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【大東亜の決戦】インパール作戦【帝国陸軍】10 [無断転載禁止]©2ch.netYouTube動画>1本 ->画像>2枚


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1 :
名無し三等兵
2016/09/12(月) 22:51:57.52 ID:Np/7xSt1
インパール作戦は
@牟田口中将が 皆の反対を押し切って強引に強行した
A補給を無視した卑劣な作戦で
B勝算が全く無く、やる意義も無い作戦だった
と宣伝流布されてきた。

しかし詳しく検証すれば、これらの批判は全て大嘘。
文芸春秋社などの商売目当てのエセ保守勢力である
半藤一利ら主導による、政治的作為と利権にからんだ
悪意と捏造と曲解による大嘘ばかり。

これらは東京裁判史観と陸軍悪玉論を定着させ責任転嫁したい
戦後の権力者に迎合し、地位と名誉と利権を得ようとする
商売作家が創作したプロパガンダ小説の作り話しでしかない。

バカ作家、エセ保守、平和ボケ団塊左翼らがいい加減に流布してきた大嘘の近代史は、
全てを再検証し見直す必要がある。

日本を大敗させたアホの戦犯は、独断でハワイ奇襲を強行し
アメリカを本気で怒らせ、全面参戦を決意させた史上最悪の愚将・山本五十六である。
山本が主導した太平洋戦線の作戦全てこそが、
インパール作戦より全ての面で遥かに愚劣、補給も勝算も考えない
無茶苦茶な作戦で、展望のない無駄な戦いであった。

インパール作戦こそが開戦前に国が決定した 「対米英蘭蒋戦争終末促進に関する腹案」
に示された大東亜戦争の本来の国家方針に従った国運をかけた大儀ある重大な作戦である。
連合軍側の見解から見て牟田口の指揮は、その通りやれば作戦は難なく成功しており、
無謀な作戦だったとは言えない。
2 :
名無し三等兵
2016/09/12(月) 22:53:00.86 ID:Np/7xSt1
【ディマプールは攻略できた。そして、それで日本軍は勝利出来たというのが連合軍側の一致した見解】

■マウントバッテン大将(東南アジア連合軍 (SEAC)・総司令官)
「英印軍に非常に幸運だったのは、日本軍が驚くほど弾力性を欠いていたことだ。」
「すぐに第二目標であるディマプール攻撃に移っていたならば、
そのころ、まだ兵力の集中できていなかった連合軍はこれを防ぐ方法は無かった。 」

■スリム中将(連合軍第14軍司令官)『敗北から勝利へ』
日本の軍司令官のなすべき全ては、コヒマを妨害するため一支隊を残置し、師団の主力を持って猛烈にディマプールを衝く事であった。
幸いにも彼(佐藤師団長)はほとんどそれをとろうとしなかった。
佐藤中将は、私の遭った日本の将軍中で最も消極的であった。

■ストップフォード中将(第33軍団司令官・ジョラート)
「このときもし日本軍がコヒマからディマプールに果敢に急進していたのなら英国に勝利はなかった。(作戦全体において)」

■スチルウェル中佐(北部戦域軍(米支軍)参謀・レド)
「英軍は完全に奇襲された。準備半途を衝かれ、奇襲は決定的なものであった。
首府ディマプールには予備団も無く、日本軍があのまま 一押しすれば攻略は易々たるものであったのだ。
一方に、インパールの驚きは想像以上であって、守将ジファード大将(第11方面軍司令官)の如きは、一旦遠くカルカッタ方面まで
退却して後図を策するの是非を、マウントバッテン総師に伺いを立てるほどの驚きであったのだ」

■アーサー・パーカー中佐(第4軍団参謀・インパール)
「もし日本の連隊がディマプールに突進しておれば、インパールも日本軍によって占領されていたでありましょう。
なぜなら、佐藤師団がディマプールに突入していたら、英第四軍団はインパールから撤退していたからであります。」

■アーサー・スウィンソン大尉(英第2師団参謀・ディマプール)『コヒマ』
牟田口の方が、実際には正しかったのである。何といっても正しかったのは間違いないのである。
これがナポレオンの言った「機宜」というものであろうか。佐藤師団長が一ヶ月の間に、ディマプールを占領しさえしていたら、英軍は懸崖に立たされていたであろう。
3 :
名無し三等兵
2016/09/12(月) 22:53:46.52 ID:qGAcWlx+
              .:::::::;'  軍職に或る事30年、、今回ほど必勝の  ';:::::::.
             :::::::::i 信念が沸き起こる思いをしたことが無い…  l::::::::.
          ::::::::::!    イギリス軍は弱い必ず退却する     i::::::::
            :::     補給について心配することは誤りである  :::
  '  ― ―‐ --  」                               L_:::::
                    元来日本人は草食である、然るに南方の   ̄ ̄ ̄
            __,. -┐  草木は全て…即ち之食料なのである
_ ,. -‐ '' ´   :::::::::',    天長節までインパールを攻略せよ    r::-  _
              :::::::::'、 皇軍には天佑神助の奇跡が起こる    /::::::::   ´` '
                ::::::::':、                           ,.:':::::::
                 ::::::::ヽ    雨季の到来は皇軍に    /:::::::
                ::::::::丶   味方するものなり     ,.::'::::::::::
                 ::::/  ,:、 あくまで敢闘すべし _,..:'::::::::::
                  /   ,..':::::::>   _|__  ... く::::::::::
             /   ,.::::::::    /\ , , /\ `、 \
              /    ,.∩     / <●>  <●>\.`、  \∩
          /     , ' l ヽ∩ /   (__人__)    \ ∩ノ j
       /     ,    ヽ ノ |      |::::::|      | ヽ ノ \
       /      , '      | ヽ \     ` ⌒´    / / j    \
    /      , '      \  ̄            ̄  / `、   \
  ./       , '           \ 牟田口廉也 /   `、    \
4 :
名無し三等兵
2016/09/12(月) 22:53:47.58 ID:Np/7xSt1
インパール作戦で最も奮戦し最大の被害を出した60連隊が
その連隊史において、暗に高木俊朗の書籍の内容を
「局外者の推理やエゴイズムによる創作」だとして
事実ではないと否定している。


『二つの河の戦い―歩兵第六十聯隊の記録 ビルマ篇』

「隣接友軍の無通告退却のために、直接の被害者となったわが右突進隊は、腹背の敵から挟撃されて、
推定260名以上に及ぶ犠牲者を出す運命の日となった。」
「損害の主因が戦場のルールと道義を無視した隣接部隊の友軍にあったという紛れも無い事実によって、
戦後なお敵に対するよりも、さらに激しいある種の感情を捨てきれない宿命を背負っている。」
「同じ戦場で同じ目的のために、死力を尽くしあってきた同胞に対し、ここに問題を提起して
新たな対立感情を起こすことは回避したいと思うし、この記録の目的とするところではないが、
「わが連隊の記録」への投稿者の戦友のうちには、この間の感情に対し、激烈な非難をこめたものが少なく無い異常さがあった。」
「歴史が単に局外者の推理やエゴイズムによって、創作されるとしたならば、それは恐るべきことである。
しかもこの形式が、ひとたび活字となった場合には公刊、非売、限定等の形式に関わらず、また内容の
当否は別として、既成事実化し、真実は葬り去られるのが世の常である。」

   大田嘉弘『インパール作戦』 P424〜
5 :
名無し三等兵
2016/09/12(月) 22:54:18.37 ID:Np/7xSt1
■勝機を逸した柳田師団長の統制前進。

牟田口中将の怒りはもっともであった。・・・
インパール作戦の成否はただ突進にかかっているというのに、
肝心の第三十三師団があえて前進をしぶっている。
軍司令官に不満があり、作戦に自信が無ければ、
作戦開始前に辞任すべくである。
戦闘の最中にふてくされるのは、まさしく統帥違反であり、
友軍を無視した無責任な態度といわなければならないからである。
はたして、柳田師団の「漸進」は戦局にに重大な影響を
及ぼしてしまった。

児島 襄『太平洋戦争』

アーサー・スウィンソン著「四人のサムライ」は、
柳田中将を「アメリカの将軍」と呼び、
「かつて唯の一度も精神的には、この作戦に身を入れることがなかった。
そして今はこれらを自らの不能のまま運委せで行こうとしている」
と記述している。

大田嘉弘『インパール作戦』 P317

師団の急前進を促すべく、軍の参謀藤原岩市少佐は兵団司令部に急行し、
切々として柳田を説き、慎重居士の腰をあげさせようと努めた。が、
柳田がようやく腰をあげたのは、それから一週間の後であった。
この時期における一週間は、実に戦勢を支配する重大な一週間であった。
柳田はようやく腰をあげたといっても、その前進は、牟田口が要求した
「急進」ではなくして「漸進」であった。

伊藤正徳『帝国陸軍の最後-死闘篇』
6 :
名無し三等兵
2016/09/12(月) 22:54:31.39 ID:qGAcWlx+
ドイツに苦戦したイギリス相手にもこのザマ
センチュリオンやランカスター要する一軍どころか、植民地兵が2/3の3軍相手にこの惨敗

             戦死者  負傷   捕虜
日本         213,445  13,840  811,000 
 日本兵       210,830  12,840  750,000
 インド国民軍    2,615   1,000   40,000
 ビルマ国民軍                11,000(イギリスに寝返り)

             戦死者  負傷   捕虜
イギリス       15,210   41,620  14,0450
 イギリス兵      5,670   12,840   53,230
 インド兵       6,860   24,200   68,890
 その他        2,680   4,580   18,330


緒戦の勝利を、10倍返しで大敗北することになったのは、ひとえに

英軍は屈指の名将、ウィリアム・スリム
日本軍は屈指の愚将、牟田口廉也

ってのが大きい。
7 :
名無し三等兵
2016/09/12(月) 22:55:13.60 ID:qGAcWlx+
ウィリアム・スリムは間違いなく名将。

彼はインド兵、イギリス兵、将校や兵卒の区別なく、なぜ戦わなければならないか、いかに個人の働きが全体の勝利に貢献しているかを語った。
そして高級将校には補給を徹底させた。

相手が無茶口さんだったのはなんかの因縁だな。
8 :
名無し三等兵
2016/09/12(月) 22:56:29.32 ID:Np/7xSt1
スリム中将は英国の戦史家で最も評価が高い。
それはインド、ビルマ作戦で英軍を勝利に導いたからであり
その意義はノルマンディー、ワーテルローより大きいとしている。

http://12a09.wordpress.com/2013/05/08/%E7%99%BA%E4%BF%A1%E7%AE%B1%E8%8B%B1%E5%9B%BD%E3%80%8C%E6%9C%80%E5%A4%A7%E3%80%8D%E3%81%AE%E6%88%A6%E3%81%84%E3%80%80%E5%B0%8F%E5%80%89%E5%AD%9D%E4%BF%9D%E6%B0%8F/
9 :
名無し三等兵
2016/09/12(月) 22:58:44.84 ID:Np/7xSt1
スリム中将の見解

スリム中将によると、日本軍は現場指揮官がバカだから負けた。
日本軍は勝てるチャンスが十分にあったにもかかわらず
愚かな師団長が我々をわざと勝たせたと酷評している。

■第14軍司令官スリム中将『敗北から勝利へ』

日本軍指揮官のなすべき全ては、コヒマを妨害するため一支隊を残置し、
師団の主力を持って猛烈にディマプールを衝くことであった。
幸いにも彼(佐藤師団長)はほとんどそれをとろうとしなかった。
日本軍第三十一師団長佐藤陸軍中将は、私の遭った日本の将軍中で最も消極的であった。
彼はコヒマを取って陣地を構築するよう命令されていた。

彼の頑固な頭はコヒマを取るという一つの考えで一杯であった。
全然コニマを取らずに彼が我々に大きい損害を与えられるとは
彼は思い及ばなかった。
少数の牽制部隊を残し、ニチェガードのウォーレン旅団の東方まで
道路によって前進した彼は、4月5日までに彼の師団の主力を持って
鉄道を攻撃できた。しかし彼は全然洞察力を持たなかったので、
彼の部隊が到着したとき彼はこれをコヒマの小さな町の連続する
攻撃に投じた。

私は、私の部下の不屈の勇気によって、敵のコヒマ侵入の能力を過小評価
した私の過誤の重大な影響から救われた事を前に述べたが、それが必ず
そうなるためには敵の局地の指揮官の愚鈍を必要とした。
不幸にも当時私はこのことが与えられることも、あるいは非常な心配から
救われるべきことも知らなかった。
後になってそれが明らかになったとき、佐藤司令部への航空攻撃を計画している
熱心な英空軍の幾人かの将校を見出したことがあった。
彼らの意図する犠牲者を私は最も頼りとなる将軍の一人として考えていたので、
彼らにその計画を放棄すべきであることを私が勧告したとき、彼らは驚いた。
10 :
名無し三等兵
2016/09/12(月) 23:10:27.38 ID:Np/7xSt1
英国ではインパールでの戦いを
ノルマンディー、ワーテルロー以上に
英国にとって重要な戦いだったと認識している。

一方の日本はどうだろうか?
この戦いが重要な戦いであったとの認識は
日本人には全く無い。
11 :
名無し三等兵
2016/09/12(月) 23:31:52.81 ID:Np/7xSt1
連合軍勝利の最大の功労者、ウィンゲート少将

彼は牟田口以上に無謀にも1個師団の空挺部隊を敵中に送り込むという
常識ではありえないバカな作戦を、連合軍司令官のすべてが猛反対する中
彼は強行した。
(ウィンゲートは特殊な存在でチャーチル、ルーズベルトが直接彼の後ろ盾となっていたと言われる)

ウィンゲート少将は英国本国では牟田口以上に
バカだアホだ、無茶苦茶だと、今でも酷評されている。

しかいこのウィンゲート少将によるバカ作戦が、連合軍勝利の最大要因であった事実は
疑いようが無い。
アメリカではウィンゲート少将は連合軍を勝利に導いた英雄として扱われているが、
英国ではバカ扱いと、米英で評価が180度違う。


その英軍ウィンゲート空挺団
参謀長のデリック・タラク准将は次のように牟田口を評価した。

『日本の15軍牟田口中将も、その作戦指導については、全くといってよいほど、
イギリス側から評価されていない。
彼はその最後の作戦(インパール作戦)を除いて、その主要な戦闘の全てにおいて勝利を収めている。
インパールの戦いはワーテルローの戦いと同様に「非常に際どい」時期があった。
しかし、牟田口将軍はナポレオンの場合よりもはるかに優勢な敵を相手にして戦ったのである。
私は彼が生前、その戦いぶりについて日本国民から評価されたことを知って、うれしく思う。』
12 :
名無し三等兵
2016/09/13(火) 00:03:06.15 ID:KEPXoRyD
面白いのは日英両軍とも
予想外の攻撃に翻弄された点にある。

英軍は1個師団がディマプールに接近したため
てんやわんやの大混乱に陥ったが、日本ではその効果に
気付いていなかった。

一方、日本軍も1個師団の敵空挺団が投下されたことで
てんやわんやの大混乱で日本軍の統帥はがガタガタに乱された。
しかし英軍も、その効果に気付いてない。

奇しくも日英ともに、常識はずれの奇策を使ったが
それが勝敗の重要なポイントとなった。
しかし両軍ともそれに気が付いてはいない。
13 :
名無し三等兵
2016/09/13(火) 07:48:16.77 ID:U66Lno0L
>>12
先制主導の利と戦場の霧だな。

なんせルールブックに勝利条件が書いていないんだから。
14 :
名無し三等兵
2016/09/13(火) 08:56:33.03 ID:n2eFsr3R
>>6
>ドイツに苦戦したイギリス

ドイツは、ファシズムからの国の解放で赤軍が決定的な役割を演じたことを覚えている。
ドイツのメルケル首相が、ロシアのプーチン大統領との会談後に述べた。タス通信が伝えた。
メルケル首相は、「ドイツは開戦の責任を負っている。これは私たちの歴史的責任だ。
私たちは、赤軍がドイツ解放で決定的な役割を演じたことを常に思い出すでしょう」と語った。
http://jp.sputniknews.com/russia/20150511/319933.html

第二次大戦が終了したとき、概ねエルベ川の東はソ連、西は英米の占領下にありました。首都ベルリンもソ連軍
の手中にありました。戦後の対ドイツ政策は戦勝国による分割統治と決められ、ベルリンは1944年のロンドン議定書
で米英ソで共同管理となっていました。これにより1945年7‐8月英米軍は東ドイツ地域にあたるザクセン、
チュウリンゲン州から撤兵し西ベルリンに進駐し、ソ連軍も西ベルリンから撤退し米英軍撤兵後の東ドイツ占領区に入り、
東西の占領の配分が決まってしまいました。東ドイツ領域に住んだドイツ人の戦後はここから始まります。
http://www.doitsukitte.com/nyumon/nyumon_c1.html

>ソ連軍も西ベルリンから撤退し

「ソ連兵は、西ベルリンに毎日、自由にやってくる。それに、1961年にベルリンの壁をつくってからも、
記念日には、ソ連軍はベルリンの壁を越えてきて、パレードするから、西ベルリン市民の怒りをかっている」
と、ガイドも怒っている。
http://blog.goo.ne.jp/mulligan3i/e/a26d5bfa4c84a7c567da9567e8decb72
15 :
名無し三等兵
2016/09/13(火) 08:58:05.51 ID:8UXIBOYv
>>6
>ドイツに苦戦したイギリス

ならば欧州をナチズムから解放したソ連邦とロシア人の叡智が、ノーベル賞に反映されていないのは何故だ?

