただろ
天下を獲りに行くのなら危険でも早々に駿河を獲る必要がある
身の保全を優先するなら安全牌で弱いところから獲っていく
何を目標とするかだよね
信玄が継いだ段階1541年じゃ諏訪とは同盟中で、佐久は上杉の影響下とはいえ小勢力乱立状態
南下するとしても一応後方は安全か?
今川の状況は北条と激戦中、
三河は織田の侵入と内乱状態、広忠は1540年にようやく岡崎に帰還して信定も降伏したばかり。
史実かどうか微妙だが1542年第一次小豆坂の戦いで今川は大敗。
信虎時代に今川と敵対していた頃は何度か駿河の奥深くまで攻め込めているから、
仮に北条と折り合いがつくのであれば決して不可能というわけではない。
ちょっと修正
仁科 高梨
│ │
小笠原─村上
\ │
木曽─諏訪 海野
/ \ /
高遠 武田
親父の隠居先でありかつ妻の実家(いちおう仲人w)でもある
家督相続まもない若い当主が攻めるのに今川よりは諏訪のほうが隙があったんだろう
信長ならどうこう言ってるアホがいるがあいつならそもそも家督も継げず親父に廃嫡されて駿河に幽閉されてる罠
北は上杉南は今川西はまむしさん、行けるのは上野ぐらい?飛騨から越中抜けてもいいけどいずれにしろ軍神とやりあうことになるな。
>>113
信長コンプレックス乙w
結果、後世の歴ヲタと一部甲府市民にのみにだけ尊敬される武田信玄w 信玄の天下取りへの機会が無かったわけではない
最大のチャンスは今川義元が桶狭間で討ち死にしたとき
義元の弔い合戦で徳川を潰せばよかったんだよ
山の中
┏━━━━━━━━━┓
┃ 仁科 高梨 ┃
┃ │ │ ┃
┃ 小笠原─村上 ┃
┃ \ │ ┃
濃尾平野 ┃木曽─諏訪 海野 ┃ 関東平野
┃ / \ / ┃
┃ 高遠 武田 ┃
┗━━━━━━━━━┛
信玄は山から出ないと話しにならんのよ
結局はさ〜お山の大将で終ってしまったんだよね
僕は当時の状況が分かってませんって言いたいだけなのか
だからどうしたとしか・・・
信玄は駿河が欲しくて欲しくて堪らんかったのさ
その駿河が目の前にあるのに北へ進んだ信玄の悲哀を語ってるのさ
織田はよほど武田に攻めこまれたことが悔しかったようだな
信玄公が健在の頃はなにもできず土下座してた信長の悲哀を感じるわ
桶狭間直後に信玄が三河・尾張を狙ったら織田は終ってたからね
そのチャンスを信玄は逃した
駿河を渇望する心が信玄の目を曇らせたんだな
それ見たら
昔あった上洛スレのテンプレには信濃の石高を
天保郷帳から郡別石高調べて、
それを太閤検地での信濃の石高と天保郷帳での信濃の石高の比率で変換して、
太閤検地時での信濃の郡別石高の概算とかがあったの思い出した。
>>125
諏訪は石高はあんまりだけど大社あったし人口は多かったんだろうか 人口は別に多くないよ
大社があったのと武士団が精強だから影響力はあったけど。
あとは交易の中心で諏訪商人の存在とか
>124,いきなり三河狙ったら連絡線が長すぎる。駿河ならその日のうちに進軍できる距離だから駿河食ってからタヌキ狩に行くよ
そんなポンポン簡単に国が取れるわけないだろう
どんだけゲーム脳なんだろ
>>130
長くなるから獲りにいく価値がある
本拠地を三河に移すためにね
桶狭間の結果、信玄は今川を裏切るという選択をした
逆に裏切らない選択をもできたはず
距離の話というより三国同盟存続か否かの話だね >>131
信玄の桶狭間当時の選択種
@北、上杉を攻める
A東、上野を攻める
B南、三国同盟破棄。今川・北条を攻める
C西、本拠地が甲斐では遠すぎる。西に新たな拠点を作る必要がある
どれを選択しても楽ではない 仁科 高梨
│ │
小笠原─村上
\ │
木曽─諏訪 海野
/ \ / \
高遠 武田 真田
>>132
平安から続く名族が本拠地移すわけないだろ
本拠地を変えるのは歴史の浅い大名ばっか >133、やるなら爺が死んだ上野か蹴鞠になってタヌキとか自立でゴタゴタの駿河だな。というか4以外全部やってるがなw
>>135
こういうのを改造して語ろうぞ
昔の歴ゲー版のスレにあったAA
458 :名無し曰く、:2011/11/27(日) 01:58:49.64 ID:rFFGXoey
前回言った手前、信濃国と甲相駿も描いてみた
━┳━━━━━━
┃ 越後国
┣━━━━━━┯━━━━━━┳━━
越┃山岳山岳山岳 |山岳山岳 ┃山
中┃岳 1 | 2 ┏┛岳
国┠──────┼─┬───┨
━┫飛 3 | 4 | ┃
┠──────┼─┘ 5 ┗━┓
飛┃騨 6 | ┃
騨┠────┬─┼────┬──┨上野国
国┃山 | 湖 | 8 | 9 ┣━━━━
━┫脈 7 ├─┘ | ┃武蔵国
美┃ 木├────┳━┿┯━┻┯━┓山
濃┃ 曽 | 10 山┃21 | | 23 | ┃岳
国┃ 山 | 岳┠─┘ | | 25┃山
┃ 脈 └────┨ ├──┤ ┃岳
┃山 11 山岳山岳┃ 22 | 24 | ┣━━━━┯┓
━┫岳 山岳┏━━┫ | | ┃ 41 | ┃
┗┓ 山岳┃赤石┃ ┏┷━━┷┳┻┬─┬─┘ ┗━┓
長 ┣━━━━━┫山脈┗━┫富士山 ┃42 | | 44 ┣━━┓
篠 ┃ ┃ 31 ┗━┯━━╂─┘43 | ┃江 ┃
──┨ 遠江国 ┃ ┌─┐ | 35 ┃ ┏┷━━━┓ ┃戸 ┃
三 ┠─────┨┌─┤34┣━┷━━╋━━┫ 相 ┠─┨湾 ┃
河 ┃ ┃ | 33┣━┛ 駿 ┃ ┃ 模 ┃45┃ ┃ ┃
国 ┠─┬─┬─╂┴─┨ 河 ┃ ┃ 湾 ┗━┛ ┣━━┳┛
┃ | | ┃ 32 ┃ 湾 ┃ 51 ┃ ┏━┓ ┃ 53 ┃
┃ | | ┣━━┛ ┃ ┃ ┃52┃ ┗━━┛
━━┻━┷━┷━┛ 海 ┗━━┛ ┗━┛
信濃国 11支配単位 48万石
*1…戸隠 2万石 忍者衆
*2…水内 4万石 飯山城 高梨氏、長尾家
*3…埴科 6万石 海津城 村上氏
*4…善光寺 2万石 旧仏教
*5…小県 6万石 戸石城 村上氏→真田氏、海野氏?