ガウク大統領は、次のように強調しているー
「1945年5月8日、我々は解放された。我々を解放したのは、ソ連の諸民族の
代表者達だったが、そればかりではない。それゆえ、我々は、感謝と尊敬の念を示さ
なくてはならな い。戦後ドイツが、ベルリンの壁により長い間分断されたという事実でさえも、
そうした気 持ちに影響を与えるべきではない。
一部の観測筋は疑っているようだが、私には、ロシアにもロシア人に対しても問題はない。 」
http://jp.sputniknews.com/japanese.ruvr.ru/news/2014_12_25/281700424/

>我々を解放したのは、ソ連の諸民族の代表者達だったが、

■国別ノーベル賞受賞者数ランキング (10人以上の国のみ)
1位 アメリカ 339人
2位 イギリス 112
3位 ドイツ  81
4位 フランス 55
5位 スウェーデン 31
6位 スイス  22
7位 ロシア・ソビエト連邦 20
8位 日本   18
http://1000nichi.blog73.fc2.com/blog-entry-5812.html
16 :
名無し三等兵
2016/09/13(火) 08:59:54.23 ID:U6nAq1rM
>>6
>ドイツに苦戦したイギリス

ベトナムに関していえば、まさにファシスト・ドイツが無条件降伏したという知らせが入った後、ベトナム共産党は、
人民蜂起の準備を活発化し、その勝利がベトナムに自由をもたらしたのです。第二次世界大戦は、
人類の歴史に新しい時代を開いたと言ってよいでしょう。そして、その時代の特徴となったのは、ソ連の影響力の拡大と
アジア・アフリカ諸国民の独立を目指す戦いでした。」
http://jp.sputniknews.com/japanese.ruvr.ru/2012_09_02/86931349/

旧ソ連の核開発
1949年 8.29. セミパラチンスク核実験場で原爆実験に成功し、アメリカの原爆独占を終結させる
1953年 8.12. 水爆実験に成功
イギリスの核開発
1940年 原爆生産の可能性を検討する科学者委員会が設置される
1943年 アメリカのマンハッタン計画に参加
1946年 原子力研究所を設立し、独自の原爆開発計画を推進
1952年 10.03. オーストラリアのモンテベロ島で原爆実験に成功
1957年 5.15. クリスマス島で水爆実験に成功
http://www.pcf.city.hiroshima.jp/Peace/J/pNuclear1_1.html

ソ連の核開発はイギリスよりも3年早く、アメリカの世界一極支配に終止符をもたらした。
ソ連の核兵器は一人の人間も殺すことはなく、世界平和に貢献した清潔な核兵器だった。
ソ連の戦争は祖国防衛戦争で世界を変えたが、イギリスの戦争はただの植民地戦争で影響力ゼロ。

      あ り が と う ソ 連 邦 !
17 :
名無し三等兵
2016/09/13(火) 09:05:00.18 ID:7rzGT8zv
>>6
>センチュリオンやランカスター要する一軍どころか、植民地兵が2/3の3軍相手にこの惨敗

鉄条網内には、米軍がとても面倒を見きれないほど膨大な捕虜が
集められていた。西独政府捕虜史委員会の報告にこうある。
「いくら一般市民が餓えようとも、自軍の配給の方が優先された」
「無条件降伏後、西側三国に占領されたドイツ地域には、米兵よりも、
ドイツ人捕虜の方が多かった・・・・・・」
 連合軍は一九四五年六月に捕虜の数を数え終え、収容された「戦争捕虜及
び武装解除された憲兵」は七六一万四七九四名、うち「四二九万九〇〇〇名
は降伏時にすでに捕虜となっていた」と公表した。
≪パウル・カレル/ギュンター・ベデカー
『捕虜――誰も書かなかった第二次大戦ドイツ人虜囚の末路』≫
18 :
名無し三等兵
2016/09/13(火) 09:14:55.42 ID:7rzGT8zv
>>6
>センチュリオンやランカスター要する一軍どころか、植民地兵が2/3の3軍相手にこの惨敗

欧州でも極東でもソ連領土とソ連圏は大きく拡大したのに対して、英連邦は何も取れないばかりか大きく失った。
オマケの片手間な対日戦争でさえ、ソ連は立派に樺太千島を得たが英連邦は失うばかりwww

 ではなぜ頭に大がついているのだろうか。それはこの戦争の勝利には多くの国が貢献しているものの、ソ連がドイツ国防軍を
倒した中心国で、その役割を強調しているからだ。ドイツ軍はソ連軍との戦いで、1340万人中74%にあたる1000万人を喪失した。
 アメリカのルーズベルト大統領は第二次世界大戦の最中の1942年5月、ソ連軍の活動とそ の影響を評価してこう記した。
「ロシア軍が連合国25ヶ国の軍隊よりも、対戦国の厖大な兵士と兵器に打撃を与えているという明白な事実を無視することはでき ない」。
 ロシア人がこの勝利を誇りに思い、多くの戦線のひとつととらえたがらないのは当然のことだ。そしてドイツとその同盟国であるイタリア、
ルーマニア、クロアチアが84万人を喪失したスターリングラード攻防戦と、ドイツとイタリアが3万人を喪失したエル・アラメインの戦い
が同レベルの戦いと見なされることを理解できないでいる。
http://jp.rbth.com/society/2013/05/09/42899.html

Losses per theater(戦線別ドイツ軍戦死者統計)
Theater      Dead      %
Africa       16.066     0,3   ←アフリカ戦線ww
Balkans      103.693    1,9
 North      30.165     0,6
 West       339.957    6,4
 Italy       150.660    2,8
Eastern Front
(- Dec 1944)  2.742.909    51,6   ←ソヴィエト赤軍は
Germany (1945) 1.230.045   23,1   ←頼もしいよなぁ♪
Various       245.561   4,6
 Total       4.859.056
http://www.axishistory.com/axis-nations/germany-a-austria/144-germany-unsorted/statistics/2461-german-losses-per-theater

いやぁホントにスターリンて偉大なんだよな。これでは欧州がヘタレなのかスターリンが凄いのかわからなくなるぜw
19 :
名無し三等兵
2016/09/13(火) 09:25:44.05 ID:FRfTLvEg
>>18
> オマケの片手間な対日戦争でさえ、ソ連は立派に樺太千島を得たが英連邦は失うばかりwww

アホだコイツw
元々ロシア帝国領だった部分の回収、が名目。北方4島は火事場泥棒。
英国にはそれを主張できる日本領が存在してなかった&既に世界中に植民地を持っているのに第三次世界大戦か二次の延長戦やってまで欲をかく理由が無いから。
(焼野原で英語を仕込むところから始めなきゃならない国の切れっ端もらう代わりに、自分の持ってる豊かな土地に他国が介入する口実与えるなんて馬鹿げている)
南方軍幾ら虐めても東京に進軍できるわけじゃないし、
ぶっちゃけその辺りは元々英国植民地なので、どのような形でも日本が白旗振れば当然の権利としてユニオンジャック立てられるのよ。
(いや、中華に南方進出する根性も能力もないし、アメリカは建前上介入しない)
と、なると「楽をして勝つ」という方向で話が進むわけです。
20 :
名無し三等兵
2016/09/13(火) 09:39:50.96 ID:uupKClQY
>>14
>>15
>>16
>>17
>>18
スレタイとは無関係な独ソ戦の話は、他所でやってくれないかな?
21 :
名無し三等兵
2016/09/13(火) 10:04:43.00 ID:49AIJNKm
>>20
ビルマの戦いは、ヨーロッパの第二戦線に大きく影響しているとのことだが?

問題は、再びどのようにして十分な上陸用舟艇を確保するかであった。英米とも、「オ
ーバーロード」作戦と「アンヴィル」作戦(フランス南部への上陸作戦)を 1944 年中
頃に実施したいと考えていた。一方、チャーチルは、むしろ引き続きバルカン諸国や地
中海東部におけるドイツの弱体化を狙っており、連合国側について参戦するようトルコ
を説得した。それらのすべての作戦には上陸用舟艇が必要であった。ローズベルトは、
チャーチルが提案した地中海東部での作戦ではなく、「バッキャナー」作戦に上陸用舟艇
を使用することを希望した。しかし、チャーチルは、「アンヴィル」作戦にも上陸用舟艇
が必要なことをローズベルトに念押しして、オーバーロード/アンヴィルの両作戦を実
施する直前まで、地中海東部に上陸用舟艇を維持しておくのが理にかなった方法である
と主張した60。ここでもまた、欧州最優先の戦略によって、対日戦のための資源が他に
回されたのである。1943 年 12 月カイロにおいて開かれた英米首脳会談において、チャ
ーチルはローズベルトを説得して「 バッキャナー」作戦を中止させた。
http://www.nids.go.jp/event/forum/pdf/2002/forum_j2002_4.pdf
22 :
名無し三等兵
2016/09/13(火) 11:19:10.89 ID:8nUxhuFM
>21
直接的に関係してないから他でやれ。
23 :
名無し三等兵
2016/09/13(火) 12:00:16.36 ID:49AIJNKm
インパール作戦のせいでノルマンディー上陸が1ヶ月遅れたかどうかはよくわからんが、
それでもテヘラン会談で予定した日付より遅かったことは確か。これでソ連圏がまた拡大してしまった。
24 :
名無し三等兵
2016/09/13(火) 12:11:02.74 ID:vTXktSgQ
>>19
> 「楽をして勝つ」という方向で話が進むわけです。

つまり英連邦が頼りにならんから、米国はソ連に対日参戦を申し込むことになったってことだな。
25 :
名無し三等兵
2016/09/13(火) 12:12:42.67 ID:vTXktSgQ
>>20
>>22
インパール作戦はノルマンディー上陸を遅らせたから、米英ソの関係にも響いているはずだ。
26 :
名無し三等兵
2016/09/13(火) 12:14:36.77 ID:vTXktSgQ
>>19
> 「楽をして勝つ」という方向で話が進むわけです。

米国単独でも日本に勝てないわけではなくても、「楽をして勝つ」ためにはソ連参戦が不可欠だった。
27 :
名無し三等兵
2016/09/13(火) 12:22:45.21 ID:d3jVqnyc
オマケの片手間な対日戦争が終わると間もなく、チャーチルはついこの前自分達が承認した米英ソ合意を棚に上げて、
ソ連の東欧支配が閉鎖的だなどというソ連批判の「鉄のカーテン」演説を始めた。
また米英仏は戦後唐突に西側だけでソ連を無視した「通過改革」を行なって、ベルリン封鎖というソ連の報復を招いた。
28 :
名無し三等兵
2016/09/13(火) 12:25:52.94 ID:NXAvsj9T
>>19
>どのような形でも日本が白旗振れば当然の権利としてユニオンジャック立てられるのよ。

706 名前:梅本弘「ビルマ航空戦」 :03/02/19 20:24 ID:???
「わずかなサイゴン米と食糧切符を 手に解散」忘れられた戦場ビルマ
<前略>
この頃、宮邊戦隊長は、部隊の実 記録を整理して「飛行第64戦隊略 歴」 を作成、
この資料に写しが現在、防 衛庁防衛研究所戦史室に保存されて いる。当時は、
戦隊の戦闘詳報などの公式書類から、個人の日誌、写真に至るまで、 記録類はすべて
破棄するよう命じら れており、この簡単な資料のみが64 戦隊の戦歴全体の概要を今に伝えている。
一方、勝利を収めた英空軍は、東 南アジア全域における日本軍との戦いで、
空中勤務者4858名が戦死または 行方不明になったと記録している。 しかし戦後、かれらが守るために
戦った英植民地、インド、ビルマは相次いで 独立し、アジアで戦った英軍の犠牲 はまったくの無駄であった
という声が澎湃と上がり、復員した英軍将兵を苦しめた。やがて英国では、欧州での戦いに
比べ規模も小さく、植民地の防衛という、後世から見て大儀なき戦いであったビルマでの戦争は、
半ば意図的に忘却の彼方に押しやられた。
29 :
名無し三等兵
2016/09/13(火) 12:29:30.31 ID:NXAvsj9T
ポツダム協定は1945年7月だが、ヨーロッパの戦いは終わり、オマケの片手間な対日戦争が継続中だった。

 もしポツダム協定が完全に実施されていたら、ドイツはまったく違った
形になっていただろう。ドイツの統一をはかるためにはそれ以外の方法は
なかった。しかし当時の米・英・仏の首脳はソ連との合意事項を破棄した。
さらに西独内の政策の支持者たちも、ポツダム協定に反対した。彼らに
とってそれは受入れがたいものだった。その結果は周知のとおりだ。
 当然ながらわれわれは、「ドイツ問題はまだ解決されていない」とか、
「東側諸国」ではまだすべてが片づいてはいない、あるいはヤルタと
ポツダムの協定は「不法」だといった発言に対しては、警戒の念を抱か
ざるを得ない。ドイツ連邦共和国では、このような発言がしばしば聞か
れる。だが率直に言って、「統一ドイツ」の復活を求めるこうした発言
はドイツ人の言う「レアルポリティク」、つまり現実主義的な政治と
かけ離れたものだ。過去四十年間、これによって西独で達成されたもの
は何もない。「一九三七年当時のドイツの国境」を再現するというのは、
幻想にすぎない。こうした幻想をかきたてることにより、西独は隣国や
その他の国々の信用を失うことになる。
<M・ゴルバチョフ「ペレストロイカ」(講談社 田中直毅 訳)289頁 >

>しかし当時の米・英・仏の首脳はソ連との合意事項を破棄した。

オマケの片手間な対日戦争が終わると直ぐに、米英はソ連との合意を破棄した。
30 :
名無し三等兵
2016/09/13(火) 12:33:34.58 ID:d3jVqnyc
>>6
>センチュリオンやランカスター要する一軍どころか、植民地兵が2/3の3軍相手にこの惨敗

オマケの片手間な対日戦争が終わると直ぐに、米英はソ連との合意を破棄したし、
イギリスもフランスもオランダもアジア独立戦争を阻止すべくアジアに派兵した。
米国の中国大使にはマーシャルが選ばれた。マーシャルはマーシャルブランのマーシャルだ。
31 :
名無し三等兵
2016/09/13(火) 12:42:10.01 ID:8hfMBLRh
>>18
>これでは欧州がヘタレなのかスターリンが凄いのかわからなくなるぜw

百年単位で見れば、ヨーロッパにおけるロシアの勢力圏が最も大きくなったのは、スターリン政権の功績だ。
32 :
名無し三等兵
2016/09/13(火) 13:03:33.14 ID:8hfMBLRh
>>19
>元々ロシア帝国領だった部分の回収、が名目。

日露戦争で勝った日本スゲー?
33 :
名無し三等兵
2016/09/14(水) 02:33:57.57 ID:w4DjiGq9
スリム中将の見解

スリム中将によると、日本軍は現場指揮官がバカだから負けた。
日本軍は勝てるチャンスが十分にあったにもかかわらず
愚かな師団長が我々をわざと勝たせたと酷評している。

■第14軍司令官スリム中将『敗北から勝利へ』

日本軍指揮官のなすべき全ては、コヒマを妨害するため一支隊を残置し、
師団の主力を持って猛烈にディマプールを衝くことであった。
幸いにも彼(佐藤師団長)はほとんどそれをとろうとしなかった。
日本軍第三十一師団長佐藤陸軍中将は、私の遭った日本の将軍中で最も消極的であった。
彼はコヒマを取って陣地を構築するよう命令されていた。

彼の頑固な頭はコヒマを取るという一つの考えで一杯であった。
全然コニマを取らずに彼が我々に大きい損害を与えられるとは
彼は思い及ばなかった。
少数の牽制部隊を残し、ニチェガードのウォーレン旅団の東方まで
道路によって前進した彼は、4月5日までに彼の師団の主力を持って
鉄道を攻撃できた。しかし彼は全然洞察力を持たなかったので、
彼の部隊が到着したとき彼はこれをコヒマの小さな町の連続する
攻撃に投じた。

私は、私の部下の不屈の勇気によって、敵のコヒマ侵入の能力を過小評価
した私の過誤の重大な影響から救われた事を前に述べたが、それが必ず
そうなるためには敵の局地の指揮官の愚鈍を必要とした。
不幸にも当時私はこのことが与えられることも、あるいは非常な心配から
救われるべきことも知らなかった。
後になってそれが明らかになったとき、佐藤司令部への航空攻撃を計画している
熱心な英空軍の幾人かの将校を見出したことがあった。
彼らの意図する犠牲者を私は最も頼りとなる将軍の一人として考えていたので、
彼らにその計画を放棄すべきであることを私が勧告したとき、彼らは驚いた。
34 :
名無し三等兵
2016/09/14(水) 04:12:28.59 ID:nR3Fx3Fe
インパール作戦で飢餓に苦しみ白骨街道となたには
佐藤師団長の抗命、敵前逃亡のせい。

実際に飢餓で苦しんだ当事者らは
佐藤師団長を英雄扱いした高木俊朗の小説を
「局外者の推理やエゴイズムによる創作」だとして
事実ではないと否定している。


「隣接友軍の無通告退却のために、直接の被害者となったわが右突進隊は、腹背の敵から挟撃されて、
推定260名以上に及ぶ犠牲者を出す運命の日となった。」

「損害の主因が戦場のルールと道義を無視した隣接部隊の友軍にあったという紛れも無い事実によって、
戦後なお敵に対するよりも、さらに激しいある種の感情を捨てきれない宿命を背負っている。」

「同じ戦場で同じ目的のために、死力を尽くしあってきた同胞に対し、ここに問題を提起して
新たな対立感情を起こすことは回避したいと思うし、この記録の目的とするところではないが、

「わが連隊の記録」への投稿者の戦友のうちには、この間の感情に対し、激烈な非難をこめたものが少なく無い異常さがあった。」

「歴史が単に局外者の推理やエゴイズムによって、創作されるとしたならば、それは恐るべきことである。
しかもこの形式が、ひとたび活字となった場合には公刊、非売、限定等の形式に関わらず、また内容の
当否は別として、既成事実化し、真実は葬り去られるのが世の常である。」

『二つの河の戦い―歩兵第六十聯隊の記録 ビルマ篇』
35 :
名無し三等兵
2016/09/14(水) 17:15:27.22 ID:aGEYu80R
佐藤や高木がどこにも出て来ないので、土足の勝手な妄想。

証言者が砲兵で内容が伝聞と憶測の塊、
しかも、その位置と日時が友軍が戦車で踏まれてる時に後方の補給部隊で、という出鱈目な代物を載せた本
卑怯者(であるがゆえに生き残った)「自称証言者」の嘘八百の序文に誠にふさわしいw
36 :
名無し三等兵
2016/09/14(水) 17:20:54.96 ID:aGEYu80R
その証言の真実としての価値は
戦車が来るのに砲弾さえ(本来なら前線で撃つ係なのに)取りに戻らなきゃならない
馬鹿ムッチーの補給の出鱈目さの証拠に他ならない。

弾薬を撃つ日に砲兵下げて取りに行かせるなんてアホなシステムで、最初っから戦争なんかできる訳が無いのだ。
(戦艦の主砲で同じ事をやる馬鹿が一隻でも居たか?w)
37 :
名無し三等兵
2016/09/14(水) 18:06:38.82 ID:aGEYu80R
>>33
上司が狂犬ムッチーでなければ可能だったかも。
そこまで行けと言ってそこに行く分の飯しか持たせない(足りないので敵から奪えとかまで言っちゃう)
ので、師団独自での判断による行動で前進するのは同レベルの狂人だけ。

だから、何スレも「それをやりたきゃムッチーの直卒が必須」と。
ムッチーのような狂人は陸助と言えどそう何人もいないからなw
38 :
名無し三等兵
2016/09/14(水) 18:13:00.67 ID:aGEYu80R
>>33
佐藤は空軍には排除すべき対象に見えてたって事で「師団長なりの職務は果たしていた」証拠。
その空軍でさえムッチーを爆殺しようとは考えなかったので、スリムには止めに行く必要が無かった訳だw

ムッチーが連合軍のスパイだった証拠ですねw
39 :
名無し三等兵
2016/09/14(水) 18:17:46.23 ID:W4Pnc8pY
大田嘉弘は高木を叩くためだけに

『二つの河の戦い―歩兵第六十聯隊の記録 ビルマ篇』

を引っ張り出してきた。60連隊がかわいそうだと。
しかし一方31師団将兵にはなんの憐憫もない。
31師団は牟田口のために死ね、といっているのだ。
40 :
名無し三等兵
2016/09/14(水) 18:20:39.17 ID:NZbJCNmx
>>36
>馬鹿ムッチーの補給の出鱈目さの証拠に他ならない

インパール作戦の影響でノルマンディー上陸が1ヶ月遅れたんだから、戦略的には痛み分けなんだけどな。
そうでなければ1943年12月のテヘラン会談の意義は何だったのかということになる。
そもそもイタリア戦線はソ連の主張する「第二戦線」では無いのだから。
41 :
名無し三等兵
2016/09/14(水) 18:27:07.31 ID:aGEYu80R
>>40
その一か月で日本は少なくとも原爆二発と北方4島を失った、ムッチーは戦後でも銃殺すべきだったのだ。
42 :
名無し三等兵
2016/09/14(水) 18:29:23.08 ID:NZbJCNmx
制海権も無いのにレンドリースとか、制空権も無いのに赤軍快進撃とか、
イタリア戦線が忙しいからDデイは延期だとか、滑稽な言い訳をいっぱいしてくれよ。
43 :
名無し三等兵
2016/09/14(水) 18:35:03.38 ID:NZbJCNmx
イタリア戦線がDデイ延期の理由だと主張する奴がいたので、それでは何のためのテヘラン会談だっかと反論。
何度も言うが、ソ連が西側に求める「第二戦線」は、あくまでフランス上陸のことである。

  第 二 戦 線 は ま だ で す か ?  
  い く ら 何 で も 遅 す ぎ や し ま せ ん か ?

かつて多くの歴史家が、米軍は開戦当初の 2 年間、「ドイツ第一主義」戦略を遂行できなかったとし、その理由を
1942 年にはアメリカ軍兵力の多くが欧州や北アフリカよりも太平洋に配備されていたこと、そして 1943 年には欧
州と太平洋の兵力分布が均衡していたためだと論じた。しかしこの主張は「ドイツ第一主義」戦略がかなりの程度、
日本の軍事力の過小評価に基づいていたという事実を見落としている。結果として、ルーズベルトは政治的理由(つ
まりアメリカの国内世論)だけでなく軍事的理由からも、開戦前に想定された以上の戦力を太平洋に投入せざるを得なかった。
http://www.nids.go.jp/event/forum/pdf/2014/07.pdf
44 :
名無し三等兵
2016/09/14(水) 18:50:34.19 ID:aGEYu80R
>>43
で、3月以降に印度から欧州に廻される予定の部隊又は兵器類がどれだけ足止めされたと?
逆に他方面からのインドへの増援は?

無いならインパール作戦とDデイは無関係w
45 :
名無し三等兵
2016/09/14(水) 19:13:03.17 ID:aGEYu80R
>>43
ドイツ第一主義戦略が有るのに、ドイツに付いたバカが陸助。
対米戦の原因が海軍であると言うのは妄想でしたねw
46 :
名無し三等兵
2016/09/14(水) 21:11:03.58 ID:1jRV3ZtO
>>44
>3月以降に印度から欧州に廻される予定の部隊又は兵器類がどれだけ足止めされたと?