*6…安曇 8万石 深志城 小笠原氏
*7…筑摩 2万石 福島城 木曽氏 特産品:金山、木材
*8…諏訪 4万石 上原城 諏訪氏 特産品:金山
*9…佐久 6万石 小諸城 大井氏 特産品:金山
10…伊那 4万石 高遠氏
11…飯伊 4万石 飯田城 秋山信友 >>138続き
459 :名無し曰く、:2011/11/27(日) 02:04:05.01 ID:rFFGXoey
甲斐国 5支配単位 24万石
21…透破 2万石 忍者衆
22…巨摩 4万石 甘利氏? 特産品:金山
23…山梨 8万石 躑躅ヶ崎館 特産品:金山
24…八代 4万石 穴山氏? 特産品:金山
25…都留 6万石 小山田氏? 特産品:金山
駿河 5支配単位 20万石
31…駿府 8万石 特産品:金山
32…焼津 4万石
33…清水 2万石 水軍衆
34…駿府町 2万石 町衆
35…沼津 4万石 興国寺城
相模 5支配単位 20万石
41…相模原 4万石 津久井城
42…風魔 2万石 忍者衆
43…小田原 8万石
44…玉縄 4万石 三浦氏→北条綱成
45…三浦 2万石 三浦氏 水軍衆
その他
51…伊豆 6万石 北条氏
52…伊豆大島 2万石 北条氏?
53…安房 4万石 里見氏
蒼天禄みたいに三浦とか水軍衆が独立していると言うより
九鬼や村上のように水軍衆も大名として扱った方が
三浦氏が北条に攻められて三浦半島で滅亡とかが表現しやすいかな
蒼天だと玉縄で滅亡しちゃうし
秋山信友以前の飯伊郡の勢力がよく分からない…orz
知行制とかは置いても
現状の革新一枚マップ且つ将星禄風の箱庭でもこの位の土豪国人衆は十分描けるような
あと木曽って信濃の南端じゃなかったのか… >>136
どこの家のこと
甲斐源氏武田の正統は安芸で滅んでるけど?
大内、島津は坂東武士だし
確かに今川は新興だから三河から移ったって言えなくも無いけど >>142
武田氏の正統は若狭だぞ
そして甲斐武田氏が正統だろうとそうでなかろうと平安時代から続く名族であることに変わりはないぞ その点信濃で本当に由緒あるのは諏訪・仁科ぐらいだな
小笠原は源氏騙ってるけど系図怪しいし、木曾や村上に至っては完全に自称w真田とか完全に論外wwwwww
甲斐源氏は、戦国時代もいいけど、源平合戦のあたりがかなりおもろい。
信濃も木曾義仲で激アツ。
>>144
小笠原は元々武田分家だから源氏は源氏だろ
木曾はどう考えても嘘くさいが 加賀美氏の分家やね。どっちにしても立派な源氏やけど
村上は村上水軍と祖が同じらしいな
最近なんかの新聞だかで読んだ気がする
>>148
もともと信濃は甲斐源氏のものだったってことだなw 甲斐源氏は守護では一大勢力だからな
もっとも守護領なんて一部だが
はっきり言って長時より長棟のほうが圧倒的に有能だし、
諏訪氏を拡大させた頼満と比べて頼重て何もしてなくね?
有能って評価は与え難い
>>152
小笠原長棟>>>>>小笠原長時
諏訪頼満>>>>>>>>>>>>>諏訪頼重
木曾義在>>>木曾義康
村上義清は頑張ったほうかも
こう考えると四大将の実績ってほとんどないよなw そもそも四大将ってなんだよ
誰が言ってんだそんなこと
>>125-126
郡別石高ならこっちに詳しく載っている
1650年頃以降だけど
https://ja.wikipedia.org/wiki/%E6%97%A7%E5%9B%BD%E9%83%A1%E5%88%A5%E7%9F%B3%E9%AB%98%E3%81%AE%E5%A4%89%E9%81%B7
正保郷帳高
544,770.338 信濃国
*61,634.299 佐久郡
*28,500.000 諏訪郡
100,253.277 伊那郡
*47,982.878 筑摩郡
**1,682.505 木曽
*64,959.722 小県郡
*20,298.822 埴科郡
*45,598.388 更科郡
*32,221.838 安曇郡
*76,110.876 水内郡
*65,527.733 高井郡
慶長3年が40万8358石
江戸初期の慶長郷帳高が54万7360石
てか「木曽」って何? 上にもある通り木曽って他の信州の郡と違って結構複雑な経緯をたどってるのよね
今の大河の合戦シーンは八ヶ岳山麓でロケやったらしいけど
思いっきり編笠山とか映ってるのはどうにかならなかったんだろうか
姫路にあんな山ないでしょう
信長の野望創造PKの信長誕生シナリオで四人揃い踏み!
四家ともプレイ可!
革新みたいなタイプで、また新作ほしいなぁ。
革新の常に時間進む形で、オンライン対戦とかやりたい。
深志城の頃は、北信一の城でもなかったからだろ。
今でこそ、松本城が有名だけど。
そもそも北信じゃないよね
今までは南信濃扱いだったし
高遠城が南信濃本城だから
武田優遇のあおりかと
なんでそれで武田優遇?深志城も武田が築いた:重要な城じゃね
>>175
今までが南信扱いだったって……近年作は、北信扱いじゃね? つーか、北信なのが納得いかないの? 本城でないのが納得いかないの?
深志城が、北南だけで分かれるなら北信で、地域の本城でない扱いなんて当然なのに、
武田優遇だ、武田に兵力だの、単なる武田アンチにしか読めないんだけども。
高遠城が南信濃本城でも違和感を感じない奇特な方なんですね
何を言いたいかはっきり言わないと横から見ててもわかんないけど
高遠城は代々一族を配置してる重要拠点だろ
諏訪では甲斐に近すぎるし、知名度的も含めたら違和感ない
俺も違和感
あの時代なら上原か林あたりじゃないかな
どの時代の話だよ。深志城の頃は上原も林もほぼ廃城だろ
武田侵攻前だったら、高遠が本城なのは武田優遇ってのが意味不明だから
結局意味分からんかったな。何が言いたかったんだろう?
天道だとこんなのがあったから
これと似たようなことかな?
S1高遠城ってなんですか???
武田氏を2国にするために小笠原氏を削除した結果です。
お察し下さい。
S1長尾の城って初期兵数が少なくない???
66城の全国平均は8500。
最多は躑躅ヶ崎館11300、最少は姫路城5480です。
複数城を持つ大名家の平均は武田10425、長尾6910となっており、
3国持ちの細川と大内は少なめに調整されております。
なぜ長尾が極端に少なめで武田が極端に多めなのかはお察し下さい。
小笠原氏がいたところで林城が本城であって、深志城が本城は武田時代よりあり得ないんだよなぁ
天道のS1って、1546年1月開始でいいのかな?
武田はとっくに甲斐は統一され、諏訪掌握からも数年経過
長尾はまだ謙信が当主ですらない内乱の真っ最中で、越後統一は5年以上先って時期じゃない
>>189
創造の方の読んで、ようやく謎が解けた気がした 優遇でもなんでもない。お察し下さいとか書いてるの鵜呑みにしただけっぽい
主張に納得できたのではなく思考に至った理由は察せたのだろう。
お察し下さいw
>>192
創造wiki見れば一発だったね。説明能力ないのか 高遠城がこの流れの遠因というか何というかよくわからん
・ゲーム内に深志城はあるが林城はない。小笠原が本城を持つなら深志城。
・高遠と深志のどちらが南信濃本城に相応しいのかでなく、小笠原が大名かが主題だった。
が、肝だったのかな? wikiはそれ前提だろうね。
S1のときは南信濃の大部分は武田領地だから武田の領地にしたいし
甲斐一国だとゲーム上まったく勢力が伸びず武田がいつまでも弱小で戦国っぽくない
でも深志城(林城)を出すと国府なので本城にしなければならず小笠原が南信濃の主になってしまう
なので天道では深志城(林城)はオミット、創造では北信濃に追放
S1でなぜ本城が上原城じゃないのか、なぜ林城じゃなくて深志城が出てくるかは
ノブヤボは1560年シナリオを基準に作るので変えてないだけ、いわゆるサボり。こんなとことか
pkの話じゃないの?
pkだと諏訪家も高遠家もあるよ
信濃スレだし多少の武田憎しはアリなんだろうけど、話の流れ読んでない書き込み大杉
ゲームじゃ優遇されすぎてるけどな。革新S1で改造して真田独立、家臣の半分他家に配分しても大勢力になるんだぜw
創造で国力がシビアになったら雑魚化したらしいじゃん
そろそろ、ゲームに偏った話は、スレ違いじゃなかろうか。
ゲームの話でもしなきゃどの道無人なのでまぁ良いのでは
武田後援下の御柱祭をめちゃくちゃにしてやろうと軍勢率いて攻め込んだら
氏子に反撃されて2箇所も傷を負って命からがら逃げ延びた小笠原長時の話でもするかえ
御柱は今も昔も地獄だぜ! フゥハハハーハァー
主役の一人の村上義清が今だ史料が少なすぎて武田からめないとネタにならないのが惜しいよな
1回御柱祭を妨害して武田の面子を潰したわけだがもう一回同じことをしたら住民がキレて撃退されたそうな
よほど腹に据えかねてたのか二カ所の手傷のことまで記載した文書を残してる諏訪民恐るべし
自分たちでボコっておいて、見ろ天罰が下った!は無いわーと思いました。
石川貞清のWikipediaに木曽の太閤蔵入地10万石の代官ってあるけど木曽ってそんなに石高あったっけ?
木曽の石高は1万石。木材収入を含めてもないだろう
数字が本当なら他地域も含んでると思われ
村上>小笠原>諏訪>木曽って感じじゃね。
村上は頭ひとつ抜けてて、小笠原と諏訪は戦力的に大差なさげ。
武田が諏訪抑えた後、北信濃の主は村上、南信濃の主は武田扱いなのは納得。
大井と海野を食ってる時点で村上が頭1つ抜けてそうだが
他国から山内上杉とか武田とか呼び込んできてるのでそれほどでもないのかな
海野領は諏訪武田村上連合軍で3等分だし、
関東上杉氏が侵攻してきて防衛した諏訪支配地以外はどうなったかもわからんし
大井領は支族が独立してて規模が小さかったし
北は善光寺勢力や越後と結ぶ高梨島津氏が割拠してたしで
そんなに勢力が大きかったかとは思えないなぁ
もっとも村上氏残存発給文書三通じゃ誰を支配してたかなんて全くわからんレベルだから何とも
小笠原も安曇の諸勢力や伊那の一族をどの程度加えるかどうかで結構変わるしな
村上さんが頭一つって表現定期的に出るね
村上ファンがいてよかったなぁ義清さん
>>227
ムック系やゲームだと村上は少なくとも北信東信まるまる
あるいは北信濃全部が領地になってる事が多いからそう思うのもしょうがない 四大将に木曽が入ってるが高梨や松尾小笠原や大井のほうが動員兵力多いんじゃなかろうか
どれも戦国前期に衰退したからダメか
木曽が家康の関東入りの際に下総で与えられた石高が一万石だから
仮に減封されていたとしても元の石高は二万石超えないぐらいなんじゃないかと
海野とかも追加されてて信濃は賑やかだな
高遠家が最大勢力なのはアレだけど
高梨はなんだかんだ戦国期乗り切ったから
立ち回りうまいんだろう
石高も最終的になかなかだしね
細切れになってるからアレだけど
諏訪に手を出すことは恐れ多しとして考える人達もいたってことはかなり権威があったんだろうけどそれを殺した武田はそこで詰んでたのかもね
創造やってると木曽を懐柔した理由が
よくわかる設定になってる
旨味は少ないけど攻めづらく守りやすい
小笠原長棟の松尾攻略が1533年
諏訪氏との和睦が1539年
長野の地理に詳しくないんだけど諏訪を通らなくても深志から松尾まで行けるの?
ちょっと言葉足らずだった
諏訪をってのは諏訪領をってことね
>>250
Googleマップによれば
「〒390-0815 長野県松本市深志」→「〒395-0042 長野県飯田市松尾町」は、
自動車: 中央自動車道 経由 1時間33分 103km
電車: 松本駅-(篠ノ井線)-(中央本線)-(飯田線)-飯田駅 3時間56分 1940円
徒歩: 国道153号線 松本市-塩尻市-辰野町-箕輪町-宮田村-駒ケ根市-飯島町-松川町-高持町-飯田市 17時間54分 87.7km
たぶん、自動車で行ったんじゃね?