無知とは罪深いものだな。

 ペンタゴンの軍首脳者たちの考えは、総体的に、シェンノートの航空作戦計画、およびそれを
支えるための大量補給の努力は、アメリカの兵力、資材の浪費であって、ほかの地域の作戦を
妨害するものであるということに一致していた。
 シェンノートの方針は、中国において実効をあげず、ヨーロッパでの活動に制約をあたえていた。
 それは、飛行機やそのほかの装備品を、イタリアから中国に補給がえをしたためである。
 この見解は、一九四四年七月四日にルーズベルト大統領に提出された、中国の危機に関する
統合参謀本部の公式報告に記述された。
 この公式報告は、シェンノートの作戦原理に反論していて、第二次大戦中に発行された
文書のなかでも、一番おかしな内容の文書であった。
http://ktymtskz.my.coocan.jp/J/aircraft/chaina8.htm
47 :
名無し三等兵
2016/09/14(水) 21:19:00.12 ID:aGEYu80R
どうあがこうが米軍的にした時点で死ぬ、が土足理論なので、ドイツと組んで敵リーグになった時点で死亡じゃん。
48 :
名無し三等兵
2016/09/14(水) 21:22:44.56 ID:AxHZYjtl
>>46
印度からハンプ越えして中国への補給を行うってのは、米軍と云えどもしんどいことだよな。
49 :
名無し三等兵
2016/09/14(水) 21:28:22.22 ID:er/NtQq8
>>46
1944年6月以前にヨーロッパ戦線用の物資、兵員をインパールに転用したということは
一言も書かれていませんが。
せいぜい、太平洋戦線用の物資を回してるくらいでそれも1944年7月以降とし書かれていませんが。
50 :
名無し三等兵
2016/09/14(水) 21:45:37.22 ID:aGEYu80R
つまり、インパール作戦で与えなきゃならない圧迫という物は、
中華には既に不必要(ダツオが実力で踏み爺ってる最中)でイギリス脱落が狂人の白昼夢。

という訳でどこにも存在しないw まったく無駄な作戦でしたな。
21号とかの辺りならもうちょっとは役に立つのでしょうがw
51 :
名無し三等兵
2016/09/15(木) 07:06:55.36 ID:LTBWUr71
>>49
>太平洋戦線用の物資を回してるくらいでそれも1944年7月以降

 六月二十二日の“威力偵察”にはじまり、二十三日にソ連軍攻勢作戦『バグラティオン』が本格化してみると、
独ソ両軍の優劣の差は、ソ連軍の推算以上に大きかった。
<中略>
 とくに空軍戦力の差は、ひどかった。
 第六航空軍は、約六百八十機を保有していることになっていた。
 ところが、ソ連機をむかえて飛びたったのは、わずか四十機―。
 残りは整備不十分または燃料不足で飛べず、舞い上がった四十機にしても、
ガソリンが無いために三回以上の出撃はできない有様であった。
<児島襄「ヒトラーの戦い 6」の464頁>

 東部では中央軍団の破局的消滅はほとんど完全だった。一九四四年七月六日の正午の会議で、
総統は北方軍団に撤退を命じることで、そこから四個師団引き出せるとのモーデルの見解を再び拒否し、
救えると思うのは幻想にすぎない、どういうことが起るかといえば、軍団は要塞化陣地と重砲と装備を
失うということだといった。ホイジンガーの方を向いてヒトラーは、この災厄でこれまで中央軍団にどれだけ
損害があったか、静かに訊ね、「一二から一五師団が包囲されていますが、全般的損害は二八個師団
に上るでしょう」と告げられた。
 なんと二八個師団である。六月二二日以降わずか二週間で、ヒトラーは三五万の訓練済みのドイツ兵
をロシア側に奪われたのだった。
「ヒトラーの戦争 下」(デイヴィッド・アーヴィング 早川書房 P238、239 )

海外「日本デカ過ぎだろ」 大戦中の世界の領土の変遷が分かる地図動画
http://kaigainohannoublog.blog55.fc2.com/blog-entry-1451.html

バグラチオン作戦と大陸打通作戦、ベルリンに翻る赤旗と南京に翻る日章旗w
対日戦争がおまけなら、日中戦争はおまけのそのまたおまけww
ちなみに朝鮮戦争で米軍は、おまけのおまけな中国に大苦戦www
52 :
名無し三等兵
2016/09/15(木) 07:10:24.68 ID:LTBWUr71
>>49
>太平洋戦線用の物資を回してるくらいでそれも1944年7月以降

史実に反するが?

 シェンノートの方針は、中国において実効をあげず、ヨーロッパでの活動に制約をあたえていた。
 それは、飛行機やそのほかの装備品を、イタリアから中国に補給がえをしたためである。
53 :
名無し三等兵
2016/09/15(木) 09:10:18.32 ID:WDjzNOKY
>>52
そのソースは?
54 :
名無し三等兵
2016/09/15(木) 09:25:03.73 ID:SDq4zB6z
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55 :
名無し三等兵
2016/09/15(木) 11:32:34.66 ID:YjwGetiA
>>49
>太平洋戦線用の物資を回してるくらいでそれも1944年7月以降

大陸打通作戦で太平洋戦争の敗北ダメージを軽減しただと?

だつおの自演?
56 :
名無し三等兵
2016/09/15(木) 11:42:38.48 ID:g7ssq4Ms
>>49
>太平洋戦線用の物資を回してるくらいでそれも1944年7月以降

ゴミのような中国人がいくら日本軍に虐殺されても、米英にとっては痛くも痒くも無いが?
57 :
名無し三等兵
2016/09/15(木) 11:44:50.22 ID:g7ssq4Ms
>>53
中国人というゴミ生物を生かすために、 「飛行機やそのほかの装備品を、イタリアから中国に補給がえ」
は有り得ない。
58 :
名無し三等兵
2016/09/15(木) 12:23:07.44 ID:wWAXuyl1
>>49
>太平洋戦線用の物資を回してるくらいでそれも1944年7月以降

この問題がまだ解決しないうちに、日本軍がビルマ公路に沿って、短い攻勢に出た。
蒋介石は、日本軍が一直線に昆明にまで攻めよせてくるのではないかと不安にかられ、
ビルマ戦線に全中国軍をサルウィン川の背後の安全地帯まで撤退させるとわめいた。
ルーズベルトは蒋介石に緊急の覚書を送り、ビルマから軍隊を引き揚げるようなこと
があれば、また全指揮権をスティルウェルに渡さないのであれば、アメリカからのすべ
ての援助を停止すると警告した。
スティルウェルによれば、大統領からのこの覚書は「火のついた爆竹」であった。
スティルウェルは蒋介石と会見し、「このとうがらしの包みをピーナツ野郎に手渡し、
大きく息を吐きながら椅子の背に身体を沈めた。鋲はこのちび野郎のみぞおちに命中し、やつを突きぬいた」
「宋王朝 下」(スターリング・シーグレーブ サイマル出版会)
59 :
名無し三等兵
2016/09/15(木) 12:26:52.43 ID:wWAXuyl1
>>49
>せいぜい、太平洋戦線用の物資を回してるくらいでそれも1944年7月以降とし書かれていませんが。

無知とは罪深いものだな。

 ペンタゴンの軍首脳者たちの考えは、総体的に、シェンノートの航空作戦計画、およびそれを
支えるための大量補給の努力は、アメリカの兵力、資材の浪費であって、ほかの地域の作戦を
妨害するものであるということに一致していた。
 シェンノートの方針は、中国において実効をあげず、ヨーロッパでの活動に制約をあたえていた。
 それは、飛行機やそのほかの装備品を、イタリアから中国に補給がえをしたためである。
 この見解は、一九四四年七月四日にルーズベルト大統領に提出された、中国の危機に関する
統合参謀本部の公式報告に記述された。
 この公式報告は、シェンノートの作戦原理に反論していて、第二次大戦中に発行された
文書のなかでも、一番おかしな内容の文書であった。
http://ktymtskz.my.coocan.jp/J/aircraft/chaina8.htm
60 :
名無し三等兵
2016/09/15(木) 12:47:32.82 ID:sG78QCET
>>50
>まったく無駄な作戦でしたな。

インパール作戦でノルマンディー上陸が1ヶ月遅れたから、正確には「痛み分け」。
違うというなら、テヘラン会談で約束したDデイの日付が遅れたことの理由と意味を述べろ。
61 :
名無し三等兵
2016/09/15(木) 12:49:18.74 ID:sG78QCET
>>59
> それは、飛行機やそのほかの装備品を、イタリアから中国に補給がえをしたためである。

イタリア戦線の優先度は低かった。
62 :
名無し三等兵
2016/09/15(木) 13:22:16.79 ID:WDjzNOKY
>>60
1ヶ月遅延した理由は上陸用舟艇の数が揃わなかっただっけの話でインパール作戦は無関係。
以後すれ違いだからヨーロッパ戦線の話はするな他でやれ。
63 :
名無し三等兵
2016/09/15(木) 13:33:18.32 ID:g7ssq4Ms
>>62
>1ヶ月遅延した理由は上陸用舟艇の数が揃わなかっただっけの話

上陸用舟艇がインパール作戦とかの対日戦争に向けられたからだとご理解頂けた?

 こうした理由から、上陸地点はノルマンディに決定された。次いで検討されたのが上陸部隊の規模である。
これは上陸当日に利用できる上陸用舟艇の数に左右される。
 この、第二次大戦が生んだ新奇な船は、連合軍の全ての作戦に必要とされていた。特にノルマンディ作戦
と競合してこの種の船を必要としていたのが、日本と戦う太平洋戦線である。とにかくここでは上陸作戦を
やらないと何も始まらないから、とにかく割り当てを増やしてほしいという要請が絶えず出されていた。
舟艇を管理するのは海軍であり、アメリカ海軍にとって戦争とはすなわち太平洋戦争のことであったから、
アメリカ海軍はノルマンディ作戦に舟艇を割くのを渋り続けた。この調整には、最終的には陸軍参謀総長
マーシャル将軍と海軍作戦本部長キング提督のトップ交渉が必要だった。こうやって決定された割り当てにより、
上陸部隊を5個師団とすることが可能となった。
http://homepage2.nifty.com/daimyoshibo/mil/normandie.html

 将兵と兵器を上陸地点まで運ぶため、特殊艦も数多く開発された。もっとも成功したのが戦車揚陸艦
(LST)であり、これは多くの点で第二次大戦でももっとも重要な舟艇となった。ウィンストン・チャーチルは後に、
連合軍のヨーロッパ大侵攻を計画した際に生じた問題について述べている。
「この困難な(戦略上の)問題は、すべてLSTの極度の不足というただ一点から発生している。
英米のニ大国の計画が一〇〇か二〇〇の特殊な船によってほとんど骨抜きにされ、制限を受けるなど、
歴史にその例を見ないであろう」
<日本殲滅 日本本土侵攻作戦の全貌 / トーマス・アレン/著 ノーマン・ポーマー/著 栗山洋児/訳 >
64 :
名無し三等兵
2016/09/15(木) 13:57:38.84 ID:WDjzNOKY
>>63
インパール作戦に上陸用舟艇は必要とされてないので回されてませんよ。
65 :
名無し三等兵
2016/09/15(木) 14:01:47.45 ID:g7ssq4Ms
>>64
>インパール作戦に上陸用舟艇は必要とされてないので回されてませんよ。



チンドウィン川は、流れがとても速い川で、その地点では幅が600ヤード(約550m)ほどありました。
わたしたちの装備、そして約3500名の兵士と1350頭のラバが川を渡るために利用できるのは、
装備を乗せて輸送するだけで精いっぱいの空気注入式の攻撃用舟艇だけでした。ですから、
ラバは攻撃用舟艇の後ろを泳がせました。
http://cgi2.nhk.or.jp/shogenarchives/shogen/movie.cgi?das_id=D0001130021_00000
66 :
名無し三等兵
2016/09/15(木) 14:12:46.36 ID:WDjzNOKY
それ河川用のゴムボートで、ノルマンディで使ったような上陸用舟艇じゃありませんが。
67 :
名無し三等兵
2016/09/15(木) 14:17:29.77 ID:oNQlUoW1
>>66
インパールの英連邦軍はシャーマン戦車を使っていただろうが、陸揚げはとうしてた?
68 :
名無し三等兵
2016/09/15(木) 14:21:28.92 ID:oNQlUoW1
それからオマケの片手間な対日戦争においても、ソ連は決して手抜きなんかしていない。
また日本軍も相手が弱小な中国軍だからといって手抜きをしたことはない。
69 :
名無し三等兵
2016/09/15(木) 14:41:31.29 ID:g7ssq4Ms
>>66
>それ河川用のゴムボートで

ヨーロッパでは使い物にならないのか?
70 :
名無し三等兵
2016/09/15(木) 14:50:55.30 ID:WDjzNOKY
さらに言うと英軍がチドィン川を渡ってビルマ奪回に来たのは、1944年の雨季が明けた10月以降の話で、ノルマンディを延期してまでビルマに回すほど優先度は高くないけど。
71 :
名無し三等兵
2016/09/15(木) 14:54:01.94 ID:oNQlUoW1
>>70
>ノルマンディを延期してまでビルマに回すほど優先度は高くないけど。

けれども実際には1ヶ月延期されちまったんだからしょうがない。
72 :
名無し三等兵
2016/09/15(木) 14:56:47.60 ID:oNQlUoW1
>>62
>1ヶ月遅延した理由は上陸用舟艇の数が揃わなかっただっけの話

ノルマンディー上陸が遅れたのは、専ら太平洋戦争の影響とご理解頂けて幸いだ。
73 :
名無し三等兵
2016/09/15(木) 14:59:49.88 ID:WDjzNOKY
>>71
インパール作戦には関係ないので以降は他のスレでどうぞ。
74 :
名無し三等兵
2016/09/15(木) 15:02:24.70 ID:oNQlUoW1
>>73
ノルマンディー上陸が1ヶ月遅れたのはインパール作戦の影響だから、スレの趣旨に合っている。
連合軍の戦車揚陸艦は当然ながらビルマ戦線でも使われている。
75 :
名無し三等兵
2016/09/15(木) 15:15:11.98 ID:WDjzNOKY
だから、ビルマに必要になったとしてもノルマンディの半年後の話で、ノルマンディが一月延期になった話はこのスレには無関係
76 :
名無し三等兵
2016/09/15(木) 16:22:03.02 ID:g7ssq4Ms
>>59
> それは、飛行機やそのほかの装備品を、イタリアから中国に補給がえをしたためである。

だからインパール作戦と大陸打通作戦のせいで、ノルマンディー上陸が1ヶ月遅れてしまった。
77 :
名無し三等兵
2016/09/15(木) 16:27:50.82 ID:g7ssq4Ms
>>6
>センチュリオンやランカスター要する一軍どころか、植民地兵が2/3の3軍相手にこの惨敗

オマケの片手間な対日戦争であっても、ソ連は立派に樺太千島を得た。対する英連邦は失うばかり。
イギリスは米国に頭が上がらないが、ロシアはクリミア併合で領土拡大しても平気。
78 :
名無し三等兵
2016/09/15(木) 16:48:34.44 ID:g7ssq4Ms
ノモンハンで日本は負けた負けたというが、それで日本は何を失ったのか。
ちなみにフィンランドは冬戦争でカレリアを失っている。
カレリアを取ったティモシェンコと何も取れなかったジューコフでは、どっちの評価が高いか。
なおドイツ国防軍が全身全霊かけた対ソ戦の「輝かしい戦果」が判明するのは戦後半世紀を経てから。
けれども何を失い何を得たかというのは、戦時でも明確である。 バグラチオン作戦と大陸打通作戦、
ベルリンに翻る赤旗と南京に翻る日章旗。

ナチスと結んで米英を攻撃した日本は「無条件降伏をしたのに、北方領土を返還しろ」と主張してるのに、
ナチスと結んでソ連を攻撃したフィンランドは「有条件降伏をしたからカレリアを返還しろ」とは言わない。
クリミアは住民投票の結果ロシア領土になったという主張と、北方四島は日本が無条件降伏した結果ロシア領土になったいう主張は、
どちらが正しくてどちらが間違いなのか、あるいは両方間違いなのか両方正しいのか。
79 :
名無し三等兵
2016/09/15(木) 21:56:47.47 ID:oNQlUoW1
ソ連は主戦場の欧州でも片手間の極東でも、立派に領土拡張を果たした。つまりソ連は時代の最先端だった。

>感謝と尊敬

旧敵国の代表からこんなお言葉を頂けるのは、連合国と云えどもソ連だけ。

  あ り が と う ソ 連 邦 !
80 :
名無し三等兵
2016/09/15(木) 21:59:23.73 ID:oNQlUoW1
第二次世界大戦でナチスドイツを倒してベルリン入りをはたしたのもソ連、領土拡張したのもソ連。
このようにソ連という国は、新しい時代を創生した、世界の模範たりえる理想国家だった。
81 :
名無し三等兵
2016/09/16(金) 01:14:51.49 ID:CVR+Tjr6
【インパール作戦で日本軍は勝利出来たというのが連合軍側の一致した見解】

■スチルウェル中佐(北部戦域軍(米支軍)参謀・レド)
「英軍は完全に奇襲された。準備半途を衝かれ、奇襲は決定的なものであった。
首府ディマプールには予備団も無く、日本軍があのまま 一押しすれば攻略は易々たるものであったのだ。
一方に、インパールの驚きは想像以上であって、守将ジファード大将(第11方面軍司令官)の如きは、
一旦遠くカルカッタ方面まで退却して後図を策するの是非を、
マウントバッテン総師に伺いを立てるほどの驚きであったのだ」

■アーサー・スウィンソン大尉(英第2師団参謀・ディマプール)『コヒマ』
牟田口の方が、実際には正しかったのである。何といっても正しかったのは間違いないのである。
これがナポレオンの言った「機宜」というものであろうか。佐藤師団長が一ヶ月の間に、
ディマプールを占領しさえしていたら、英軍は懸崖に立たされていたであろう。

■マウントバッテン大将(東南アジア連合軍 (SEAC)・総司令官)
「英印軍に非常に幸運だったのは、日本軍が驚くほど弾力性を欠いていたことだ。」
「すぐに第二目標であるディマプール攻撃に移っていたならば、
そのころ、まだ兵力の集中できていなかった連合軍はこれを防ぐ方法は無かった。 」

■スリム中将(連合軍第14軍司令官)『敗北から勝利へ』
日本の軍司令官のなすべき全ては、コヒマを妨害するため一支隊を残置し、
師団の主力を持って猛烈にディマプールを衝く事であった。
幸いにも彼(佐藤師団長)はほとんどそれをとろうとしなかった。
佐藤中将は、私の遭った日本の将軍中で最も消極的であった。

■ストップフォード中将(第33軍団司令官・ジョラート)
「このときもし日本軍がコヒマからディマプールに果敢に急進していたのなら
英国に勝利はなかった。(作戦全体において)」
82 :
名無し三等兵
2016/09/16(金) 01:23:11.03 ID:nFW3LyEK
ノモンハンと支那事変では、後者のほうが動員兵力も損害も大きいけど、ノモンハンはオマケの片手間ってことにはならん。
83 :
名無し三等兵
2016/09/16(金) 18:57:22.24 ID:teJmjdA9
牟田口第十五軍司令官は、果断の人だった。弱音を吐かぬ信念の人だった。
物量・兵員数の劣る我が軍による巧妙な用兵と作戦で英印軍を一時的にせよ、叩くのに成功したことは、我々日本人は記憶せねばならない。
十五軍隷下の各師団長の弱音も聞き入れず、果断、
決断、実行により、帝国陸軍の名を歴史に残した。
よく兵站を無視したと批判されるが、
司令官は、我が軍将兵の発奮を促すのに、
あえて食糧・弾薬を少なめに携行させたのだった。
このことはあまり知られていない。これは、司令官が
功に誇るような人物でなく、
謙虚な典型的帝国陸軍軍人だったからに他ならない。
印度独立運動の指導者チャンドラ・ボースは、後にこう言っている。
「彼(牟田口司令官)は約束を守った。
亜細亜の開放に貢献した。その獅子奮迅の指揮ぶりは、
東洋のカエサルと呼んでも過言ではない」と。
終戦後、牟田口司令官は、左翼勢力の台頭の為にあらゆる批判を受けることになった。
しかし如何せん、時代の弊風には抗えなかった。
赤誠な人ほど、不当な評価を受けることが多いが、彼がまさにそうだった のである。
84 :
名無し三等兵
2016/09/16(金) 19:27:10.51 ID:rQA+Kkp8
■マウントバッテン大将(東南アジア連合軍 (SEAC)・総司令官)