諏訪さんにちょっと通りますよ、で通して貰えるのだろうか
合戦屋シリーズの小説だと
村上さんかなり活躍するね
小笠原もちょこっと
砥石崩れとかあと一息でいろいろできたようにも見えるんだけどなあ
イマイチ詰めが甘くて再起されたイメージ
信濃の代表というと
武田信玄もしくは真田信繁
次点で村上義清
このイメージは永遠に払拭されない
武田信玄ゆかりの地とか
武田信玄の妻 諏訪姫ゆかりの地とか
あるんだよね
つーても周りが有名武将の宝庫だから見劣りしちゃうの。グンマーは心の友だけど
信濃一国を代表できる人が欲しかったな
地域別有名人どまり
茶器がはやる頃には生え抜き大名軒並み潰れてるからな
ありがとう
信長よりもうちょい有能だと評価されてる作品あればなと思ったんだけど
天下統一くらいしかなかったので
戦国時代じゃないけど、源平合戦のゲームなら木曾義仲勢はそこそこ強そう。
信濃勢が信長より有能だと評価されてる作品なんて無いだろ
おぼろげな記憶ながら天下統一や天翔記のような成長値があるゲームは
年食ってるというだけでピチピチで初期値の信長より能力が高かったりした覚えがある
無論、評価というなら初期値同士で比較すべきものだが
戦国史?も見てみたけど
微妙だった
天翔記で育てて一時だけの優越感に浸ることにするよ
リメイクでるし
ありがとう
改易されたり
石川数正に秀政つれてかれて
豊臣に寝返ったら和睦されて戻ってきて
その後家康の養女を秀政の嫁に貰う
これだけでも凄い
確か秀吉の出自を貶した発言とかしてたらしいし
誇りも何もいらないなら生き残ったもの勝ちではあるな
それいいだしたら
豊臣見限った奴らみんなそうでしょ
村上義清のグラが新たに書き起こされる時代になったのか
驚いたわ
小笠原の新グラが書き下ろされた夢見たわ
起きた途端にんな訳ないと冷めた
>>284
小笠原貞慶がこんなに評価されてると何故か嬉しい自分が居る 流石に3大国の1国の主となった劉備と比べるのは違うだろ。
信長横死という空前絶後の混乱があったとはいえ
旧領復帰した小笠原諏訪の手腕はもっと評価されて良いよね
来年真田丸だが
諏訪氏木曽氏「上田合戦?信濃武士なら徳川別働隊くらい退けられて当然やろ」
やってくれたら評価する。つかお願いします。地味に頑張ってる信濃勢にも光を
諏訪氏、天正壬午の乱の時に高島城で酒井忠次ら徳川別働隊を退ける
木曽氏、長久手の戦いの時に妻籠城で菅沼定盈ら徳川別働隊を退ける
他にも第一次上田合戦で真田を助けた島津ら北信濃勢とかも取り上げてくれんかのう
小笠原氏には諏訪や木曽みたいなカッコイイ話無いのか
御柱に攻め込んだら氏子にボコられた話はやめて差し上げろ
小笠原さんも一度は武田に勝ってるぞ。小競り合いだが
甲斐の武田なんかにいいようにやられてるんだから信濃の連中はみんな情けない
>>308
良いようにやられた腰抜けなんて諏訪だけだろ?
娘取られて、娘の腹にいた子供を押し付けられた挙げ句
跡を継いだあとで連れていかれたんだし
小笠原と比べると武田がそこまで恐ろしかったんだろうかね 小笠原さんは戦国大名時代よりその後の臥薪嘗胆復活劇が本体
小笠原長時は流浪の末、家臣の妻にセクハラして殺される末路w
小笠原長時、御柱にボコられたりしながらも武田に抵抗するが信濃を追われる
(家臣評:強き大将だったけどアホだった。)
長時の後援者を求めた怒涛の流浪生活が始まる。武家故実を伝えて案外重宝されながら、
今川、北畠、三好、足利、上杉、織田の名だたる大名を渡り歩き最後は蘆名氏に行き着く。
その間貞慶はなぜか謙信、長慶、信長に気に入られ偏諱(貞虎→貞慶)を受けたり信長に付いて信濃復帰を果たす
会津の長時は信濃復帰に狂喜するも直後に家臣に殺され無念の死
貞慶、信濃復帰もつかの間信長横死でまた危機に
父や信長の死にもめげず徳川に付き混乱に乗じて悲願の本領回復する
念願を果たしたが情勢安定せず石川数正事件が起こり豊臣に鞍替えする。
家康は当然怒るが秀吉の仲裁によって秀政と家康孫娘が婚姻
すべてが順調に見えた直後に秀吉の勘気をこうむった尾藤知宣を匿って改易
しかし登久姫の縁で徳川に出も取り大名復帰。めまぐるしい人生を果たし貞慶死去
秀政と登久姫は仲睦まじくボコボコ子供を作る。登久姫死去
秀政は一度裏切ったのに厚遇してくれた家康のために妻のために死ぬ気で働くと誓うが
大坂の陣で本当に親子ともども死んじゃう
秀政と曾孫の奮闘討死に感動した家康秀忠はますます小笠原を厚遇し
細川氏の後を受け豊前小倉に加増転封。譜代に大封は与えない方針のため分割され本家は15万石にとどまったが
一族分藩合わせて合計32万石、九州探題格となり保科松平氏とならぶ信濃大名一の勝ち組になりましたとさ
ついでに長時が伝えた小笠原流礼法はのちに幕府公式になる
統率 武勇 知略 政治 義理 相性 格付 足軽 騎馬 弓 鉄砲 兵器
北信の雄 村上義清 82 92 71 51 49 25 ★2 C S D D B
信濃守護 小笠原長時 79 79 11 43 53 25 ★1 C A A D D
見事な切腹 諏訪頼重 (未登場)
巧みな鞍替 木曾義康 56 63 60 64 63 80 ★0 C B D D D
今日の真田丸は室賀や出浦など信濃の国人が取り上げられてたな
室賀も出浦もちょっと前の時代だと村上と縁が深かったらしいな
特に室賀が家紋が村上と同じ
(パトカーサービス不足)
ニューヨークネックス従業員英産プルトニウム任天チャイニーズオージービーフステーキ(キッペイ武田 真田丸に木曽義昌登場!
義昌は信玄公にビビッてしょんべん漏らしたて祖母ちゃんが言ってた
上田周辺は真田丸で賑わってるね
松本城あたりは外国人たくさんいた
武田信玄ゆかりのなんたらよりは
こういう盛り上がりは素直に喜べる
>>326
義昌「どっかの天下人みたいにウンコ漏らすよりマシ」 上でも言われてるけど小笠原貞慶・秀政親子て実は凄く有能だよな
運が良かった面を差し引いても近世大名小笠原家繁栄の元を築いた英雄
真田保科諏訪らと比べても
信濃武士のなかでは一番の勝ち組
モブキャラくらいの存在感だから応援したくなる
信濃連合想像してみたけど涼州みたいに脳筋だらけになりそう
仲良くやればかなり強かったと思うが
本当に意志が統一できてないときついだろう
仲良くなんてしてたら、みんな小勢のままで、
結局、外からやってきた大勢力に一掃されるだけ。
それほぼ史実みたいなもんだけど
長野県出身の大名にまとめあげてほしかったなと
信濃守護職を小笠原氏に預けた室町幕府が悪い
そのせいで村上氏と小笠原氏は長期間犬猿の仲だった
北信濃守護村上氏、南信濃守護小笠原氏だったら
どう考えても詰んでるのかな
なんとかならないもんかね
諏訪はどうしようもなかった気がするが小笠原は勝弦峠次第で勝てたかもしれんな
どっかの本でもそんな考察されてた
信濃の武将なんたらみたいなやつ
諏訪って7万石程度だろ
それで武田と対等な同盟だったのか
下位同盟者の小山田穴山を抜けば12~15万石ぐらいかな
木曽には裏切ったイメージが強くて
いい印象もたれづらい
>>342
でたらめだな
村上氏は守護とは無縁だし、
小笠原が3家に分裂してた時ですら勝てていないはず。 信濃総大将ってご存知ない?
大塔合戦ってご存知ない?
【搾取】 自民党→ 国民 ←公務員 【寄生】
渡邉哲也氏「SEALDsは公安の監視対象団体。テロリスト予備軍や準テロリストのような扱いになってしまった」
世界の公務員平均年収(円) 1 日本898万 2 米国357万
覚者より 『彼らの時代はほとんど終わっている。間もなく起こる出来事が国民を解放するだろう。』 2016、8
∧,,,∧
(´・ω・`) < 近い将来、欧米で株式市場が破綻すれば、マイト レーヤは直ちに出て来られるでしょう。
(| |)
し--J
最初になくなるのは世界の株式市場でしょう。
差し迫る株式市場の暴落は、他の人々が飢えている間にお金を儲けることの結果です。彼らはただ座って待っているだけです。世界を餌にして生きており、何も還元しません。
日本から始まる世界的株式市場の大暴落
ウォールストリートの大暴落(1997年)につながったプロセスが、いま日本におけるプロセスの中に写し出されており、再び株式市場の暴落につながるでしょう。
終いには政府にも支えることができなくなり、どん底に落ちていきます。日本がアメリカ国債の25%を引き出すと世界経済が破綻し、マイト レーヤは出現するでしょう。
マイト レーヤはまずアメリカに現れ、それから日本です。彼は日本語で話し、非常に物静かなやり方で話します。彼の最初の控えめな態度に混乱してはなりません。
非常に間もなくマイト レーヤを、テレビで見るでしょう。マイト レーヤは毎日テレビに現れ、質問に答えるでしょう。彼は「匿名」で働いております。
マイト レーヤが公に現れるにつれてUFOが、とてつもない数で姿を表すでしょう。
矢追純一 「宇宙人側からの申し入れは、核の利用と戦争をやめ宇宙人の存在を公表しなさい。ロシアという大国の首相がね、2回も言ってるんだからね。」
抑制のない成長に基づく現在の経済の終焉を見るでしょう。
日本国民はどう対処すればいいのか。新しい政権は民意を反映し、適切な食糧、住宅の供給、健康管理、教育が最も重要な責任となるでしょう。そして最後に防衛です。
国民の意志を裏切ることは、極端な場合、自殺や殺人にまでつながります。
林城に行って来たけど
当時としてもかなり大規模で立派な城郭跡だってわかって驚いた
対武田に備えてさらに改修予定だったそうだけど結局自落してしまったのは悔やまれる
天下創世の木曽義在グラがこれまでの小笠原長時にしか見えないのは気のせいかな?
途中で削られたとしたらかわいそう
仮に信濃連合ができたとして
版図拡大できたのだろうか
誰かの外征のために残り全員が兵供出なんて、絶対無理w
村上義清のグライマイチだな
やっぱり口開けてないと
今回の村上かっこいいかも
目元しかわからんが
河越野戦シナリオで諏訪以外確定
ちょっと辛め?
統 武 知 内 外
村上 義清 82 86 72 53 59 家名存続
小笠原長時 69 73 31 45 32 所領拡大
木曾 義康 52 61 60 63 63 家名存続
諏訪 頼忠 38 45 47 60 53 領地保全
村上 義清→所領拡大
小笠原長時→家名存続
木曾 義康→領地保全
諏訪 頼忠→家名存続
ってイメージだな。
志にかなり左右されるから
信濃守護さんが1番プレーが楽というw
村上さんは3城もってて素敵
>>382
砥石城
葛尾城
小諸城かな
村上さん過去最高の城数じゃないかな? へーノブヤボ新作出たんだ
↓
ぐぐる
↓
【悲報】新作信長の野望、クソゲーで本スレ大荒れ - ニッコリン
niccorin.com/archives/52549131.html - キャッシュ
2017年12月2日 ... 信長の野望-400x223 【悲報】新作信長の野望、クソゲーで本スレ大荒れ wwwwwwwwwwwwwwwwwww. 1:風吹けば名無し:2017/12/02(土) 13:52:53.02 ID:ZLWeQ69f0.net.
869 名前:名無し曰く、 (アウアウウー Sa21-sxEU)[sage] 投稿日: 2017/12/01(金) 10:31:54.10 ID:EUBxUByqa [1/2] 速攻でクリアしようと島津でプレイ してたんだけど
大地震で九州全土の人間がいきなり三分の1消えて大友龍造寺が 穴埋めに農兵雇いまくったんで九州が地獄絵図に 中央では巨大勢力が順調に形成され ていっ ...
>>390
信濃の城は増えてない
PKで増えたりするかもしれないけどね
村上さん3城なら小笠原木曽にも追加欲しい 革新が良すぎてなぁ。
そろそろ革新の進化形が来て欲しい。
古い時代のシナリオがないから、このスレ的には革新は駄目でしょ
革新はプレイアブル村上しかいないからねえ
大志は塩尻商圏だったかな?