マウントバッテン大将の認識は間違っているディマプールは何の目標にもなっていない。

■スリム中将(連合軍第14軍司令官)『敗北から勝利へ』

スリム中将の認識も間違っている。
ディマプールは河辺方面軍司令官から攻撃を禁じられているからだ。
85 :
名無し三等兵
2016/09/16(金) 19:45:50.19 ID:kbZDxeZY
東部戦線でソ連軍が快進撃してるのに、英連邦軍が「戦略的撤退」なんてありえない。
たとえオマケの片手間な対日戦争であっても、ソ連は樺太千島を得たが英連邦は何も得ていない。
86 :
名無し三等兵
2016/09/16(金) 19:49:08.41 ID:kbZDxeZY
≪児島襄「参謀(下)」のジョゼフ・スチルウェル編より引用≫
「“ピーナッツ”は偏屈で恩知らずの小さなガラガラヘビだ・・・・ (中国政府は)
自分たちだけのことしか考えないならず者の集団だ。指導者たちの興味は、
ただ金、権力、そして地位だけだ・・・・。手に入るものには何でも頭を下げ、
自分は戦わないように心がける・・・・。“インテリ”と金持ちは子どもを米国に送り、
農民の子どもが戦争に かりだされる。しかも注意も訓練も指示も与えられずに死んでいる。
 われわれは、この腐敗した政府を支持し、その偉大なる愛国者兼戦士
“ピーナッツ”に栄光を与えるために、戦おうとしているのだ―おお神よ!! 」
≪中略≫
当時の米軍は、日本軍と同じく、行軍距離単位は四キロであったが、
その米式訓練をうけたはずの、いやボートナー准将自身がその訓練をした孫部隊は、
一キロ歩いては休み、次に一キロ進んではごろりと道端に寝転がる。
 しかも、頭上に英軍機が飛来して補給物資を投下すると、隊列を
乱してむらがり、悲鳴をあげつつ、下着に利用するパラシュートを奪い合う。
≪中略≫
孫部隊は狂喜した。中国大陸で負けつづけ、日本軍といえばかなわないものと信じていたのに、
その日本軍がひきあげたのである。勝った、勝ったと小銃を空に乱射しておどりあがった。
 ところが、勝ちに乗じた勢いで快進撃するものと期待していた孫部隊は、
たしかに前進は開始したものの、そのスピードは以前にもおとる低速であった。
そして、昭和十九年一月二十九日、孫部隊はついに完全停止した。
 ボートナー准将の急報によってかけつけたスチルウェル参謀長は、にこやかに迎える
孫少将の顔をぼう然と眺めながら、考えこんだ・・・・なぜ、前進しないのか?
≪中略≫
スチルウェル参謀長は、孫少将にかみついた。
「明らかに命令違反である。よろしいか。貴下の第三十八師団は、 全中国軍のなかで
とびぬけて優良な兵器、弾薬、糧食の補給を受けている。 足りないというのなら、
迎撃砲も、火炎放射器も、米兵だってさしあげる。 だが、命令に従うのが条件だ・・・・
もし自分の使命が達せられないようなら、辞職してワシントンに報告せざるをえない」
87 :
名無し三等兵
2016/09/16(金) 19:51:02.74 ID:kbZDxeZY
> 孫少将の顔をぼう然と眺めながら、考えこんだ・・・・なぜ、前進しないのか?

1944年以降の連合軍としては、「戦略的撤退」など決して許されはしない。
88 :
名無し三等兵
2016/09/16(金) 19:53:07.16 ID:kbZDxeZY
>>84
>マウントバッテン大将の認識は間違っているディマプールは何の目標にもなっていない

1944年以降の連合軍は、勝利へ向けての進撃あるのみ、「戦略的撤退」など有り得ない。
89 :
名無し三等兵
2016/09/16(金) 21:05:16.17 ID:rQA+Kkp8
>>88
戦略的撤退ではなく攻勢防御なんだけど?

区別が付かないかな?w
90 :
名無し三等兵
2016/09/16(金) 22:11:31.40 ID:WTv5e3sY
>>89
自演乙
91 :
名無し三等兵
2016/09/17(土) 01:56:36.21 ID:wPMVxEQ3
牟田口第十五軍司令官は、果断の人だった。弱音を吐かぬ信念の人だった。
物量・兵員数の劣る我が軍による巧妙な用兵と作戦で英印軍を一時的にせよ、叩くのに成功したことは、我々日本人は記憶せねばならない。
十五軍隷下の各師団長の弱音も聞き入れず、果断、
決断、実行により、帝国陸軍の名を歴史に残した。
よく兵站を無視したと批判されるが、
司令官は、我が軍将兵の発奮を促すのに、
あえて食糧・弾薬を少なめに携行させたのだった。
このことはあまり知られていない。これは、司令官が
功に誇るような人物でなく、
謙虚な典型的帝国陸軍軍人だったからに他ならない。
印度独立運動の指導者チャンドラ・ボースは、後にこう言っている。
「彼(牟田口司令官)は約束を守った。
亜細亜の開放に貢献した。その獅子奮迅の指揮ぶりは、
東洋のカエサルと呼んでも過言ではない」と。
終戦後、牟田口司令官は、左翼勢力の台頭の為にあらゆる批判を受けることになった。
しかし如何せん、時代の弊風には抗えなかった。
赤誠な人ほど、不当な評価を受けることが多いが、彼がまさにそうだった のである。
92 :
名無し三等兵
2016/09/17(土) 06:20:12.82 ID:l6x/6GQl
>>67
つまり、敵が海から上がって港を奪取する事が前提で実行されちゃう位のド間抜けでないと、勝っちゃいけないんですね?w

>ありがとう先進的ソ連
つまり、満州とか使ってまで盾突いた陸助は猿。
93 :
名無し三等兵
2016/09/17(土) 06:35:25.92 ID:l6x/6GQl
改めて、インパール作戦の意義は?目的は?
敵が5歩下がっても次の敵の攻撃を防ぐ兵と引き換えだったなら、その作戦は無意味。

硫黄島とかだと、数倍の敵に嫌がらせ的に立て籠って持久戦を続けた訳だが、
インパールの代わりにビルマ要塞化で同様の防御をすれば、終戦までビルマの端っこ位には日本軍が立ってられたんじゃないの?
94 :
名無し三等兵
2016/09/17(土) 08:33:04.84 ID:KGs05l39
インパール作戦の本来の目的は限定攻勢による英第4軍団の撃破とインパール盆地占領よる
防衛ラインの縮小にあった。その意義はビルマ防衛に資することだった。

英軍は後方連絡線を切断しさえすれば簡単に崩壊するはずだった。
しかし、英軍はその対策をついにとったのだった。
95 :
名無し三等兵
2016/09/17(土) 08:41:08.94 ID:kl91fR0D
まずビルマの端っこに日本軍がいるだけという状態が
日本軍にとって目標とされてなかった。
そんなのを目標とするくらいなら
泰緬国境の山岳地帯にとっとと引っ込むほうが兵力の温存の観点から考えても合理的。
ビルマ防衛のため、英軍のビルマ攻略の根拠地と考えられていたインパールの覆滅が目的。
とはいうものの、そんなところまでいけるわけねえと思っていた人たちにとっては
チンドウィン川を渡河してミンタンミ山系に進出して戦線整理、
余剰兵力を生み出すことには意味があると考えられていた。

牟田口? アッサム侵攻とかいって開戦時の腹案を実現するとか
それそもそも間違ってたって話にしかならんよw
バブル崩壊後にとにかく土地を買い漁るようなもんだ。
96 :
名無し三等兵
2016/09/17(土) 08:47:57.08 ID:usJz6erN
>>92
>敵が海から上がって港を奪取する事が前提で実行されちゃう位のド間抜け

ノルマンディー上陸作戦は?
97 :
名無し三等兵
2016/09/17(土) 08:50:12.03 ID:usJz6erN
>>89
>戦略的撤退ではなく攻勢防御なんだけど?

ならバグラチオン作戦は「攻勢防御」なのか? 連合国として足並みを揃えなくてもいいのか?
98 :
名無し三等兵
2016/09/17(土) 08:56:11.65 ID:rOzU66js
>>58
>ビルマ戦線に全中国軍をサルウィン川の背後の安全地帯まで撤退させるとわめいた。

「戦略的撤退」はおろか、「攻勢防御」なんてものダメだな。1944年の連合軍は進軍あるのみだから。
オマケの片手間の対日戦争であってもソ連は立派に進軍しているのだし。
99 :
名無し三等兵
2016/09/17(土) 08:59:34.20 ID:KGs05l39
>>97
バ作戦は全面攻勢だな。

>連合国として足並みを揃えなくてもいいのか?

別に構わないだろう。
100 :
名無し三等兵
2016/09/17(土) 09:06:54.21 ID:rOzU66js
>>99
>別に構わないだろう。

何のために1943年12月にカイロ会談とテヘラン会談を開催したのか。反ファシズム連合国の足並みを揃えるためだろう。
ここで中華民国は大きく足並みを崩してしまったから、中華民国への台湾返還は取り消しになった。
サンフランシスコ平和条約で台湾は「日本が放棄」したが、その帰属先は無し。
101 :
名無し三等兵
2016/09/17(土) 09:10:47.24 ID:rOzU66js
>>6
>センチュリオンやランカスター要する一軍どころか、植民地兵が2/3の3軍相手にこの惨敗

オマケの片手間な対日戦争であっても、ソ連は立派に樺太千島を得た。対する英連邦は何を得た?
102 :
名無し三等兵
2016/09/17(土) 09:13:19.39 ID:rOzU66js
第二次世界大戦でナチスドイツを倒してベルリン入りをはたしたのもソ連、領土拡張したのもソ連。
このようにソ連という国は、新しい時代を創生した、世界の模範たりえる理想国家だった。
103 :
名無し三等兵
2016/09/17(土) 09:30:41.88 ID:MdYda9+8
だつおじゃ結局打通閣下の劣化品すら務まらないってだけかw
104 :
名無し三等兵
2016/09/17(土) 09:34:33.69 ID:l6x/6GQl
>>96
それ、上陸地点は港じゃない。
港に潜入して港のクレーン使わないと戦車を下ろせない間抜け作戦なんて、
敵が弁当を忘れてきたら補給が完全に止まるインパール作戦と同レベルだというのだw

>>97
足並みを揃えるのは理想だけど、
バグラチオン作戦は、西から援軍が来る前に終わっちゃう(来たらそいつも喰っちゃえ)
な準備をしての作戦なので、ドイツと講和とかそういうレベルで西方軍の拘束を解かない限りはセーフなんだよね。

ノルマンディー相当の作戦がある事はドイツでも予期しててそれなりの戦力を西に預けてた、これでソ連にとっては十分なの。
105 :
名無し三等兵
2016/09/17(土) 09:48:46.92 ID:l6x/6GQl
もう一度。
ロシアに応援に行く兵隊を拘束してるだけで、十分機能してるの。
刀鍛冶が刀を打つ際にハンマー二つで刀を挟むように打つ必要はないのですよ。
普通はカナトコの上に刀を置いてハンマーを振り下ろすよね?

この動かないカナトコは、動かないだけで十分お仕事をしているのです。
106 :
名無し三等兵
2016/09/17(土) 10:15:59.26 ID:l6x/6GQl
>>100
日本と中華民国の間でサンフランシスコ平和条約の数時間前に別の平和条約が有ってね。
そこで「その辺返すね」っと決まっちゃったの...

従って、台湾がサ条約に書いてないって事は中華民国の分だぉ。
107 :
名無し三等兵
2016/09/17(土) 11:35:02.67 ID:tGW/c1mg
>>106
>そこで「その辺返すね」っと決まっちゃったの...

すると米国は去年、どこの国へ武器を売却した事になる?

米の対台湾武器売却に対する中国の猛抗議と強気
http://www.newsweekjapan.jp/stories/world/2015/12/post-4268.php

○池田国務大臣 それはそのときに、領土権はどうかという問題と、だれが支配しているかという
問題を区別しての御質問ならば、いまのようにはっきり答えます。だから、もしそういうように言って
おるとすれば、ここではっきり申し上げますが、台湾は中華民国政府が現に支配しておる、
そして日華条約はここに適用になる、こういう意味でございます。領土権はどうかといったら、これは、
日本が放棄しただけで、中華民国の領土権はカイロあるいはポツダム宣言にはそういうことを予定
してきめておりまするが、この規定は、われわれの調印したサンフランシスコ平和条約の規定とは違います。
われわれ平和条約によって日本の外交をやっていくのであります。これが私の考えであります。
http://kokkai.ndl.go.jp/SENTAKU/syugiin/046/0514/04602290514017a.html

台湾は日本が「放棄」しただけで、中華民国に「返還」されたわけではなく、中華民国は国家主権を持たない。
従って米国は国際法上合法的に台湾関係法を発動し、亡命政府中華民国へ武器売却できる。
108 :
名無し三等兵
2016/09/17(土) 11:36:09.89 ID:tGW/c1mg
>>105
>ロシアに応援に行く兵隊を拘束してるだけで、十分機能してるの。

「しかしソ連への攻撃は行われなかった。だがそれは日本の宣伝家たちが主張しているよ
うな、日本が中立条約の条件を誠実に遂行したからではなく、ドイツの『電撃戦』が失敗
し、ソ連の防衛力が同国の東部で維持されたからだ。いつ始まるかわからない日本の攻撃
を撃退するための準備として、ソ連軍全体の28パーセント超に相当する549万300
0人の中から156万8000人と数千台の戦車や航空機が極東と南の国境近くに配置さ
れた。この戦力は、ソ連とドイツの前線で効果的に使えたはずだ。そのため、軍国主義日
本の政策が、戦時中に中立条約の規定に違反し、全体として大祖国戦争と第二次世界大戦
を長引かせ、ソ連や他の国民の犠牲者を増やしたと考える十分な根拠がある。」

2016/04/14 10:24
http://jp.sputniknews.com/opinion/20160414/1955357.html
109 :
名無し三等兵
2016/09/17(土) 11:38:52.27 ID:rOzU66js
>>104
>バグラチオン作戦は、西から援軍が来る前に終わっちゃう

バグラチオン作戦の輝かしい大勝利の裏には、チンピラゴロツキの情けない敗走があったわけだが?
110 :
名無し三等兵
2016/09/17(土) 11:41:34.28 ID:rOzU66js
>>106
>台湾がサ条約に書いてないって事は中華民国の分だぉ。

では中華民国という国家は、この地球上に存在するのか?  もしあるとしたらその主権範囲は?
あるいは朝鮮民主主義人民共和国と大韓民国が並列するように、中華人民共和国と中華民国も並列して存在するのか?
111 :
名無し三等兵
2016/09/17(土) 11:42:58.86 ID:tGW/c1mg
>>105
>ロシアに応援に行く兵隊を拘束してるだけで、十分機能してるの。


▼フランス展開部隊の実状
 ・フランスは東部戦線で疲弊した師団の休養・再編成地
 ・歩兵師団の多くは沿岸警備用師団か訓練師団
 ・第709師団の平均年齢36歳。対するアメリカの歩兵は平均年齢25歳
  →第一線の軍隊にとっては大きな差。
http://members.jcom.home.ne.jp/hartmann/page008.html
112 :
名無し三等兵
2016/09/17(土) 11:46:03.06 ID:tGW/c1mg
>>104
>ドイツと講和とかそういうレベルで西方軍の拘束を解かない限りはセーフなんだよね

なら1943年12月の「テヘラン会談」の意義は何だったのか?
113 :
名無し三等兵
2016/09/17(土) 11:52:59.18 ID:rOzU66js
>>104
>ノルマンディー相当の作戦がある事はドイツでも予期しててそれなりの戦力を西に預けてた、これでソ連にとっては十分なの。

1943年12月の「テヘラン会談」は、何が話し合われたのか。
114 :
名無し三等兵
2016/09/17(土) 12:28:27.59 ID:wPMVxEQ3
牟田口第十五軍司令官は、果断の人だった。弱音を吐かぬ信念の人だった。
物量・兵員数の劣る我が軍による巧妙な用兵と作戦で英印軍を一時的にせよ、叩くのに成功したことは、我々日本人は記憶せねばならない。
十五軍隷下の各師団長の弱音も聞き入れず、果断、
決断、実行により、帝国陸軍の名を歴史に残した。
よく兵站を無視したと批判されるが、
司令官は、我が軍将兵の発奮を促すのに、
あえて食糧・弾薬を少なめに携行させたのだった。
このことはあまり知られていない。これは、司令官が
功に誇るような人物でなく、
謙虚な典型的帝国陸軍軍人だったからに他ならない。
印度独立運動の指導者チャンドラ・ボースは、後にこう言っている。
「彼(牟田口司令官)は約束を守った。
亜細亜の開放に貢献した。その獅子奮迅の指揮ぶりは、
東洋のカエサルと呼んでも過言ではない」と。
終戦後、牟田口司令官は、左翼勢力の台頭の為にあらゆる批判を受けることになった。
しかし如何せん、時代の弊風には抗えなかった。
赤誠な人ほど、不当な評価を受けることが多いが、彼がまさにそうだった のである
115 :
名無し三等兵
2016/09/17(土) 13:03:14.78 ID:l6x/6GQl
>>110
サ条約の時点で中華民国は死に体でしたからねぇ。
(既に本土じゃ毛沢東の世です。)

この為、他の参加者の間でどっちをチャイナ代表としてサンフランシスコに呼ぶか真面目に話し合われ...
どっちも呼ばなかった訳で。

この問題は中華民国の大戦への関与の問題じゃなくて、チャイナの主権を行使する主体である能力をどっちが持ってるか、
に過ぎない。
(もし、この条約の締結をやりなおすからって、プーチンの代わりに野党の「ソ連共産党書記長」が出席できるかを考えれば明白。
116 :
名無し三等兵
2016/09/17(土) 14:33:54.08 ID:rOzU66js
>>115
>この問題は中華民国の大戦への関与の問題じゃなくて、チャイナの主権を行使する主体である能力をどっちが持ってるか

 毛沢東の主治医として永年毛の身辺を離れなかった李志綏博士が、毛沢東の死去後、
著した『毛沢東の私生活』(文藝春秋社発行一九九六年、上下巻)の中で、一九七二年
二月二十一日、アメリカのニクソン大統領と毛沢東との会談の中で、そのことが紹介
されています。「毛沢東の話によると……一九三〇年代に日本が中国に侵攻しなかったならば、
日本の侵略者に対し共産党と国民党が共闘をくむようなことはなかったろうし、また共産党
は脆弱(ぜいじゃく)すぎてとうてい権力の奪取などかなわなかっただろう。共産党からすれば、
日本の侵略は悪事が善事に変換したのであり、むしろ感謝しなければならない」と言ったと書かれてあります。
 次に同年九月にわが国の田中首相と毛沢東との会談のようすが紹介されています。
「毛沢東はニクソンよりも田中との会談のほうがずっと心強く、親しみ深かったと思った。
田中が日本の中国侵略を謝罪しようとしたとき、毛沢東は日本侵略の『助け』があったからこそ
共産党の勝利を可能ならしめ、共産中国と日本の両首脳があいまみえるようになったのだと請けあった。……」
http://www.sankei.co.jp/seiron/koukoku/2005/0509/hi-se.html

 日本側が「先の戦争では申し訳なかった」といった内容のことを述べると、ケ小平は発言を
さえぎるようにして「われわれは日本軍をそんなに悪く思っていませんよ」と切り出した。
あっけにとられた一行を前にしたケ小平の説明はこうだった。
 「あの戦争が始まる前、われわれは井崗山(せいこうざん)から、長征の途についた。延安に
たどりついたときは気息奄々、靴もちびはて、人数も2万人に減って、全滅寸前でした。ところが
日中戦争が始まり、われわれを包囲していた蒋介石軍は日本軍によって次第に南部に押されていく。
袋のネズミだったわれわれはそれで息を付くことになり、日本軍の後ろに回って、着々と工作を
していった。そして戦争終結時には数百万の正規軍を擁する軍事勢力にのし上がった」
http://www.yorozubp.com/9806/980606.htm
117 :
名無し三等兵
2016/09/17(土) 14:46:22.59 ID:uG/+35Kh
>>93
>改めて、インパール作戦の意義は?目的は?

そんなもん決まってるだろ。
大英帝国の植民地からアジア解放
まあ大東亜共栄圏だな。

そもそも米英と戦うにはそういった大義が最も重要なわけで
アメリカなんかと全面戦争やってたら話しにならんわ。
ビルマとインド、できれば中東も独立を支援する。
仮に米英に勝てなくても負けなけりゃ良い。
勝敗は世論の動向で決まる。
こんなことくらい子供でもわかる話だな。
118 :
名無し三等兵
2016/09/17(土) 15:46:24.98 ID:l6x/6GQl
>>116
つまり、大陸の共産化を陸助が推進しちゃったとw
バカですかー?

確か、満州国でっち上げたり、ムッチー大暴走の盧溝橋の頃の主張は防共目的の行動だったはずですよw
119 :
名無し三等兵
2016/09/17(土) 15:55:08.19 ID:uG/+35Kh
>>118
首の皮一枚だった中国共産党に対し
暴走して助けたのはバカの山本五十六。
だから山本五十六は中国共産党の生みの親といっても過言ではない。

それは戦後、山本五十六の子分の笹川が中国に行って
笹川は中国共産党から大歓迎でもって迎えられ
日中国交正常化が実現した経緯がある。
これは田中角栄の手柄ではない。
笹川と児玉の手柄(ともに山本五十六の子分の利権ヤクザ)
戦後の日本の支配者といっても過言では無い

帝国海軍の実態は、このような薄汚い腐った連中を見ればわかるwwww
120 :
名無し三等兵
2016/09/17(土) 16:04:59.07 ID:uG/+35Kh



こいつはだのヤクザではない。
児玉誉士夫を従えて
こいつが戦後の日本を支配した戦後日本のドン
自民党もマスコミも山口組も右翼団体も
こいつが事実上支配していた。

山本五十六の最大の親友がこいつだったwww
海軍に癒着して利権をむさぼっていた。
121 :
名無し三等兵
2016/09/17(土) 16:08:40.76 ID:uG/+35Kh
ということで
戦後に山本五十六を批判なんぞしたもんなら
即刻、そいつは東京湾に水死体となって浮かぶことになる。
そのくらい怖い、そういう時代が長く続いたわけだな。
122 :
名無し三等兵
2016/09/17(土) 16:10:20.64 ID:KGs05l39
土足さん、第2次上海事変を全面戦争に拡大したのは陸軍の暴走ですよw

南京を占領したのは政府の決定でも海軍の決定でもないんですからw
123 :
名無し三等兵
2016/09/17(土) 16:29:11.19 ID:uG/+35Kh
>>122
おい在日朝鮮人右翼w
ちゃんと反論書けやwww

おまえみたいな街宣右翼のバカがどんだけ
妨害してほざこうが
日本を大敗させた国賊・山本五十六の犯罪は
もう隠すことはできないwww
124 :
名無し三等兵
2016/09/17(土) 16:57:15.51 ID:KGs05l39
>>123
上海の邦人保護のために軍事介入は

政府及び海軍の正式な手順を踏んだ決定。

南京侵攻は事後承諾の暴走。違いが分かりませんか?w
125 :
名無し三等兵
2016/09/17(土) 17:51:44.27 ID:wPMVxEQ3
トラウマン工作を妨害した米内こそ戦犯やな
126 :
名無し三等兵
2016/09/17(土) 18:28:37.68 ID:l6x/6GQl
>>119
つまり、北支で余計な事をした陸助は全部ヤクザだなw
(兵隊ヤクザって映画が有ってな、主演はパンツに覚せい剤が入ってた男w)
127 :
名無し三等兵
2016/09/17(土) 18:54:54.53 ID:l6x/6GQl
って事で、山本が全部仕切ってたんならムッチーは売国ヤクザで決定ですw
128 :
名無し三等兵
2016/09/17(土) 19:36:18.05 ID:l6x/6GQl
トラウトマン工作なんて信じる方がアホですよ。
中華に在庫の武器を売って大もうけしたドイツが延長戦やらせる為に時間稼ぎしてただけ。
(しまいにゃ作戦の入れ知恵までする始末)
129 :
名無し三等兵
2016/09/17(土) 20:50:41.66 ID:wPMVxEQ3
佐藤が敵前逃亡しなけりゃ、インパール作戦が成功していたことは歴史的事実
130 :
名無し三等兵
2016/09/17(土) 21:08:52.00 ID:l6x/6GQl
そりゃ、ムッチーは山本ヤクザの三下なんだろ?
そいつの命令なんか馬鹿らしくて聞けるわけないでしw
131 :
名無し三等兵
2016/09/17(土) 21:30:37.88 ID:wPMVxEQ3
カエサルに比類する牟田口司令官が五十六の三下のわけねーわww
132 :
名無し三等兵
2016/09/17(土) 22:28:04.43 ID:KGs05l39
>>129
何時まで粘ればよかったんですか?
133 :
名無し三等兵
2016/09/18(日) 05:32:52.16 ID:vwHuOmcR
>>131
土足理論だと、連合軍>山本>その手伝いをする陸海軍の雑魚とか戸締り用心のオジサン
で、ムッチーは連合軍の手先の雑魚な訳w

ムッチーを連合軍の人間が実力以上に誉めて持ち上げるのは当たり前。
134 :
名無し三等兵
2016/09/18(日) 05:59:01.62 ID:vwHuOmcR
山本の真珠湾が連合軍へのボーナスなら、
盧溝橋もインパールも、山本ヤクザの三下ムッチーによる連合軍への大サービス。
135 :
名無し三等兵
2016/09/18(日) 06:59:31.25 ID:WdpQvk5n
>>118
>大陸の共産化を陸助が推進しちゃったとw

中共への大ボーナスだよなw
136 :
名無し三等兵
2016/09/18(日) 08:18:18.84 ID:YSp0NROp
>>117
1944年にビルマの防衛戦力を割いてまでやることじゃないな。
そんなに大義がほしいなら牟田口がふんどしいっちょうでインパールにいけばいい。
137 :
名無し三等兵
2016/09/18(日) 12:36:48.41 ID:3dLWHhG0
佐藤理論だと連合軍>山本>カエサルw
138 :
名無し三等兵
2016/09/18(日) 16:36:35.09 ID:Q0/6ukUt
>>137
土足妄想だと連合軍>山本>カエサル>>>>>>>>>>>>>>>>>>>>>>>>>>(越えられない壁)>>>>>>>>>>>>>>>>>>>>>>>>牟田口w
139 :
名無し三等兵
2016/09/18(日) 23:45:30.30 ID:3dLWHhG0
その牟田口司令官によって植民地を失ったのが連合国なんだがw
140 :
名無し三等兵
2016/09/19(月) 02:57:38.78 ID:FyYrXz9/
インパール作戦は
@牟田口中将が 皆の反対を押し切って強引に強行した
A補給を無視した卑劣な作戦で
B勝算が全く無く、やる意義も無い作戦だった
と宣伝流布されてきた。

しかし詳しく検証すれば、これらの批判は全て大嘘。
文芸春秋社などの商売目当てのエセ保守勢力である
半藤一利ら主導による、政治的作為と利権にからんだ
悪意と捏造と曲解による大嘘ばかり。

これらは東京裁判史観と陸軍悪玉論を定着させ責任転嫁したい
戦後の権力者に迎合し、地位と名誉と利権を得ようとする
商売作家が創作したプロパガンダ小説の作り話しでしかない。

バカ作家、エセ保守、平和ボケ団塊左翼らがいい加減に流布してきた大嘘の近代史は、
全てを再検証し見直す必要がある。

日本を大敗させたアホの戦犯は、独断でハワイ奇襲を強行し
アメリカを本気で怒らせ、全面参戦を決意させた史上最悪の愚将・山本五十六である。
山本が主導した太平洋戦線の作戦全てこそが、
インパール作戦より全ての面で遥かに愚劣、補給も勝算も考えない
無茶苦茶な作戦で、展望のない無駄な戦いであった。

インパール作戦こそが開戦前に国が決定した 「対米英蘭蒋戦争終末促進に関する腹案」
に示された大東亜戦争の本来の国家方針に従った国運をかけた大儀ある重大な作戦である。
連合軍側の見解から見て牟田口の指揮は、その通りやれば作戦は難なく成功しており、
無謀な作戦だったとは言えない。
141 :
名無し三等兵
2016/09/19(月) 06:09:17.80 ID:Fa7zu0Z9
>>140
バカコピペを何年繰り返しても無駄無駄w

屑の能無しシコリアン土足くんw
お前みたいなバカにはプロパガンダすらできないのさ尼崎の面汚しwww
142 :
名無し三等兵
2016/09/19(月) 09:56:08.33 ID:CtZXVnfF
日本軍の勝ち目は後方連絡線遮断による士気崩壊にあるのだから
それが消失した時点で勝ち目はないだろう。

どうやって勝つの?
143 :
名無し三等兵
2016/09/19(月) 10:38:11.70 ID:ONt1kuQp
日本軍が負けるしかない戦いとはいえ、米英にもノルマンディー上陸を1ヶ月遅らせてやったから痛み分けさw
144 :
名無し三等兵
2016/09/19(月) 10:40:53.29 ID:ONt1kuQp
>>62
>1ヶ月遅延した理由は上陸用舟艇の数が揃わなかっただっけの話

テヘラン会談では、Dデイに必要な上陸用舟艇の数さえも見積もれなかったつーのか?

何のためテヘラン会談だ?
145 :
名無し三等兵
2016/09/19(月) 10:42:47.91 ID:ONt1kuQp
何度も言うが、イタリア戦線はソ連の主張する第二戦線ではなく、イタリア戦線はDデイ遅延の理由にはならない。
146 :
名無し三等兵
2016/09/19(月) 14:11:52.15 ID:GGKDS/pP
>>141
川崎の佐藤じゃんw
147 :
名無し三等兵
2016/09/19(月) 15:27:14.64 ID:d7MHJUgq
>>143
ちょび髭が一か月長生きしたら日本が勝ったのか?w
負けてんじゃん。それも原爆と北方4島を余計に失って。

インパール作戦は日本人を余計に殺し国土を失わせた大愚策。
連合軍の頼れる将軍ムッチーは売国奴w
148 :
名無し三等兵
2016/09/19(月) 15:29:37.76 ID:GGKDS/pP
佐藤が敵前逃亡しなけりゃ、勝っていたんだがねw
まさに川崎の佐藤は万死に値する
149 :
名無し三等兵
2016/09/19(月) 15:50:38.31 ID:CtZXVnfF
>>148
で、何時まで粘ればよかったんですか?

さすがの牟田口も6月6日には「顔色で察して欲しい」と
言ってますが?
150 :
名無し三等兵
2016/09/19(月) 16:03:05.09 ID:bjn3m4lO
.
.
.
山本は日本を救うために、真珠湾奇襲を決断した

誰よりも日本の未来を見抜いていた、その屈託した先見性

それが山本五十六の実像に他ならない。

.
.
       ヽ〃   真珠湾奇襲プシュ!    
      ( _)
       | |  シコシコ・・・ シコシコ・・・
       | | /⌒⌒⌒ヽ/~ ̄ ̄ ̄ ̄ヽ     
     /⌒ヽ⌒ヽ___   |  ∴ヽ  3  )
     /  ゝ      |
    /  _  ゝ___)(9     (` ´) )j
   /  丿ヽ___,.───|彡ヽ ―◎-◎-| ハァハァ…
  /   )           (彡       |
 / _/           \____/

山本五十六を賛美して毎回射精w 

ホラ吹きジジイ 自称歴史探偵団www
 半藤一利wwww
151 :
名無し三等兵
2016/09/19(月) 16:47:29.44 ID:CtZXVnfF
31師団が全滅すればインパール作戦が成功する

とかいっている太田嘉弘は人間のクズだな
152 :
名無し三等兵
2016/09/19(月) 18:53:18.56 ID:Fa7zu0Z9
>>150
で、その半藤と直接対決を避けたシコリアン土足はヘタレチキンの屑オナニー野郎なんだよなw

屑の能無しシコリアン土足くんwww
153 :
名無し三等兵
2016/09/19(月) 19:08:49.95 ID:Wd5LPiAv
>>147
>それも原爆と北方4島を余計に失って。

ドイツは決して親日ではないしこのシュミットという人物も親日ではないが、それでもナチスドイツ国防軍
を褒めて旧日本軍を貶める論法はいかなる意味でも成り立たないことは、以下のとおりだ。

第二次世界大戦終了後の連合軍による日本とドイツに対する処遇も極めて異なっていました。日本は一九四五年に、
二度にわたる原子爆弾の投下を体験した世界で唯一の国です。しかしながら、失われた人命に比べると、
領土はさほどでもありません。反対にドイツの場合は広大な領土を失ったのみならず、終戦直後は四分割され、
その後二分割の状態が長年つづきました。日本はネーションとしての統一も、中央政権の統一も維持することが許されました。
日独間で完全に同様のことといえば、多くの人命が失われたことです。

ベルリン日独センター設立25周年を祝う事業の一つとして、2010年10月20日にヘルムート・シュミット元首相
を迎えて記念講演会が開催されました。
http://blog.goo.ne.jp/tanemakuhito1921/e/e1d694b9319069d30dfa1fea949a99b3
154 :
名無し三等兵
2016/09/19(月) 19:23:57.33 ID:jrOsCpxL
アホか牟田口なんか陸自じゃ反面教師として扱ってるわ!戦史教育ではなってはならない指揮官代表。
155 :
名無し三等兵
2016/09/20(火) 12:54:41.65 ID:+qtdGVpW
>>151
敵前逃亡でますます犠牲者が出たんだが?
鬼畜佐藤
156 :
名無し三等兵
2016/09/20(火) 15:12:44.81 ID:16RdR1uK
ヤマモトガーさえ言わなきゃ、ムッチーもタダの能無しで済んだのに。
今や連合国の手先となって第15軍将兵を殺し、原爆を落とす暇をアメリカに与え、ソ連には北方4島を進呈した売国奴w
157 :
名無し三等兵
2016/09/20(火) 16:33:59.13 ID:16RdR1uK
さて、Dデイの舟艇を遅らせた作戦Aが実在したとする。
一か月遅れの(つまり史実の)Dデイは、ムッチーが顔色で察してとか戯言抜かしてた頃だよね?

つまり、作戦Aの意義にDデイの阻止を上げるなら、失敗してる。
それ以降の損害は全くの無意味ということになる。ムッチーは顔色で察してちゃんなので、この点だけで無能の評価が付く。

Dデイは一か月遅れの6月上旬。
って事は5月上旬にイギリス沿岸に必要だった船を、インパール作戦により拘束してたと主張する訳だ。

いや、山の取り合いに上陸用舟艇なんか何に使うんです?w
まさに馬鹿の妄想だよねw
158 :
名無し三等兵
2016/09/20(火) 16:39:22.63 ID:16RdR1uK
5月上旬にイギリスに必要な船が、インパール作戦対応の為インドに無いと困る理由を土足がでっち上げた場合:
上陸用舟艇に踏まれたとか追われたとか言う公式記録が有るなら見せて欲しい物ですw
159 :
名無し三等兵
2016/09/20(火) 19:59:40.85 ID:cIXsfOKh
>>155
いまさら60連隊がかわいそう、というおためごかしですか、太田さん?
160 :
名無し三等兵
2016/09/20(火) 20:36:21.88 ID:tCwWsawC
>>157
>Dデイは一か月遅れの6月上旬。
って事は5月上旬にイギリス沿岸に必要だった船を、
>インパール作戦により拘束してたと主張する訳だ。

かつて多くの歴史家が、米軍は開戦当初の 2 年間、「ドイツ第一主義」戦略を遂行できなかったとし、その理由を
1942 年にはアメリカ軍兵力の多くが欧州や北アフリカよりも太平洋に配備されていたこと、そして 1943 年には欧
州と太平洋の兵力分布が均衡していたためだと論じた。しかしこの主張は「ドイツ第一主義」戦略がかなりの程度、
日本の軍事力の過小評価に基づいていたという事実を見落としている。結果として、ルーズベルトは政治的理由(つ
まりアメリカの国内世論)だけでなく軍事的理由からも、開戦前に想定された以上の戦力を太平洋に投入せざるを得なかった。
http://www.nids.go.jp/event/forum/pdf/2014/07.pdf
161 :
名無し三等兵
2016/09/20(火) 20:41:39.99 ID:pdyNTi+7
>>158
>上陸用舟艇に踏まれたとか追われたとか言う公式記録が有るなら見せて欲しい物ですw

何でヒトラーが太平洋戦争に合わせて対米宣戦布告したのかを、もう一度調べなおしたほうがいい。
162 :
名無し三等兵
2016/09/20(火) 20:44:26.33 ID:qusXx17c
>>158
>上陸用舟艇に踏まれたとか追われたとか言う公式記録が有るなら見せて欲しい物ですw

無知とは罪深いものだな。

 ペンタゴンの軍首脳者たちの考えは、総体的に、シェンノートの航空作戦計画、およびそれを
支えるための大量補給の努力は、アメリカの兵力、資材の浪費であって、ほかの地域の作戦を
妨害するものであるということに一致していた。
 シェンノートの方針は、中国において実効をあげず、ヨーロッパでの活動に制約をあたえていた。
 それは、飛行機やそのほかの装備品を、イタリアから中国に補給がえをしたためである。
 この見解は、一九四四年七月四日にルーズベルト大統領に提出された、中国の危機に関する
統合参謀本部の公式報告に記述された。
 この公式報告は、シェンノートの作戦原理に反論していて、第二次大戦中に発行された
文書のなかでも、一番おかしな内容の文書であった。
http://ktymtskz.my.coocan.jp/J/aircraft/chaina8.htm
163 :
名無し三等兵
2016/09/20(火) 20:51:00.98 ID:lH9+rys9
Dデイが遅れたのは、上陸用舟艇よりは航空戦力の引き抜きによるってことだな。
164 :
名無し三等兵
2016/09/20(火) 20:52:14.68 ID:cIXsfOKh
英軍はアンダマン諸島上陸のための33軍団を4月にディマプール防衛に投入していて
もうインドに船は要らないんだが?

むしろインパール作戦のおかげで船舶は不要になった。
165 :
名無し三等兵
2016/09/20(火) 21:23:28.26 ID:cHvn4N4y
>>163
ビルマ方面に回ってきたのは、その当時、ヨーロッパ戦線では、旧式化したスピットのmk9なんだけど。
166 :
名無し三等兵
2016/09/20(火) 21:37:20.08 ID:3bKWv2Fg
>>165
>その当時、ヨーロッパ戦線では、旧式化したスピットのmk9

−P.クロステルマンは、1944年の状況について次のように書いています。
「…フォッケウルフFw190やメッサーシュミットBf109との戦いでは、タイフーン部隊はしばしば12機中6〜7機
の損害を出していた。スピットファイアは無力であった…」
タイフーンというのはイギリスの戦闘爆撃機で、戦闘機スピットファイアがこれを護衛したわけです。それで質問なのですが、
あなたのいた戦闘機連隊が護衛した襲撃機も、1944年には同じような規模の損害を出していたのでしょうか?
 いいや。あんた、何を言ってんだ?!12機の襲撃機で出て6機落とされるなんて、護衛機の隊長は軍法会議ものだよ。
議論の余地もないね。1944年はおろか、1943年だって許されないレベルの損害だ。
−それでは、どの程度の損害までなら許容されたのでしょうか?
 12機なら1機、多くても2機だな。もしも6〜10機のヤクに対し、12〜16機の「メッセル」が襲ってきた場合の話だ。
それだったら、あるいは許してもらえたかもしれん。許してもらえるといったって、それは軍法会議にかけられないだけの話で、
いずれにしても護衛隊の長機は陰で色々言われることを覚悟せにゃならんがね。
http://www.geocities.co.jp/SilkRoad/5870/YAK.html
167 :
名無し三等兵
2016/09/20(火) 21:42:46.83 ID:3bKWv2Fg
>>165
>その当時、ヨーロッパ戦線では、旧式化したスピットのmk9

サフォーノフは2機を落とし、3機目に襲いかかったのですが、そこで雲の中から出てきたメッサーシュミット
の攻撃を受け、海へと落下したのです。友軍機はヴァエンガに駐留していました。ただ、飛行機と言っても
実情はどうでしょう?30機か40機がいただけです。その後になって、イギリスからハリケーンが供与される
ようになりました。けれども、本当に馬鹿みたいな飛行機だったよ!どうしてか分かるかね?ドイツのメッサー
シュミットBf109は、簡単にハリケーンを落としてしまったんだから。イギリス人は黄金と引き換えにハリケーン
を送ってきたのです。私たちは、イギリスで作られている他の飛行機を供与してもらうべく交渉を始めました。
しかし、チャーチルは結局それを断ったんですね。一方、ルーズベルトは私たちに「コブラ」を送ってくれました。
いい飛行機だったけれども、ベアリングの調子が今ひとつ思わしくなかった。私たちはこれを伝え、
アメリカ人も改修を施したので、それから我が国に供与されるようになりました。後に、ポクルィシキンも
コジェドゥープもこの機体でメッサーシュミットを落としたのです。エアラコブラというのは、あれは本当に
いい飛行機でしたよ。ルーズベルトはきちんとした人だった。アメリカ人の中でも、ハリマンとホプキンスは
とりわけよく私たちを助けてくれました。彼らは[ソ連に]やって来て、ロシアを支援すべきだと報告したわけです。
それで、ルーズベルトは支援を行った。たくさんの飛行機、戦車もたくさん送られてきました。一方のチャーチルは、
自分がいらないものをみんな送りつけてきただけです。私たちは80トン近い金を引き渡しました。けれどもこれ
らの金は、船で運ぶ途中にほとんどみな沈んでしまったのです。しかしその一部は送り届けられましたが、
一部は今でもバレンツ海の海底に横たわっています。
http://www.geocities.co.jp/SilkRoad/5870/beseda74.4.html
168 :
名無し三等兵
2016/09/20(火) 21:44:54.78 ID:3bKWv2Fg
>>164
>むしろインパール作戦のおかげで船舶は不要になった。



チンドウィン川は、流れがとても速い川で、その地点では幅が600ヤード(約550m)ほどありました。
わたしたちの装備、そして約3500名の兵士と1350頭のラバが川を渡るために利用できるのは、
装備を乗せて輸送するだけで精いっぱいの空気注入式の攻撃用舟艇だけでした。ですから、
ラバは攻撃用舟艇の後ろを泳がせました。
http://cgi2.nhk.or.jp/shogenarchives/shogen/movie.cgi?das_id=D0001130021_00000
169 :
名無し三等兵
2016/09/20(火) 21:47:32.35 ID:3bKWv2Fg
>>165
>その当時、ヨーロッパ戦線では、旧式化したスピットのmk9

Production from the synthetic plants declined steadily and by July 1944 every major plant had been hit.
These plants were producing an average of 316,000 tons per month when the attacks began.
Their production fell to 107,000 tons in June and 17,000 tons in September. Output of aviation
gasoline from synthetic plants dropped from 175,000 tons in April to 30,000 tons in July and 5,000 tons in September.
http://www.anesi.com/ussbs02.htm

>Output of aviation gasoline from synthetic plants dropped from 175,000 tons in April to
>30,000 tons in July and 5,000 tons in September.