特別な経済拠点があるので四大将もがんばれる
信長誕生シナリオ配信されるから四人ともつかえるようになるな
追加コンテンツ第2弾(2018年1月配信予定)
・武将編集用顔CG(50点)
追加コンテンツ第3弾(2018年2月配信予定)
・シナリオ「沖田畷の戦い」
追加コンテンツ第4弾(2018年3月配信予定)
・『信長の野望・創造』BGM(30曲)
追加コンテンツ第5弾(2018年4月配信予定)
・シナリオ「信長誕生」
追加コンテンツ第6弾(2018年5月配信予定)
・姫衣装替えCGセット(25点)
追加コンテンツ第7弾(2018年6月配信予定)
・シナリオ「長篠の戦い」
小笠原長時公は諏訪頼重を味方として、甲斐国内および柳と申すところまで度々御働きになった。
そんなところに晴信(武田信玄)が典厩(武田信繁)をもって頼重へ仰せられたことには、
「武田の味方となりましたら晴信の妹を人質ながら妻子に遣わしましょう。その上で信濃が治まり
ましたら、諏訪に村上郡を添えて遣わしましょう」と色々無事を作り仰せられ、
それに付き、頼重は同心致されたのである。頼重は長時公の家老・小見と申す者の婿でおられた。
小見の娘を追い出して晴信の妹の婿になり、甲斐上原城で祝言されて頼重の息女は甲斐へ人質に
越され申した。これは頼重の先腹の息女である。それより頼重は晴信の味方になったのである。
長時公が仰せられたことには、「晴信が諏訪頼重と縁組して諏訪を甲斐へ引き付けたのは、伊那・
林へ取り掛かろうという知略のためである。しからば、晴信の旗下になった諏訪頼重を踏み崩し、
晴信へ取り掛かって一戦をなすべし」と仰せられ、伊那衆と仁科衆がひとつになって長時公は
諏訪へ御働き遊ばし、頼重の持ち分を焼き払って上野原へ取り掛かった。4,5日攻めると頼重の
者たちを討ち取り、本城ばかりに攻め寄せていたところに、晴信は後詰に蔦木まで御出馬された。
先手は板垣(信方)、飯富兵部(虎昌)、浅利が諏訪の青柳まで参られた。長時公方は伊那衆の
小笠原民部少信貞、下条、箕輪頼親(藤沢頼親)、万西でこの衆が先手となって、長時公の本陣
より攻め掛かって板垣と飯富兵部を切り崩し、首百100ほどを討ち取った。
長時公は実検なさって勝鬨を作り、諏訪頼重は降参して人質を出し、長時公の旗下になられたに
付き、長時公は林へ御入馬されて、伊那衆も帰陣仕った。その後もまた頼重は晴信方になった。
伊那衆の内、箕輪と申すところは6千貫で箕輪殿の領地であった。福与城(箕輪城)に在城の
ところに諏訪頼重は晴信の先手を仕り、3月上旬福与城へ取り掛かり、60日ほど取り巻き攻め
申した。福与城に籠った箕輪頼親の侍衆・松島、大出、長岡、小河内、福島、木下の衆は箕輪殿の
家中で大身の武士である。その他に野口寺や澤々の者が100余騎、雑兵1500で籠っていた。
右の衆が城際で日夜取り合い申し、その時に箕輪殿の内に藤沢織部と大泉上総といって強弓の
射手がいた。福与城の大手でこの者たちの矢先に当たり、晴信の者たちが多く死んだ。2人の
武士は移って箕輪殿に供仕り、中塔城に籠り申した。伊那衆はことごとく残らず後詰仕り、
箕輪福与の近辺の三日町と申すところに陣を取った。天竜川を隔てて足軽合戦があり、長時公も
後詰に上伊那の内の籠ヶ崎と申すところを御本陣にされ、先手は北大手に陣を取り申した。
その時、それがし(著者・二木重吉)は万太郎と申し、生年庚寅年15歳で初めて具足を着仕り、
御供仕った。天文13年(1544)甲辰のことである。
下伊那の内の小笠原信貞より多科惣蔵を使者として籠ヶ崎へ参った趣は「御馬を福与城の根古屋
へ寄せられて、是非一戦仕るべし」との由を申して来た。ところが伊那衆に対して御憤りに思し
召すことがあったために御馬を御寄せにならなかったのは、御一代の御分別違いであった。
それに付き、伊那衆は引き取り申した。箕輪殿の城は無事になり、権次郎と申す弟を晴信へ人質
に出して箕輪殿は牢人となった。そのため長時公も林へ御引き取りになられた。
諏訪頼重が晴信公の妹に若子が出来申して心安く存じ、甲斐へ参られたところ、甲斐柳町と申す
ところで晴信より頼重を生害した。それがしが16歳の正月末のことである。それに付き諏訪衆
と晴信とが合戦し、その年中に諏訪と甲斐は治まり、晴信は城代に板垣を置かれ申した。
――『二木寿斎記(二木家記)』
長時公(小笠原長時)が家中の者を召して仰せになったことには「下諏訪に晴信(武田信玄)
より城代を置かれたことは無念至極である。諏訪の城代を追い払うべし!」との旨を仰せ付け
られた。すなわち、両郡の侍・仁科道外(盛能)、瀬馬、三村、山家、西牧、青柳、刈谷原、
赤沢、島立、犬甘、平瀬である。右の衆はいずれも大身の旗頭であった。その他に長時公の
御旗本衆・神田将監、泉石見、栗葉、惣社、下枝、草間、桐原、瀬馬村、
及び塩尻衆・征矢野、大池などである。二木豊後(重高)の舎弟・土佐の三男・六郎右衛門、
豊後の子・万太郎(著者・二木重吉)、土佐の子・万五郎と弟の源五郎兄弟もである。
この源五郎は草間肥前の養子と罷りなり草間源五郎と申した。長時公の近習を仕り、林に居住
して御旗本と罷りなった。二木豊後と同土佐、同六郎右衛門、同万太郎、草間源五郎の5人は
西牧の備と一緒に罷りあり、備を立て申した。全軍の兵は林を出立して下諏訪へ取り掛かり、
晴信より置かれた城代を手きつく攻め申した。頃は4月中旬である。城際まで取り詰めて急
に攻め申したゆえ「長時公へ城を渡し申すので、御馬を少し御退き下され」と城中より使者
2人が出てきたので城を受け取り申すというところで、仁科道外が望み申されたのは、
「下諏訪を私に下されば甲斐国までの先駆けを仕って、晴信と一戦仕りましょうぞ!」との
ことで、これに長時公は「私の稼ぎの花を望むとは推参であるぞ!」と仰せられた。道外は
「骨を折っても何になるだろう。信濃にいるよりは、晴信の朱印が良い」と軍前を外して
備を仁科へ引き取り申した。城内よりこの旗色を見届けて城は渡されなかった。そんな折に
晴信は後詰のために上諏訪まで御着きになり、皆々は「諏訪を道外に御遣わしにならないと
長時公が仰せられたのは、御一代の御不覚である」と申したのであった。
長時公はその日は諏訪の四つ屋と申すところへ御馬を上らせなさり、夜が明けて諏訪峠に
御陣を御取り遊ばされ、その日の巳の刻に合戦が始まったのである。初めの合戦で晴信の
先手を切り崩し、四つ屋まで敵を追い下して長時公方は首150を討ち取ったのであった。
その日の合戦は6度あり、その内5回は長時公の御勝利であった。晴信方では本陣がこらえて、
6度目の合戦では瀬馬、三村、山家が逆心仕り、長時公の御本陣にて追いつ返しつ入り乱れる
合戦となった。御本陣の良き者たちの過半は討死仕ったため、長時公もかろうじて林の手勢を
使いなさっていたところ、村上殿(村上義清)が小室へ働かれ申したとの由を聞こし召されて