アルフレート・グリスラフスキ
―ロシアの前線で戦った搭乗員と、ドイツ本土防空戦の参加者との感覚の違いをお聞きしてもいいでしょうか?
 ロシアでは戦争そのものも、飛行機も、戦いも全く異なっていましたね。ロシアで行われていたのは純粋
な空中戦でした。仕事…うーん…ゲームというのとも違うな、スポーツ、そう、スポーツに似たような感じです。
もしもこのような表現が許されるのであれば。生存を賭けたギリギリの戦いではありませんでした…一方、
ここドイツでは、高高度から街々に爆弾が降り注がれ、辺り一面で爆発が起きるのを見ながらの戦いですから、
より個人的な、より感情的なものとなりましたよ。連合軍の爆撃機は800機ずつ、そして戦闘機も同じくらい
の数がやって来る。これは全く違う戦場です。ここドイツでは、搭乗員の命は平均して7日だけ、
1週間だけしかもちませんでした。ロシアではこれほどの緊張はありません。勿論、損失は出ていたのですが、
しかしたったの7日間ということはなかった。
http://www.geocities.co.jp/SilkRoad/5870/grislavski1.html
170 :
名無し三等兵
2016/09/20(火) 21:54:23.44 ID:q3qaTCWc
>>165
>ビルマ方面に回ってきたのは、その当時、ヨーロッパ戦線では、旧式化したスピットのmk9なんだけど。

もしもドイツ空軍が本当に西高東低型の対応を取っていたのであれば、彼らはソ連軍をなめており、
その代償を支払わされたと言うしかない話だ。結局のところ、ドイツの戦争はソ連軍にベルリンへ突入
されたことで終わったのだから…
http://www.geocities.co.jp/SilkRoad/5870/nastuplenie2.0.html
171 :
名無し三等兵
2016/09/20(火) 21:59:28.53 ID:q3qaTCWc
>>165
>ビルマ方面に回ってきたのは、その当時、ヨーロッパ戦線では、旧式化したスピットのmk9なんだけど。

オマケの片手間の対日戦争であっても、ソ連は立派に樺太千島を得ているのだが?
172 :
名無し三等兵
2016/09/20(火) 22:03:56.44 ID:cIXsfOKh
>>168
>空気注入式の攻撃用舟艇

ゴムボートだよねw
173 :
名無し三等兵
2016/09/20(火) 22:45:31.55 ID:q3qaTCWc
>>172
ゴムボートは上陸用舟艇には入らないのか?
174 :
名無し三等兵
2016/09/20(火) 22:47:46.87 ID:q3qaTCWc
そういや1940年のダンケルクはつーと、漁船まで動員してたよな。
175 :
名無し三等兵
2016/09/20(火) 23:00:46.31 ID:cIXsfOKh
>>173
ノルマンディーはゴムボートで上陸作戦をしたのか?
176 :
名無し三等兵
2016/09/20(火) 23:16:08.76 ID:cHvn4N4y
>>166-171
図星を突かれて都合が悪くなると、直接関係ないコピペを貼ってごまかすのは、
土足譲りですね。
177 :
名無し三等兵
2016/09/20(火) 23:19:22.99 ID:cIXsfOKh
だつおはネタ士としてのセンスが無い
178 :
名無し三等兵
2016/09/20(火) 23:32:37.81 ID:HnPdDFA6
インパール作戦は
@牟田口中将が 皆の反対を押し切って強引に強行した
A補給を無視した卑劣な作戦で
B勝算が全く無く、やる意義も無い作戦だった
と宣伝流布されてきた。

しかし詳しく検証すれば、これらの批判は全て大嘘。
文芸春秋社などの商売目当てのエセ保守勢力である
半藤一利ら主導による、政治的作為と利権にからんだ
悪意と捏造と曲解による大嘘ばかり。

これらは東京裁判史観と陸軍悪玉論を定着させ責任転嫁したい
戦後の権力者に迎合し、地位と名誉と利権を得ようとする
商売作家が創作したプロパガンダ小説の作り話しでしかない。

バカ作家、エセ保守、平和ボケ団塊左翼らがいい加減に流布してきた大嘘の近代史は、
全てを再検証し見直す必要がある。

日本を大敗させたアホの戦犯は、独断でハワイ奇襲を強行し
アメリカを本気で怒らせ、全面参戦を決意させた史上最悪の愚将・山本五十六である。
山本が主導した太平洋戦線の作戦全てこそが、
インパール作戦より全ての面で遥かに愚劣、補給も勝算も考えない
無茶苦茶な作戦で、展望のない無駄な戦いであった。

インパール作戦こそが開戦前に国が決定した 「対米英蘭蒋戦争終末促進に関する腹案」
に示された大東亜戦争の本来の国家方針に従った国運をかけた大儀ある重大な作戦である。
連合軍側の見解から見て牟田口の指揮は、その通りやれば作戦は難なく成功しており、
無謀な作戦だったとは言えない。
179 :
名無し三等兵
2016/09/21(水) 01:07:02.08 ID:PsrQqom7
>>176
効いてる効いてるw
180 :
名無し三等兵
2016/09/21(水) 01:11:33.33 ID:cQlS1ut/
>>175
>ノルマンディーはゴムボートで上陸作戦をしたのか?

ノルマンディ〜マーケットガーデン作戦までE中隊にいたウェブスターが復帰。
怪我をしたため入院してたが、4ヶ月以上たってて仲間からは補充兵あつかいに。
戦況は、ライン川を挟んで睨み合いの状態。
上からの命令により、ドイツ兵を捕虜にする作戦が発案される。
斥候15人は、第2小隊全員。優秀すぎるのも大変だなあ・・・
ウェブスターと一緒に、E中隊に配属されたジョーンズ少尉は、戦闘を経験するため自ら志願して斥候に参加します。
ゴムボートでライン川を渡り、目的の建物へ。突入の際、ジャクソンが手榴弾で重症をおいます。痛そう・・・
捕虜2名を確保し、味方の陣地へ帰る際、反撃を受ける。
夜中なんで暗いんですが、銃撃や爆撃のたびに一面明るくなる。恐い映像なんですが、凄く綺麗です。
やっとの思いで帰ってきた第2小隊だが、ジャクソンは自分が投げた手榴弾の破片が致命傷になり死亡。
小隊に暗い雰囲気に・・・
http://app.f.m-cocolog.jp/t/typecast/1195094/1215375/53791274
181 :
名無し三等兵
2016/09/21(水) 01:15:48.38 ID:z6m6+nxc
>>165
>その当時、ヨーロッパ戦線では、旧式化したスピットのmk9

あんたの大好きなグリフォンスピットのことなら、別スレでとうぞ。
182 :
名無し三等兵
2016/09/21(水) 06:28:06.99 ID:TswRNSVN
いやいや、そりゃ攻勢に廻る場合は舟艇が欲しいかもだが、時系列で考えろよ馬鹿土足。
船をインドから引き抜いたと主張するなら、
インパール作戦が始まって「逃げて良い?」とジファードが泣きわめいてたと主張してた頃に
船を送らないと6月の(つまり遅れた)Dデイまでにイギリスに着いてフランス行きの荷物を積めないの。

つまり、約束の五月に船が足りないのはインパール作戦の前(または作戦が筒抜け)の問題。
183 :
名無し三等兵
2016/09/21(水) 06:32:48.82 ID:TswRNSVN
そもそも、防御する側が川を盾にする状況なんだから、
ろくな武装もない舟艇(まして盾にも使えないゴムボートw)はインパール防衛には不要。
184 :
名無し三等兵
2016/09/21(水) 06:36:27.56 ID:TswRNSVN
次に、引き抜いたのは航空機と逃げた馬鹿も。
往復にかかる時間は減るけど、五月中にインドから出ないと史実のDデイに間に合わないって問題は変わらない訳で。
つまり、5月中旬からめっきり空爆が減るはずなんだよね。
(実際には雨期になるもうちょっと後まで容赦なし)
185 :
名無し三等兵
2016/09/21(水) 07:49:30.65 ID:z6m6+nxc
>>182
>船をインドから引き抜いたと主張するなら、

無知とは恐ろしいものだな。

問題は、再びどのようにして十分な上陸用舟艇を確保するかであった。英米とも、「オ
ーバーロード」作戦と「アンヴィル」作戦(フランス南部への上陸作戦)を 1944 年中
頃に実施したいと考えていた。一方、チャーチルは、むしろ引き続きバルカン諸国や地
中海東部におけるドイツの弱体化を狙っており、連合国側について参戦するようトルコ
を説得した。それらのすべての作戦には上陸用舟艇が必要であった。ローズベルトは、
チャーチルが提案した地中海東部での作戦ではなく、「バッキャナー」作戦に上陸用舟艇
を使用することを希望した。しかし、チャーチルは、「アンヴィル」作戦にも上陸用舟艇
が必要なことをローズベルトに念押しして、オーバーロード/アンヴィルの両作戦を実
施する直前まで、地中海東部に上陸用舟艇を維持しておくのが理にかなった方法である
と主張した60。ここでもまた、欧州最優先の戦略によって、対日戦のための資源が他に
回されたのである。1943 年 12 月カイロにおいて開かれた英米首脳会談において、チャ
ーチルはローズベルトを説得して「 バッキャナー」作戦を中止させた。
http://www.nids.go.jp/event/forum/pdf/2002/forum_j2002_4.pdf
186 :
名無し三等兵
2016/09/21(水) 07:54:50.86 ID:z6m6+nxc
>>183
>防御する側が川を盾にする状況なんだから、

1944年以降の連合軍が防戦一方なんて有り得んぞ?  バグラチオン作戦って知ってるか?
187 :
名無し三等兵
2016/09/21(水) 07:59:08.13 ID:z6m6+nxc
>>182
>約束の五月に船が足りないのは

約束の五月に船が足りないのは、どんな理由かを述べろ。
188 :
名無し三等兵
2016/09/21(水) 08:04:53.62 ID:2P27pKbW
>>182
>約束の五月に船が足りないのは

「やるやる詐欺」だったの?
189 :
名無し三等兵
2016/09/21(水) 08:17:39.88 ID:iIVr8NSq
こんなもん、ちっと調べればイタリア情勢が苦戦していて
予定より遅れていたことが延期の原因だってことがわかるのに
なにを考えていたら騙せると思うのやらw

>>186
何年のどこの軍隊だろうとどの局面でも防御しないバカな軍隊はおまえの頭の中にしかないよw
190 :
名無し三等兵
2016/09/21(水) 08:18:52.15 ID:2P27pKbW
 こうした理由から、上陸地点はノルマンディに決定された。次いで検討されたのが上陸部隊の規模である。
これは上陸当日に利用できる上陸用舟艇の数に左右される。
 この、第二次大戦が生んだ新奇な船は、連合軍の全ての作戦に必要とされていた。特にノルマンディ作戦
と競合してこの種の船を必要としていたのが、日本と戦う太平洋戦線である。とにかくここでは上陸作戦を
やらないと何も始まらないから、とにかく割り当てを増やしてほしいという要請が絶えず出されていた。
舟艇を管理するのは海軍であり、アメリカ海軍にとって戦争とはすなわち太平洋戦争のことであったから、
アメリカ海軍はノルマンディ作戦に舟艇を割くのを渋り続けた。この調整には、最終的には陸軍参謀総長
マーシャル将軍と海軍作戦本部長キング提督のトップ交渉が必要だった。こうやって決定された割り当てにより、
上陸部隊を5個師団とすることが可能となった。
http://homepage2.nifty.com/daimyoshibo/mil/normandie.html

 将兵と兵器を上陸地点まで運ぶため、特殊艦も数多く開発された。もっとも成功したのが戦車揚陸艦
(LST)であり、これは多くの点で第二次大戦でももっとも重要な舟艇となった。ウィンストン・チャーチルは後に、
連合軍のヨーロッパ大侵攻を計画した際に生じた問題について述べている。
「この困難な(戦略上の)問題は、すべてLSTの極度の不足というただ一点から発生している。
英米のニ大国の計画が一〇〇か二〇〇の特殊な船によってほとんど骨抜きにされ、制限を受けるなど、
歴史にその例を見ないであろう」
<日本殲滅 日本本土侵攻作戦の全貌 / トーマス・アレン/著 ノーマン・ポーマー/著 栗山洋児/訳 >
191 :
名無し三等兵
2016/09/21(水) 08:23:15.52 ID:2P27pKbW
>>189
>イタリア情勢が苦戦していて予定より遅れていたことが延期の原因

イタリア戦線は1943年12月のテヘラン会談のときも継続中だから、イタリア戦線はDデイ延期の理由にはなり得ない。
そもそもイタリア戦線は、決してソ連の主張する「第二戦線」ではない。何のためテヘラン会談だったのか。
192 :
名無し三等兵
2016/09/21(水) 08:24:35.64 ID:2P27pKbW
>>189
>イタリア情勢が苦戦していて予定より遅れていたことが延期の原因

1943年6月、地中海戦線(North Africa & Italy)のドイツ軍師団数はゼロって知ってるか?

Location Of German Divisions In June Of Each Year
Country      1941   1942   1943  1944
USSR        34     171   179   157
France, Belgium
& Holland      38     27    42    56
Norway & Finland 13     16    16    16
Balkans       7       8     17    20
Italy          0       0     0     22
Denmark       1       1     2     3
North Africa     2       3     0     0
http://www.angelfire.com/ct/ww2europe/stats.html

前年まではゼロだったイタリア戦線が、1944年6月になって22個師団になっているが、
これは実質的に米英がドイツ軍と交戦するのは1944年以降だったということを示している。

 十一月には商船六隻、二万三〇〇〇トン、十二月には七隻、四万八〇〇〇トンを撃沈しただけだった。
 そしてこの二ヵ月間に、同じ船団航路上で一六隻のUボートが失われたのである。
 これをあの三月の実績にくらべると、信じられぬほどである。三月には北大西洋だけで八〇隻、
四七万六三四九トンの商船が撃沈されているのに、Uポートの損失はわずか六隻にすぎなかった。
http://ktymtskz.my.coocan.jp/E/EU2/uboot14.htm

海運状況にしても、1943年末までにUボートの脅威も無くなってた。
193 :
名無し三等兵
2016/09/21(水) 08:28:59.83 ID:2P27pKbW
>>189
>イタリア情勢が苦戦していて予定より遅れていたことが延期の原因

1943年12月のテヘラン会談は、イタリア戦線が片付くまではDデイを延期するという内容だったのか?
194 :
名無し三等兵
2016/09/21(水) 08:31:33.73 ID:2P27pKbW
>>189
>何年のどこの軍隊だろうとどの局面でも防御しないバカな軍隊は

本当にバグラチオン作戦を知らないのか?
195 :
名無し三等兵
2016/09/21(水) 08:42:34.89 ID:bG/KDVDW
>>189
>イタリア情勢が苦戦していて予定より遅れていたことが延期の原因

ソ連はナチスドイツとの戦いで苦戦したものの、対日参戦は約束通りにやってるぞ?
196 :
名無し三等兵
2016/09/21(水) 08:46:50.96 ID:gOKDGRmX
>>182
>約束の五月に船が足りないのは

米英はできもしないことを約束したの? 何かが大きく間違ってたんじゃ?
197 :
名無し三等兵
2016/09/21(水) 08:52:55.40 ID:vepgvVrq
>>189
>何年のどこの軍隊だろうとどの局面でも防御しないバカな軍隊は

インパール作戦における英連邦の「防御」のために、Dデイはまた1ヶ月遅れてしまった。
198 :
名無し三等兵
2016/09/21(水) 09:45:07.03 ID:PivCqYIy
>インパール作戦における英連邦の「防御」のために、Dデイはまた1ヶ月遅れてしまった

正直に攻勢防御という戦術が理解できません、と白状したら?w
199 :
名無し三等兵
2016/09/21(水) 12:26:04.83 ID:KEhOKynV
>>198
>正直に攻勢防御という戦術が理解できません、と白状したら?w

申し訳ありませんが、バグラチオン作戦が「攻勢防御」だったとは、到底理解できません。
200 :
名無し三等兵
2016/09/21(水) 12:27:43.41 ID:KEhOKynV
バグラチオン作戦について、あれが「攻勢防御」だったと書いてある本が見つからず困ってます。
201 :
名無し三等兵
2016/09/21(水) 12:39:53.18 ID:iIVr8NSq
>>194
バグラチオン作戦がどうかしたのか?
攻勢作戦を行っていると防御局面は絶対に発生しないのか?
これは攻勢作戦だから絶対に防御しないから突撃するぞとかいう
バカな軍隊がおまえの脳内以外にどこかあるのか?
202 :
名無し三等兵
2016/09/21(水) 13:21:38.67 ID:PivCqYIy
>>199
だれかバグラチオン作戦が攻勢防御といいましたか?
203 :
名無し三等兵
2016/09/21(水) 13:21:58.06 ID:iIVr8NSq
>1944年以降の連合軍が防戦一方なんて有り得んぞ? 
つバルジ

相手の攻勢防御はどう反応するんだろうw
子供のけんかみたいにお互い手を振り回して衝突でもするのか?w
204 :
名無し三等兵
2016/09/21(水) 13:24:59.34 ID:PivCqYIy
インパール周辺でソ連軍がバグラチオン作戦を開始していたw
205 :
名無し三等兵
2016/09/21(水) 18:40:53.21 ID:Ig7/fkOL
インパール作戦のおかげでインドが解放された。
206 :
名無し三等兵
2016/09/21(水) 19:28:15.55 ID:Pq6/nguy
>>201
>これは攻勢作戦だから絶対に防御しないから突撃するぞとかいうバカな軍隊

バグラチオン作戦のソ連軍がどうかしましたか?
207 :
名無し三等兵
2016/09/21(水) 19:29:48.14 ID:Pq6/nguy
>>203
バルジの戦いは、1ヶ月で米軍が巻き返してるはずだが?
208 :
名無し三等兵
2016/09/21(水) 19:32:35.02 ID:IvPhV2a5
牟田口の無能さはどんな屁理屈を並べても変わりません!職業的に軍事を司る陸上自衛隊がこの作戦を幹部はもとより陸曹教育まで、負の反面教師的に扱ってます。
糧食の補完能力が出来ない幹部は「牟田口かよ」と揶揄されるぐらいなってならない人物像とされてるのが現状です。牟田口をいくら擁護しても後継組織ではその扱いです。
209 :
名無し三等兵
2016/09/21(水) 19:35:32.79 ID:LwDumuXy
>>203
バルジの戦いは、米軍が不覚を取った。
210 :
名無し三等兵
2016/09/21(水) 19:37:16.77 ID:Pq6/nguy
>>208
>糧食の補完能力が出来ない幹部は「牟田口かよ」と揶揄されるぐらいなってならない人物像

「第二の罪 ドイツ人であることの重荷」(ラルフ・ジョルダーノ 白水社)P201
 西部方面においてと同様に、ドイツ指導部は東部においても電撃的な攻撃と
勝利を見込んでいた。そのため、それに対応する数の捕虜が生じることになった。
東部経済本部部長だったヴィルヘルム・シューベルト陸軍中将の報告からは、
飢餓による捕虜の集団死亡が計画に入れられていたことが明らかになる。
各省の次官に宛てたこの報告は、征服されるべきソ連地域の農業搾取を扱った
ものだった。その中には一九四一年五月二日付けで次のように記されている。
 「戦争の三年目(一九四一年から一九四二年にかけて)において全国防軍を
ロシアからの食料で養いうる場合のみ、戦争を継続しうる。この場合、
われわれが必要とするものをロシアから持ち出せば数千万の人間が餓死
することは間違いない。最も必要なのは油種子・油粕の確保と搬出であり、
穀物はその次だ。現存する脂肪と肉は軍が消費すると推定される。」

>全国防軍をロシアからの食料で養いうる場合のみ、戦争を継続しうる

ナチスドイツは初めからあてにあるはずもない占領地からの収奪だけを期待して戦争を始めたわけだが?
211 :
名無し三等兵
2016/09/21(水) 19:42:18.99 ID:LwDumuXy
>>203
インパール作戦はカセリーヌ峠やバルジと同じくらいの衝撃を、連合軍に与えた。
212 :
名無し三等兵
2016/09/21(水) 19:45:39.68 ID:IvPhV2a5
>>210
だから負けたんだろタワケ!
213 :
名無し三等兵
2016/09/21(水) 19:57:06.72 ID:PivCqYIy
>>205
いや、バクラチオン作戦のおかげでインドは解放された。

ありがとうソ連邦!!W
214 :
名無し三等兵
2016/09/21(水) 20:26:23.76 ID:2l1QthRD
>>213
>バクラチオン作戦のおかげでインドは解放された。

ベトナムに関していえば、まさにファシスト・ドイツが無条件降伏したという知らせが入った後、ベトナム共産党は、
人民蜂起の準備を活発化し、その勝利がベトナムに自由をもたらしたのです。第二次世界大戦は、
人類の歴史に新しい時代を開いたと言ってよいでしょう。そして、その時代の特徴となったのは、ソ連の影響力の拡大と
アジア・アフリカ諸国民の独立を目指す戦いでした。」
http://jp.sputniknews.com/japanese.ruvr.ru/2012_09_02/86931349/
215 :
名無し三等兵
2016/09/21(水) 20:29:47.99 ID:2l1QthRD
>>212
大陸打通作戦は大勝利だったが?
216 :
名無し三等兵
2016/09/21(水) 20:38:48.32 ID:2l1QthRD
>>189
>イタリア情勢が苦戦していて予定より遅れていたことが延期の原因

1943年12月のテヘラン会談のときのイタリア戦線はどうだったの? その後ドイツ軍が大きく巻き返したの?
217 :
名無し三等兵
2016/09/21(水) 20:40:47.90 ID:MDhaEOGs
日本軍は大陸打通作戦で大きく巻き返してるからね。ドイツ軍もイタリア戦線で頑張ってたに違いないさ。
218 :
名無し三等兵
2016/09/21(水) 21:32:18.87 ID:zwjVu2NH
なんかここ、議論が物凄く白熱してきてるよな。
219 :
名無し三等兵
2016/09/21(水) 21:56:07.16 ID:nrZHa4gN
>>189
>イタリア情勢が苦戦していて予定より遅れていたことが延期の原因

ムッソリーニが殺されてイタリア戦線が終わる頃には、既にベルリン陥落してたよw
220 :
名無し三等兵
2016/09/21(水) 21:57:52.55 ID:nrZHa4gN
これではヨーロッパがヘタレなのかソ連が凄いのかわからなくなるぜw
221 :
名無し三等兵
2016/09/22(木) 01:17:28.36 ID:PMaTPDfw
>>189
>イタリア情勢が苦戦していて予定より遅れていたことが延期の原因

ところでイギリス潜水艦はよくイタリア軍に撃沈されてるが、 イタリア海軍の対潜技術ってのは日本やドイツよりも優れていたのか?

         LOSS BY ENEMY
ROYAL NAVY
Warship types   German Italian Japanese French Other(a) Unknown Total
Capital ships       3    -      2     -    -      -     5
Carriers          8    -      1     -    1      -    10
Cruisers         20    6     5     -     3     -     34
Destroyers       114   15     8     1(b)   15     -    153
Submarines (c)     24    37     4      -     6      5     76
TOTALS        169    58     20     1    25     5     278

http://www.naval-history.net/WW2CampaignRoyalNavy.htm
222 :
名無し三等兵
2016/09/22(木) 08:55:07.10 ID:makHMN7J
>>207
インパール作戦もやっぱり巻き返していますが?
223 :
名無し三等兵
2016/09/22(木) 10:04:29.08 ID:Mv2+Klqk
4月下旬にタイガー演習で死人が出てるんだよね。
その対策が出来るまでは船が有ろうと本番の実行は無いわけで。

インパール全く無関係w
224 :
名無し三等兵
2016/09/22(木) 10:05:58.69 ID:vNnWBESY
そもそもインパール作戦はヒトラーを1ヶ月延命させるために発動したわけじゃないし
225 :
名無し三等兵
2016/09/22(木) 13:06:35.30 ID:makHMN7J
>>216
イタリアで苦戦していたからノルマンディーが延期されたっていうのに
延期される前の予定を決めたテヘラン会談でイタリアの情勢がなにか関係あるの?

あえていうなら5月に行えると判断できる情勢でしょ。
ドイツが巻き返したといえばいえるわな。
前線で遅滞戦闘を行っている間に防衛ラインを整備したんだから。
226 :
名無し三等兵
2016/09/22(木) 14:22:56.17 ID:T0BpXcRJ
>>225
>延期される前の予定を決めたテヘラン会談でイタリアの情勢がなにか関係あるの?

テヘラン会談とときは、イタリア戦線なんて無かったとでも言いたいの?
227 :
名無し三等兵
2016/09/22(木) 14:25:01.04 ID:T0BpXcRJ
>>225
>ドイツが巻き返したといえばいえるわな。
>前線で遅滞戦闘を行っている間に防衛ラインを整備したんだから。

何作戦ってのがあった? 無知な俺のためにリンク一つ貼ってくれない?
228 :
名無し三等兵
2016/09/22(木) 14:30:40.57 ID:T0BpXcRJ
>>223
>4月下旬にタイガー演習で死人が出てるんだよね。

要するにイギリスは米軍抜きでは何と出来なかったってことだなw
229 :
名無し三等兵
2016/09/22(木) 14:33:32.18 ID:T0BpXcRJ
>>225
>イタリアで苦戦していたからノルマンディーが延期されたっていうのに

ムッソリーニが殺されるのは1945年4月末だが、イタリア戦線で英連邦が「苦戦」してる間に、ソ連はベルリン突入してた。
230 :
名無し三等兵
2016/09/22(木) 14:38:47.14 ID:tQRHCQwY
>>225
>前線で遅滞戦闘を行っている間に防衛ラインを整備したんだから。

バグラチオン作戦凄すぎってか?

 六月二十二日の“威力偵察”にはじまり、二十三日にソ連軍攻勢作戦『バグラティオン』が本格化してみると、
独ソ両軍の優劣の差は、ソ連軍の推算以上に大きかった。
<中略>
 とくに空軍戦力の差は、ひどかった。
 第六航空軍は、約六百八十機を保有していることになっていた。
 ところが、ソ連機をむかえて飛びたったのは、わずか四十機―。
 残りは整備不十分または燃料不足で飛べず、舞い上がった四十機にしても、
ガソリンが無いために三回以上の出撃はできない有様であった。
<児島襄「ヒトラーの戦い 6」の464頁>

 東部では中央軍団の破局的消滅はほとんど完全だった。一九四四年七月六日の正午の会議で、
総統は北方軍団に撤退を命じることで、そこから四個師団引き出せるとのモーデルの見解を再び拒否し、
救えると思うのは幻想にすぎない、どういうことが起るかといえば、軍団は要塞化陣地と重砲と装備を
失うということだといった。ホイジンガーの方を向いてヒトラーは、この災厄でこれまで中央軍団にどれだけ
損害があったか、静かに訊ね、「一二から一五師団が包囲されていますが、全般的損害は二八個師団
に上るでしょう」と告げられた。
 なんと二八個師団である。六月二二日以降わずか二週間で、ヒトラーは三五万の訓練済みのドイツ兵
をロシア側に奪われたのだった。
「ヒトラーの戦争 下」(デイヴィッド・アーヴィング 早川書房 P238、239 )

海外「日本デカ過ぎだろ」 大戦中の世界の領土の変遷が分かる地図動画
http://kaigainohannoublog.blog55.fc2.com/blog-entry-1451.html

バグラチオン作戦と大陸打通作戦、ベルリンに翻る赤旗と南京に翻る日章旗w
対日戦争がおまけなら、日中戦争はおまけのそのまたおまけww
ちなみに朝鮮戦争で米軍は、おまけのおまけな中国に大苦戦www
231 :
名無し三等兵
2016/09/22(木) 16:39:20.96 ID:makHMN7J
>>226-230
全般的にいえることだが日本語よめるか?

>テヘラン会談とときは、イタリア戦線なんて無かったとでも言いたいの?
だ〜れもそんなこたいってない。
>延期される前の予定を決めたテヘラン会談でイタリアの情勢がなにか関係あるの?
といったんだ。

>>227
モンテカッシーノの戦いとかか?
イタリア戦線でぐぐってみ。

>>229-230
英米が西部戦線に戦力を引きつけてくれたおかげだな。
特に航空機の影響がでかすぎる。
232 :
名無し三等兵
2016/09/22(木) 19:38:36.11 ID:06EbezmA
>>231
>英米が西部戦線に戦力を引きつけてくれたおかげだな。特に航空機の影響がでかすぎる。

???

米英戦略爆撃が強化されるのは圧倒的に1944年以降。

Percentage Of All Allied Bombs Dropped
Year %
1940 .8%
1941 2%
1942 3%
1943 12.8%
1944 57.9%
1945 23.5%
http://www.angelfire.com/ct/ww2europe/stats.html

1942年に投下された爆弾量は、全体の3%でしかない。

Size of opposing forces on selected strategic missions
http://www.allworldwars.com/The%20Defeat%20of%20the%20German%20Air%20Force.html

ミッション数で数えてもそんな感じだ。
233 :
名無し三等兵
2016/09/22(木) 19:40:37.14 ID:06EbezmA
>>231
>モンテカッシーノの戦いとかか?
>イタリア戦線でぐぐってみ。

いやだから、ムッソリーニが処刑されてイタリア戦線が終わる頃には、ソ連軍がベルリン突入してたっつーのw
234 :
名無し三等兵
2016/09/22(木) 19:43:52.79 ID:06EbezmA
>>231
>延期される前の予定を決めたテヘラン会談でイタリアの情勢がなにか関係あるの?

テヘラン会談の時のイタリア戦線は、無かったに等しいとでも言いたいのか?
モンテカッシーの戦いがDデイ延期の理由というあんたの主張だが、それはテヘラン会談で盛り込まれていたのか?
235 :
名無し三等兵
2016/09/22(木) 19:46:25.48 ID:06EbezmA
>>231
>延期される前の予定を決めたテヘラン会談でイタリアの情勢がなにか関係あるの?

モンテカッシーノの戦いのためにDデイを延期するんだと、テヘラン会談でそう約束したのか?
236 :
名無し三等兵
2016/09/22(木) 19:48:29.33 ID:06EbezmA
>>225
>前線で遅滞戦闘を行っている間に防衛ラインを整備したんだから。

バグラチオン作戦って知ってるか?

 六月二十二日の“威力偵察”にはじまり、二十三日にソ連軍攻勢作戦『バグラティオン』が本格化してみると、
独ソ両軍の優劣の差は、ソ連軍の推算以上に大きかった。
<中略>
 とくに空軍戦力の差は、ひどかった。
 第六航空軍は、約六百八十機を保有していることになっていた。
 ところが、ソ連機をむかえて飛びたったのは、わずか四十機―。
 残りは整備不十分または燃料不足で飛べず、舞い上がった四十機にしても、
ガソリンが無いために三回以上の出撃はできない有様であった。
<児島襄「ヒトラーの戦い 6」の464頁>

 東部では中央軍団の破局的消滅はほとんど完全だった。一九四四年七月六日の正午の会議で、
総統は北方軍団に撤退を命じることで、そこから四個師団引き出せるとのモーデルの見解を再び拒否し、
救えると思うのは幻想にすぎない、どういうことが起るかといえば、軍団は要塞化陣地と重砲と装備を
失うということだといった。ホイジンガーの方を向いてヒトラーは、この災厄でこれまで中央軍団にどれだけ
損害があったか、静かに訊ね、「一二から一五師団が包囲されていますが、全般的損害は二八個師団
に上るでしょう」と告げられた。
 なんと二八個師団である。六月二二日以降わずか二週間で、ヒトラーは三五万の訓練済みのドイツ兵
をロシア側に奪われたのだった。
「ヒトラーの戦争 下」(デイヴィッド・アーヴィング 早川書房 P238、239 )

海外「日本デカ過ぎだろ」 大戦中の世界の領土の変遷が分かる地図動画
http://kaigainohannoublog.blog55.fc2.com/blog-entry-1451.html

バグラチオン作戦と大陸打通作戦、ベルリンに翻る赤旗と南京に翻る日章旗w
対日戦争がおまけなら、日中戦争はおまけのそのまたおまけww
ちなみに朝鮮戦争で米軍は、おまけのおまけな中国に大苦戦www
237 :
名無し三等兵
2016/09/22(木) 19:51:06.98 ID:a7jEkr5B
>>225
>前線で遅滞戦闘を行っている間に防衛ラインを整備したんだから。

牟田口廉也のインパール作戦と同じってことでいいか?
238 :
名無し三等兵
2016/09/22(木) 19:52:17.09 ID:a7jEkr5B
>>231
>英米が西部戦線に戦力を引きつけてくれたおかげだな。特に航空機の影響がでかすぎる。

対中援助に寄与したアメリカの「フライングタイガー」
フライングタイガーは「中国空軍所属の中国援助アメリカ志願航空隊」の略称であり、1942年4月に創設し、
1946年4月、戦争終了後に解散された。創始者はアメリカ人飛行教官の陳納徳(シェンノート)氏であった。
1938年8月、宋美齢の求めに応じて、シェンノート氏は昆明市の郊外に航空学校を設立し、アメリカ軍の基準
で中国空軍を訓練し、中国空軍の対日戦に積極的に協力した。
1941年、ルーズベルト政府のひそかな支持の下で、シェンノート氏は個人団体の名義で巨額の資金を出して
アメリカ人パイロットとエンジニアを募集した。その年の7月と10月に、200余人もの勇敢で危険を恐れぬ隊員たちが、
対日戦参加のために中国に来た。
31回の空中戦で、フライングタイガーの志願者は5機ないし20機のP-40型戦闘機をもって217機の敵機を撃墜し、
みずからの損失はわずか14機だった。それ以後、「中国空軍所属の中国援助アメリカ志願航空隊」はフライング
タイガーのマークを使い始め、そのサメの頭の形をした戦闘機も世に名を知られるようになり、「フライングタイガー」
というニックネームも知られるようになった。抗日戦争が終わるまでに、フライングタイガーは敵機を2600機撃墜し、
積載量223万トン相当の船舶、軍艦44隻、100トン以下の内陸河川の船1万3000隻を撃沈するかあるいは大破させた。
また日本軍将兵6万6700人を撃ち殺した。フライングタイガーの隊員のほとんどは中国政府から賞を授与された。
10余人の飛行士はアメリカ、イギリス政府から飛行十字勲章を授与された。
ここ20年来、生き残りの元フライングタイガーの隊員たちはしばしば中国を訪れ、困難や危険にめげず飛行機の
残骸や戦友の遺骨を探すことに取り組んでいる。
http://japanese.china.org.cn/japanese/170095.htm
239 :
名無し三等兵
2016/09/22(木) 20:06:39.99 ID:8CPFpkUP
>>231
>英米が西部戦線に戦力を引きつけてくれたおかげだな。特に航空機の影響がでかすぎる。

連合軍による(元)蘭印(インドネシア)などへの攻撃に、
オーストラリアの基地が使用される事を遅らせるため、
日本帝国海軍や日本帝国陸軍の航空機が、
1942年2月19日〜1943年11月12日まで計64回にわたり、オーストラリア本土、
地域の主要空域、周辺諸島、沿岸輸送ラインの船舶などを攻撃した
http://seitousikan.blog130.fc2.com/blog-entry-523.html

昭和18年初春から行われたオーストラリアのダーウィンに対する、チモール島からの日本海軍
のキャンペーンでは、ゼロ戦と中攻部隊が健闘しています。
753空(一式陸攻)と202空(ゼロ)のコンビ+陸軍の百式重が参加し、相手は欧州戦線で鳴らした
クライブ・コールドウェル中佐率いる1FW(457sq&457sqRAAFプラス54sqRAF)のスピット5型で、
アゴフィルターつきのやつです。
同年3月から9月までの半年間、戦闘損失はゼロが3機に対して、スピット38機(双方ともすべての
未帰還機の累計)です。これは双方の自軍損害レポートによるもので、いわゆる「誇大戦果」ではありません。
日本側の出撃回数は半年間で大小合わせて20回足らずですが、そのうち200キロメートル内陸部、
USAAFのB-24部隊がいたフェントン飛行場へは6回攻撃をかけています。いずれも高度は7000メートル以上。
相手のスピットを考えての行動であり、特に他の戦線に比べて陸攻の被害も少なく、豪側からは「爆撃機
の防御砲火も比較的堅固であった」のようなコメントもあります。
追記2006/02/06 一式陸攻は高高度性能に優れていて、ダグラスP-70(A-20ハボックにレーダーを搭載
して夜間戦闘機としたもの)などは上昇性能で及ばなかったといいます。
戦訓による陸攻の自動消火装置も有効に作動した、と記録に述べられています。
(資料出所:「第8章 ダーウィン上空の零戦」、秦郁彦著「過信の結末(下巻)」から、中公文庫#532)
http://www006.upp.so-net.ne.jp/aviatorstale/Zero_VS_Spit.html
240 :
名無し三等兵
2016/09/22(木) 20:10:36.44 ID:8CPFpkUP
>>231
>モンテカッシーノの戦いとかか?
>イタリア戦線でぐぐってみ。

モンテカッシーノの戦いは、ソ連の主張する「第二戦線」に相当するのか?

>>231
>英米が西部戦線に戦力を引きつけてくれたおかげだな。特に航空機の影響がでかすぎる。

米英戦略爆撃は、ソ連の主張する「第二戦線」に相当するのか?
241 :
名無し三等兵
2016/09/22(木) 20:11:59.19 ID:8CPFpkUP
>>231
>英米が西部戦線に戦力を引きつけてくれたおかげだな。特に航空機の影響がでかすぎる。

四式戦闘機疾風は強すぎってか?

 ペンタゴンの軍首脳者たちの考えは、総体的に、シェンノートの航空作戦計画、およびそれを
支えるための大量補給の努力は、アメリカの兵力、資材の浪費であって、ほかの地域の作戦を
妨害するものであるということに一致していた。
 シェンノートの方針は、中国において実効をあげず、ヨーロッパでの活動に制約をあたえていた。
 それは、飛行機やそのほかの装備品を、イタリアから中国に補給がえをしたためである。
 この見解は、一九四四年七月四日にルーズベルト大統領に提出された、中国の危機に関する
統合参謀本部の公式報告に記述された。
 この公式報告は、シェンノートの作戦原理に反論していて、第二次大戦中に発行された
文書のなかでも、一番おかしな内容の文書であった。
http://ktymtskz.my.coocan.jp/J/aircraft/chaina8.htm
242 :
名無し三等兵
2016/09/22(木) 20:16:28.99 ID:s25mRM9s
>>231
>延期される前の予定を決めたテヘラン会談でイタリアの情勢がなにか関係あるの?