早々に御引き取り申された。瀬馬の逆心により、西牧の二木一門は本道を退くことはできず、
桜沢に差し掛かって奈良井へ出て、奈良井源右衛門のところで飯米の合力を受け、御岳越しを
して、やっとのことで西牧へ出ていった。
――『二木寿斎記(二木家記)』
その合戦の後、2,3年の間たびたび合戦があり、神田将監は寝込にあって討死仕った。
その時も良き者が多く討死仕った。神田将監は強弓の精兵で長時公(小笠原長時)の
御家中で一騎当千の兵(つわもの)であり、長時公も惜しく思し召された者であった。
“寝込”とは夜討のことである。出水石見と神田将監は長宗公(長棟。長時の父)も
良く思し召して御使いになった者たちである。長時公に御代を渡された時も、その由緒
を仰せられて2人を御渡しになった。信貞公(信定。長時の弟)へは木下惣蔵と
溝口刑部を渡され、下伊那の鈴木城(鈴岡城?)へ御在城させた。信貞により木下惣蔵
は多科城へ差し置かれ、すなわち多科惣蔵と申して一騎当千の者だった。惣蔵は長宗公
が御取立てした者である。
神田将監が常に申されたことには「私めは長宗公が御取立てなさった者なり。『どんな
ことがあろうとも長時公へよく御奉公仕るように』と、私めは後室様に仰せ付けられた。
信貞へは木下惣蔵を御渡しになり、長時公へは拙者を御渡しになったのである。それ故、
私めはいかようにも御奉公仕る覚悟である。しかしながら、長時公は強き御大将であり、
我儘気随で遊ばされるゆえに、両郡の大身の侍衆は皆不満に存じておられる。ある時、
西牧、瀬馬、三村殿ら両三人の衆が御用あって出仕申されたが、長時公の気随によって
出仕はならず、それゆえに帰り申されたことがあった。
またある時には万西、赤沢、鎌田兵衛尉が出仕したが、これも気随ゆえに御会いになら
なかったのである。また山家が出仕した時も同じであった。かようのことが度々あった
ので、両郡の武士たちは不満に存じておられる。
これは水竹と申す者が出頭(寵愛を受けて出世すること)仕るようになって、長時公へ
申し上げることがあったゆえ、このようになったのである」とのことであった。
――『二木寿斎記(二木家記)』
小笠原信貞は家老の多科惣蔵と溝口刑部を召して御命じになり、長時公(小笠原長時)が下諏訪
の城代・板垣を攻めなさるため諏訪へ取り掛かり申すにつき、下条殿と御談合のために
溝口刑部を御遣わしになり、伊那衆の侍はいずれも一身にして打ち立ち、下条殿、片桐、飯島、
知久、晴近の衆は下伊奈を5月中旬に出立し、相沢・駒沢まで詰めていた。そこに長時公が
諏訪峠合戦に敗軍の由が聞こえてきた。信貞公が仰せられたことには「一日早く出立していれば、
晴信方を切り崩していただろうに」とのことであった。その日は平出を越えて相沢・駒沢に陣を
取り、密かに出立した。伊那の軍勢の押さえのために板垣信方(信憲?)が置かれていたので、
下伊奈の軍勢が相沢・駒沢に詰めていたところを信方は攻め掛かり、小笠原信貞に切り崩されて
小尻まで追い討ちし、武田晴信方の首を多数討ち取って信貞は勝鬨を上げなさったのである。
板垣信方はやっとのことで下諏訪へ引き取り申した。信貞が仰せられたのは、「大手(長時本陣)
が敗軍した以上は、搦め手で勝利したといっても保科弾正(正俊)は晴信に心を寄せ、そのうえ
松島や大出などもそうであるから、対陣には及ばない」とのことで、伊那へ御引き取りなさった。
――『二木寿斎記(二木家記)』
まだ、質問に答えるうちはいい
反論に行き詰まると
それは、自演の証拠ではない
と、まことは連呼した
神田将監が7月の初めに出仕した時、征矢野甚助・惣社久太郎・万西次郎・大池右馬之助・桐原と
同道仕り、照りに照った日坂を上ろうと股立を高く取って小飛び掛かりに坂を上った。
若き衆は申して「将監はどうしてこの暑いのに飛んで上がり申されるのか」と申されれば、将監は、
「暑くはない。秋の露ばかりで身体が濡れるので、露を払って上り申しておる」と申した。
若き衆はますます笑って申し「将監殿は気違い申したのか。これほど埃が立って日照りで汗に濡れ
て困るというのに、身体に露と仰せられるのは可笑しく存ずる」と笑った。
将監は申されて「呉越の戦の折、呉王・夫差の臣下・伍子胥が申したことを存ぜぬのか。それを
思い出したのだよ。長時公(小笠原長時)は我儘でいらしゃるので、両郡の武士には不満が多い。
それゆえにこれよりこの城は後に晴信(武田信玄)の仕置きになり、城や家は破却されるであろう。
その時は鹿の臥すところとなって(野に伏すことになって)残念なことである。されば露に濡れる
ことを思い、飛んで通って股立も高く取り申しておるのだ」と申された。
その後、若き衆の落書を将監は立てた。神田将監の存分は面白きものである。
「小笠原の 御家をたをす ものとては 昔は絲竹 今は水竹」
(昔から遊興が御家を滅ぼしてきたが、今は佞臣の水竹が小笠原家を滅ぼそうとしている)
――『二木寿斎記(二木家記)』
それがしが20歳の時(著者・二木重吉。1549年)の4月末に晴信公(武田信玄)は御働きになり、
村井に陣を御取りなされ、長時公(小笠原長時)も御出陣して合戦し、その日の合戦は村井・林の間で
敵を切り崩したものの味方も崩れ申し、その後は互いに本陣で追いつ返しつ入り乱れて合戦と相なった。
その合戦で草間肥前と泉石見が討死仕った。泉石見は長棟公の御代より数度の合戦を仕った精兵の強弓
の射手で“土射ず”と皆々は申した。勝負の矢は申すに及ばず、諸々の鳥を射ち申しても外すことが
ないので、あずちを射ち申さずとして皆々このように申したのである。石見はもとは沢清右衛門と申し、
泉小四郎の子孫なので長棟公の仰せにより泉石見と名乗り申した。このような者が討死仕ったために、
林勢は弱くなり、その他にも御味方は多く討たれ申したので長時公は林城へ御引き籠りなされた。
その時に長時公を背いて晴信方となった衆は山家・洗馬の三村・赤沢・深菅・万西・鳥立・西牧の各々
であり、長時公の御家中で5千貫や3千貫を取った大身であった。長時公の御味方で大身の衆は犬甘・
平瀬・刈谷原・小見、その他に御旗本衆ばかりである。
長時公は御家の良き者は討死して、家老の者は逆心仕ったために叶い難く、林城を御開けなされようと
思し召されたが、どこへも道は塞がれて出口もないところに、桐原だけが御味方致し、深志城(松本城)
の城主・万西は桐原の伯父だったため、かの万西は桐原に申して、
「長時公の味方を致すよりも、長時を討ち申して晴信へ忠節を仕れ」と意見したが、桐原は少しも同心
仕らずに強いて御味方致し、長時公に申し上げて、
「いずれも御家中の家老や譜代の者が御敵と罷りなり、私の伯父・万西までも逆心仕り、挙句に拙者にも
逆心を企てよと意見仕りました。ですから少しでも早く塩田へ御退きになられて、村上殿(村上義清)を
御頼み遊ばされませ」と、桐原の妻子を長時公へ人質に出して居城の深志城に引き取り申した。
それより長時公は村上殿を御頼みになられ、村上殿は如才なく存ぜられて、「長時公の御本意を遂げさせ、
林へ御帰し致しましょう」と仰せられ、清野(信秀)と申す侍に仰せ付けられて長時公を御馳走申された。
――『二木寿斎記(二木家記)』
長時公(小笠原長時)が林城を御退きになられてのち、晴信公(武田信玄)は林城を破却して深志の万西に
居城を取立て普請なさり、馬場民部少(信春)を城代にして御置きになった。長時公は領地を御支配されず
といえど、犬甘と平瀬が城に籠っていた。そのようなところに馬場民部は犬甘・平瀬へ計略を入れ、互いに
融和があった。しかしながら、いまだ仲裁も済まぬうちに、長時公の御本意を遂げなさるため、村上(義清)
が深志へ御発向との由が申し来たため、犬甘と平瀬は勢い強く、ますます甲斐には従い申さなかった。
同年(1549)11月初めに、村上の軍勢が会田に陣取り申したとの由が深志へ申し来たので、馬場民部
とその他の者ら深志にいた晴信の軍勢たち20騎余りが、11月初めのまだ夜の暗いうちに、刈谷原崎まで
物見に出て行った。ところが村上衆は1人も参らなかったので、物見の人々は帰ることにした。
一方、犬甘大炊助は自城に軍勢を置いて、手廻り10騎ほどで自身は“あかきり栗毛”と申す名馬に乗り、
長時公御迎えのために出て行った。岡田町という宿に到着した一行は、帰るところだった馬場民部ら
20余騎を見かけると、村上衆だと見て犬甘の方から使者を遣した。使者は申して「こちらに御越しの者は
村上衆と御見受けします。長時公の本意のために、ここまでかたじけなく存じております。深志へ先駆けを
仕るべく、犬甘がここまで参りました」と述べた。
馬場民部は「犬甘が罷り出たので謀って討ち申そう」と談合致し、犬甘への返答に、「長時の本意のため、
村上はここまで罷り出ました。深志への先駆けになられたいとの由、もっともなことです」と返事仕り、
犬甘を調子よく騙し含め申すと、犬甘は見切りも早々に退き申した。その後、深志よりの人々が出合い、
犬甘に切り掛かり申したため、犬甘は犬甘城に移ることができずに同城を右に見つつ、
青島と申すところで掛け馬をも乗り放し、ただ1人になって西牧まで退き、二木豊後(重高)のところへ
参られた。豊後は犬甘をうまく隠し置き、後に西牧殿と相談致して飛騨を通り、美濃のかくちょうへ
犬甘大炊助を送り申された。犬甘城は馬場民部少輔が大将となって、甲州衆と信州降参衆が一つになって
攻め落とし、それより平瀬城をも攻め落とし申した。平瀬城で討死致した人は多かった。長時公の御味方
は強く抵抗致したのでこのようになったのである。
――『二木寿斎記(二木家記)』
警察、創価と在日マフィアによる集団ストーカーの模様^
(車両ナンバーつき)
^怖ろしくておもらししそう´・ω・` 織田信長の甲州征伐の折、諏訪の寺へ本陣を据えるため入る折に、信長は
木曾(義昌)に軍勢を見せるべしと思われたためか、「従う大名小名、一人も
騎馬してはならない。歩行にて我が馬の先へ立つように」と命じ、五千人の人数皆、
信長の御先を歩んだ。
その頃、燻革(ふすべがわ)のたちつけ(膝から下の部分を脚絆のように仕立てたもの)が
流行っており、殆どはその装束であった。
寺の門前にて菅谷九右衛門(長頼)が信長に申し上げた「木曾殿がここに参られました」
信長は「寺に入れ、ここで礼を申させよ」と命じ、木曾義昌を寺の中に通すと、
礼を述べる木曾に対し、黄金二百枚を台に積んでこれを与えた。
この時、木曾義昌は台を持ち上げてこれを戴こうとした。
後に信長はこう言った
「木曾はうつけ者であるな。二百枚を積んだ台が持ち上がるものか。ああいう時は
台に手をかけ頭を付けて礼をするものだ。山家の遠国者は何も知らぬ。」
(祖父物語)
信長公、木曾義昌を「うつけ者」「田舎の礼儀知らず」と酷評
>>342
足利尊氏への貢献度が段違いだからしょうがない
別スレで諏訪氏を守護にすべきだったとかいうやつがいたが、
あんだけアンチ足利やって守護になれるわけない >>297
仁科本家も安曇郡を回復して小笠原とやりあえば大町藩とかがあったかも >>297
その後もう一回改易から復帰してるあたり
小笠原もフェニックス的なところがある ERROR: このスレッドは512kを超えているので書けません!
>>727
まず信長は自身が討たれてしまったので、そもそもケースが別
信長は金ヶ崎の撤退で行方を晦ましても、自身の生存が明らかになったときは
各地に落ち、散り散りになった兵はすべて帰参している…
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>>414
信玄も攻めるのめんどいから懐柔してすませてたしな その後、オレ様は、まことがやっている
ハッキングデータを消した
平山氏による信濃諏方氏か ,.ィ ¨¨ ̄ ̄` 、
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信長の野望で小笠原家が健在の早い時代のシナリオで
何故か小笠原貞種だけは村上家所属になってるんだよね…
バグが多いいい加減な作品だと悪評高い作品だったので
単なる設定ミスだとは思うけど貞種だけ養子に出されてたって事実はあるの??
>>431
小笠原長時が三好氏の庇護下にあったときまでは行動を共にしてたはず
小笠原氏がプレイアブルでない作品では小笠原家臣はみんな村上家臣にされてたからその名残でのミスなのではないかな 確実な自信があるなら、2chに書くよりは指摘のメールでもした方が、
修正に繋がる可能性は高いと思うぞ。
小笠原長棟が1542年に、諏訪頼満が1539年にと、武田信玄が家督相続する前後に、小笠原と諏訪の名君が死んで、長時と頼重と、いずれも先代に明らかに劣るのが継いでるんだが、もし長棟や頼満が生きていたら、武田信玄は小笠原や諏訪に勝てたかな?
>>434
小笠原と諏訪は和睦してるし跳ね返せる可能性は十分にあるかと 名君の先代であっても信玄は格が違うからなぁ。遅かれ早かれと思う。
手こずって攻略が遅れて、上杉とがちでやり合わない結果になれば、
むしろ特になる展開もないかね。
周辺が全て強国というのが厳しい…飛騨に行ってもジリ貧だし
飛騨や北陸は一時的に取れたとしても維持が無理ゲー。
雪山舐めちゃいかん。
東に長野、北条
西に斎藤
南に武田今川
北に長尾
まあきついよね
統 武 政 知
村上 義清 83 87 60 73 急襲 乾坤 鉄壁 用兵 さすが優秀
小笠原長時 66 71 38 38 急襲 射手 馬術 やんわり弱体化?
諏訪 満隣 53 68 68 64 混乱 一所懸命 頼重見当たらず
木曽 義康 48 64 56 53 威圧 微妙
村上は全部マイナス10くらいが妥当な印象
ほか3人はこんなもんじゃないかね
そりゃあ信玄と戦ったことすらない長野じいさんの能力には違和感しかないやろう