すると1943年までのイタリア戦線は、テヘラン会談には何の影響も無かったってことだなw
あるとしたらとんな影響だ? イタリア戦線で苦戦中だからDデイは延期だとでも?
243 :
名無し三等兵
2016/09/22(木) 20:19:18.82 ID:s25mRM9s
>>231
>モンテカッシーノの戦いとかか?
>イタリア戦線でぐぐってみ。

ドイツ軍が突如、モンテカッシーノに大攻勢をかけてきたってか?
244 :
名無し三等兵
2016/09/22(木) 20:26:23.39 ID:Mv2+Klqk
>>237
5〜6月以降の遅滞戦闘をやったのは各師団長(頭のいい怠け者は前線指揮官にすると生き残るために働くぉwの見本だったな)
ムッチーはそれさえ不可能にしかけた「勤勉な馬鹿」の方。(同じ人の説明だと銃殺でいいよそいつ、だそうなw)

>>238
つまり、英米分離なんて言う馬鹿は
245 :
名無し三等兵
2016/09/22(木) 20:26:46.70 ID:8CPFpkUP
>>225
>前線で遅滞戦闘を行っている間に防衛ラインを整備したんだから。

ベルリン陥落してるが?

むしろ前線で遅滞戦闘を行っている間に防衛ラインを整備したといえるのはのは日本陸軍で、
米軍といえども上陸作戦を躊躇われた。
246 :
名無し三等兵
2016/09/22(木) 20:31:45.47 ID:8CPFpkUP
>>223
>4月下旬にタイガー演習で死人が出てるんだよね。
>その対策が出来るまでは船が有ろうと本番の実行は無いわけで。

1943年12月のテヘラン会談以前では、米英はドイツ軍と交戦した経験が皆無だったとでも?
247 :
名無し三等兵
2016/09/22(木) 20:38:49.52 ID:8CPFpkUP
>>223
>4月下旬にタイガー演習で死人が出てるんだよね。
>その対策が出来るまでは船が有ろうと本番の実行は無いわけで。

1943年のカセリーヌ峠の戦いで米軍はドイツ機甲部隊に敗退したというが、
その後の北アフリカ戦線はどうなってた?  テヘラン会談のときも北アフリカ戦線は継続中?
248 :
名無し三等兵
2016/09/22(木) 21:01:48.40 ID:QC07qaEV
>>223
>4月下旬にタイガー演習で死人が出てるんだよね。
>その対策が出来るまでは船が有ろうと本番の実行は無いわけで。

するとソ連からは、米英は何をチンタラしてるんだってことになるが?

欧州でも極東でもソ連領土とソ連圏は大きく拡大したのに対して、英連邦は何も取れないばかりか大きく失った。
オマケの片手間な対日戦争でさえ、ソ連は立派に樺太千島を得たが英連邦は失うばかりwww

 ではなぜ頭に大がついているのだろうか。それはこの戦争の勝利には多くの国が貢献しているものの、ソ連がドイツ国防軍を
倒した中心国で、その役割を強調しているからだ。ドイツ軍はソ連軍との戦いで、1340万人中74%にあたる1000万人を喪失した。
 アメリカのルーズベルト大統領は第二次世界大戦の最中の1942年5月、ソ連軍の活動とそ の影響を評価してこう記した。
「ロシア軍が連合国25ヶ国の軍隊よりも、対戦国の厖大な兵士と兵器に打撃を与えているという明白な事実を無視することはでき ない」。
 ロシア人がこの勝利を誇りに思い、多くの戦線のひとつととらえたがらないのは当然のことだ。そしてドイツとその同盟国であるイタリア、
ルーマニア、クロアチアが84万人を喪失したスターリングラード攻防戦と、ドイツとイタリアが3万人を喪失したエル・アラメインの戦い
が同レベルの戦いと見なされることを理解できないでいる。
http://jp.rbth.com/society/2013/05/09/42899.html

Losses per theater(戦線別ドイツ軍戦死者統計)
Theater      Dead      %
Africa       16.066     0,3   ←アフリカ戦線ww
Balkans      103.693    1,9
 North      30.165     0,6
 West       339.957    6,4
 Italy       150.660    2,8
Eastern Front
(- Dec 1944)  2.742.909    51,6   ←ソヴィエト赤軍は
Germany (1945) 1.230.045   23,1   ←頼もしいよなぁ♪
Various       245.561   4,6
 Total       4.859.056
http://www.axishistory.com/axis-nations/germany-a-austria/144-germany-unsorted/statistics/2461-german-losses-per-theater
249 :
名無し三等兵
2016/09/22(木) 21:03:11.36 ID:QC07qaEV
>>225
日本軍は沖縄で遅滞戦闘を行っている間に、本土の防衛ラインを整備したんだから凄いってか?
250 :
名無し三等兵
2016/09/22(木) 21:05:08.49 ID:QC07qaEV
>>231
>英米が西部戦線に戦力を引きつけてくれたおかげだな。特に航空機の影響がでかすぎる。

ヨーロッパの戦いは、米英軍のドレスデン爆撃ではなく、ソ連軍のベルリン総攻撃によって終結した。
251 :
名無し三等兵
2016/09/22(木) 21:09:09.95 ID:makHMN7J
>>240
そんなこと言っているように見えるなら
俺に聞いてないでお医者さんに相談しろ。
そうでないなら
答えはおれはそんなこと言ってないから知ったことか、だな。
言っても無いことに責任は持ちようがねえ。
252 :
名無し三等兵
2016/09/22(木) 21:38:25.60 ID:QC07qaEV
>>251
ID:makHMN7J
>そんなこと言っているように見えるなら

それでは何が言いたいのかサッパリわからん。
253 :
名無し三等兵
2016/09/22(木) 21:43:50.02 ID:pmNbSf6K
戦略爆撃もイタリア戦線も、ソ連からすれば西側の貢献は不十分で、Dデイはいつになるのかってのが、
1943年12月のテヘラン会談の骨子でであり、Dデイ遅延に戦略爆撃やイタリア戦線を持ち出すのは本末転倒。
254 :
名無し三等兵
2016/09/22(木) 21:55:17.64 ID:pmNbSf6K
>>244
>5〜6月以降の遅滞戦闘をやったのは各師団長

それでDデイ(ノルマンディー上陸作戦)がまた遅れてしまったんだよなw
255 :
名無し三等兵
2016/09/22(木) 21:58:01.51 ID:1hzYvrbz
>>223
>4月下旬にタイガー演習で死人が出てるんだよね。
>その対策が出来るまでは船が有ろうと本番の実行は無いわけで。

バグラチオン作戦凄すぎ?
256 :
名無し三等兵
2016/09/22(木) 21:59:24.51 ID:1hzYvrbz
>>245
ドイツは首都ベルリンを犠牲にしてまでイタリア防衛してたの?
257 :
名無し三等兵
2016/09/23(金) 01:46:00.21 ID:KKkVZ4EC
.
.
山本は日本を救うために、真珠湾奇襲を決断した

誰よりも日本の未来を見抜いていた、その屈託した先見性

それが山本五十六の実像に他ならない。

.
.
       ヽ〃   真珠湾奇襲プシュ!    
      ( _)
       | |  シコシコ・・・ シコシコ・・・
       | | /⌒⌒⌒ヽ/~ ̄ ̄ ̄ ̄ヽ     
     /⌒ヽ⌒ヽ___   |  ∴ヽ  3  )
     /  ゝ      |
    /  _  ゝ___)(9     (` ´) )j
   /  丿ヽ___,.───|彡ヽ ―◎-◎-| ハァハァ…
  /   )           (彡       |
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山本五十六を賛美して毎回射精w 

ホラ吹きジジイ 自称歴史探偵団www
 半藤一利wwww
258 :
名無し三等兵
2016/09/23(金) 01:55:49.81 ID:NgCbo8FR
>>225
>ドイツが巻き返したといえばいえるわな。
>前線で遅滞戦闘を行っている間に防衛ラインを整備したんだから。


 六月二十二日の“威力偵察”にはじまり、二十三日にソ連軍攻勢作戦『バグラティオン』が本格化してみると、
独ソ両軍の優劣の差は、ソ連軍の推算以上に大きかった。
<中略>
 とくに空軍戦力の差は、ひどかった。
 第六航空軍は、約六百八十機を保有していることになっていた。
 ところが、ソ連機をむかえて飛びたったのは、わずか四十機―。
 残りは整備不十分または燃料不足で飛べず、舞い上がった四十機にしても、
ガソリンが無いために三回以上の出撃はできない有様であった。
<児島襄「ヒトラーの戦い 6」の464頁>

 東部では中央軍団の破局的消滅はほとんど完全だった。一九四四年七月六日の正午の会議で、
総統は北方軍団に撤退を命じることで、そこから四個師団引き出せるとのモーデルの見解を再び拒否し、
救えると思うのは幻想にすぎない、どういうことが起るかといえば、軍団は要塞化陣地と重砲と装備を
失うということだといった。ホイジンガーの方を向いてヒトラーは、この災厄でこれまで中央軍団にどれだけ
損害があったか、静かに訊ね、「一二から一五師団が包囲されていますが、全般的損害は二八個師団
に上るでしょう」と告げられた。
 なんと二八個師団である。六月二二日以降わずか二週間で、ヒトラーは三五万の訓練済みのドイツ兵
をロシア側に奪われたのだった。
「ヒトラーの戦争 下」(デイヴィッド・アーヴィング 早川書房 P238、239 )
259 :
名無し三等兵
2016/09/23(金) 05:36:17.32 ID:4ul01Fle
>>231
>延期される前の予定を決めたテヘラン会談でイタリアの情勢がなにか関係あるの?

テヘラン会談以降、イタリア戦線の戦略的位置付けが何か大きく変わったのか? どういう経緯で?
260 :
名無し三等兵
2016/09/23(金) 05:41:34.89 ID:4ul01Fle
>>225
>イタリアで苦戦していたからノルマンディーが延期されたっていうのに
>延期される前の予定を決めたテヘラン会談でイタリアの情勢がなにか関係あるの?

テヘラン会談の時もイタリア戦線は継続中だったが、その時の英連邦軍は苦戦してなかったの?
あるいはモンテカッシーノでは、突如としてキングタイガーとME262の大群が、英連邦軍に襲いかかったの?
261 :
名無し三等兵
2016/09/23(金) 05:56:37.91 ID:4ul01Fle
>>225
>イタリアで苦戦していたからノルマンディーが延期されたっていうのに
>延期される前の予定を決めたテヘラン会談でイタリアの情勢がなにか関係あるの?

延期される前の予定を決めたテヘラン会談で楽勝だったイタリア戦線が、その後になって急に苦戦しだすのか?
262 :
名無し三等兵
2016/09/23(金) 07:36:20.41 ID:kV66tLdf
>>252-261
>それでは何が言いたいのかサッパリわからん。
では可及的速やかにこのやりとりをプリントアウトして
精神科医にみせて相談したまえ。

テヘラン会談から予定日まで半年の時間差があるんだが?
いっただろ、遅滞戦闘で時間を稼いで防衛ラインを構築したって。
これを連合軍からみればドイツ軍相手に出血を強いながら着々と前進していたが
グスタフラインに強固な防衛ラインができており難渋した。
これを象徴するのが1月17日以降のモンテカッシーノの戦いで
いうまでもなくテヘラン会談以降だ。
263 :
名無し三等兵
2016/09/23(金) 07:59:52.88 ID:IsUeZEcE
>>262
>テヘラン会談から予定日まで半年の時間差があるんだが?

だからDデイの予定日を決めたのがテヘラン会談なんだろう?

>いっただろ、遅滞戦闘で時間を稼いで防衛ラインを構築したって。

テヘラン会談の時にグスタフラインは存在しなかったとでも?
264 :
名無し三等兵
2016/09/23(金) 08:02:53.91 ID:IsUeZEcE
>>262
>いうまでもなくテヘラン会談以降だ。

米英がドイツ軍と交戦し始めるのは、テヘラン会談以降だってこと?
265 :
名無し三等兵
2016/09/23(金) 08:10:28.16 ID:h4wadT7S
>>262
>テヘラン会談から予定日まで半年の時間差があるんだが?

何のためのテヘラン会談だったの? 
266 :
名無し三等兵
2016/09/23(金) 08:16:56.14 ID:nblNOcwT
>>262
>いっただろ、遅滞戦闘で時間を稼いで防衛ラインを構築したって。

いやだから、1943年12月のテヘラン会談の時にグスタフラインは存在しなかったのかって聞いているんだが?
267 :
名無し三等兵
2016/09/23(金) 08:19:02.47 ID:C2aT8OSx
>>262
>いうまでもなくテヘラン会談以降だ。

グスタフラインが構築されるのはテヘラン会談以降なのか?
268 :
名無し三等兵
2016/09/23(金) 08:19:20.04 ID:j8emVYEy
次スレからスレタイはテヘラン会議だな。
269 :
名無し三等兵
2016/09/23(金) 08:22:29.42 ID:C2aT8OSx
>>225
>イタリアで苦戦していたからノルマンディーが延期されたっていうのに
>延期される前の予定を決めたテヘラン会談でイタリアの情勢がなにか関係あるの?

テヘラン会談までのイタリア戦線は快進撃だったのに、テヘラン会談以降は大苦戦?
270 :
名無し三等兵
2016/09/23(金) 08:26:40.19 ID:C2aT8OSx
>>225
>イタリアで苦戦していたからノルマンディーが延期されたっていうのに
>延期される前の予定を決めたテヘラン会談でイタリアの情勢がなにか関係あるの?

テヘラン会談までは楽勝だったイタリア戦線が、テヘラン会談が終わると地獄の戦場に変わったのか?
271 :
名無し三等兵
2016/09/23(金) 08:28:38.14 ID:q/I+R3BA
>>262
>いうまでもなくテヘラン会談以降だ。

グスタフライン構築はテヘラン会談以降だぁ?
272 :
名無し三等兵
2016/09/23(金) 08:31:22.99 ID:Xor8wZRZ
>>262
>いうまでもなくテヘラン会談以降だ。

米英軍がグスタフラインの存在を知るのは、テヘラン会談以降なのか?
273 :
名無し三等兵
2016/09/23(金) 08:33:38.84 ID:Xor8wZRZ
>>262
>テヘラン会談から予定日まで半年の時間差があるんだが?

予定日を決めたのがテヘラン会談だろう?
274 :
名無し三等兵
2016/09/23(金) 08:37:07.77 ID:Xor8wZRZ
>>225
>イタリアで苦戦していたからノルマンディーが延期されたっていうのに
>延期される前の予定を決めたテヘラン会談でイタリアの情勢がなにか関係あるの?

なら延期される前の予定を決めたテヘラン会談の時には、イタリアで苦戦することは無かったの?
275 :
名無し三等兵
2016/09/23(金) 08:38:01.89 ID:Xor8wZRZ
>>262
>いうまでもなくテヘラン会談以降だ。

グスタフラインが機能し始めるのはテヘラン会談以降なのか?
276 :
名無し三等兵
2016/09/23(金) 08:39:33.89 ID:nblNOcwT
>>262
>いうまでもなくテヘラン会談以降だ。

テヘラン会談以前のイタリア戦線は無防備だったの?
277 :
名無し三等兵
2016/09/23(金) 11:39:39.99 ID:nblNOcwT
>>225
>イタリアで苦戦していたからノルマンディーが延期されたっていうのに
>延期される前の予定を決めたテヘラン会談でイタリアの情勢がなにか関係あるの?

▼フランス展開部隊の実状
 ・フランスは東部戦線で疲弊した師団の休養・再編成地
 ・歩兵師団の多くは沿岸警備用師団か訓練師団
 ・第709師団の平均年齢36歳。対するアメリカの歩兵は平均年齢25歳
  →第一線の軍隊にとっては大きな差。
http://members.jcom.home.ne.jp/hartmann/page008.html
278 :
名無し三等兵
2016/09/23(金) 11:45:45.54 ID:kV66tLdf
>>269-277
ググレカス

おまえがまじめに議論しようとしているようにはまったく思えないのだが?
なんでいちいち全部聞いてくるんだ?
無知だと言うがおまえの目の前の箱が調べ物をすることができる箱だと言うこともしらないのか?
279 :
名無し三等兵
2016/09/23(金) 13:03:08.74 ID:Xor8wZRZ
>>278
>なんでいちいち全部聞いてくるんだ?

いやだから、テヘラン会談以前から英連邦軍はイタリア戦線で「苦戦」しており、それはDデイ延期の理由にはならんってこと。
例えば「ドデカネス諸島の戦い」ってのが 、1943年9月8日から11月22日まであったはずだ。

「ドデカネス諸島の戦いで英連邦軍は大苦戦したからDデイは未定です」ってことになるのか?

>>225
>イタリアで苦戦していたからノルマンディーが延期されたっていうのに
>延期される前の予定を決めたテヘラン会談でイタリアの情勢がなにか関係あるの?

「イタリアで苦戦していた」というが、イタリア戦線は1945年4月にムッソリーニが殺されるまで続いている。
イタリア戦線で英連邦軍が終戦までずっと「苦戦」を続けていようが、Dデイはそれとは無関係に進行している。
280 :
名無し三等兵
2016/09/23(金) 13:08:00.97 ID:Xor8wZRZ
>>278
>なんでいちいち全部聞いてくるんだ?

「ドデカネス諸島の戦い(1943年9月8日〜11月22日 )
で英連邦軍は大苦戦したからDデイは未定です」ってことにはなるのか?
あるいは1944年のモンテカッシーノの戦いは、ドデカネス諸島の戦いよりも英連邦軍にとって悲惨だったのか?
281 :
名無し三等兵
2016/09/23(金) 13:11:11.45 ID:Xor8wZRZ
イタリア戦線の悪戦苦闘を理由にDデイを延期するんなら、何のためのテヘラン会談だったのかつーことになる。

実にバカげた話だ。
282 :
名無し三等兵
2016/09/23(金) 14:05:00.30 ID:nblNOcwT
>>278
>なんでいちいち全部聞いてくるんだ?

イタリア戦線をDデイ延期の理由にしないという、1943年のテヘラン会談の骨子を、あんたが理解しようとしないからだよw
283 :
名無し三等兵
2016/09/23(金) 16:17:58.91 ID:kV66tLdf
”イタリア戦線をDデイ延期の理由にしないという、1943年のテヘラン会談の骨子”
なるものがあるなら是非教えてくれたまえよ。
つか最初にそれを出せって話じゃん。

まさかイタリア戦線についてテヘラン会談でなにもいってないから理由にしないとかいわんだろうなあw
>「ドデカネス諸島の戦いで英連邦軍は大苦戦したからDデイは未定です」ってことになるのか?
とかいってるからそういう根拠の無い思い込みをしてる可能性が非常に高いな。
だいたいそれイギリスが戦後の利益を求めて勝手にやってる作戦で
アメリカすら支援を拒否した戦いなんだが、
どうしてイタリアと比べることができるんだね?
だとしたらイタリアから蹴落とされればせっかく保持した地中海の制海権を失うことにもなりかねず
その重要性はインパールの比ではないので
インパールのためにDデイを延期することは確実にありえないでしょw
284 :
名無し三等兵
2016/09/23(金) 16:24:01.48 ID:kV66tLdf
つーか、
1個師団足らずで行われたドデカネス諸島の戦いが不利だからと言って延期されなかったので
双方ともに30万以上の損害を出したイタリア戦線を理由で
Dデイが延期されることはないってバカにしか思いつかない論理だと思いますが?

そんなバカなことをいうために目の前の箱に無駄に質問してたの?
ああ、そんなバカなことだとわかってたから
相手があきらめて立ち去るのを待ってたのかw
285 :
名無し三等兵
2016/09/23(金) 17:44:51.09 ID:nblNOcwT
>>284
>1個師団足らずで行われたドデカネス諸島の戦いが不利だからと言って延期されなかったので
>双方ともに30万以上の損害を出したイタリア戦線を理由で
>Dデイが延期されることはないってバカにしか思いつかない論理だと思いますが?

・・・・スターリンは、 「大君主」作戦が極めて重要であること、フランス南部に侵攻することによって
この作戦を援助するほうがよい、ということを繰り返し主張した。
彼は、イタリアにおいては守勢をとり、そのために、例えば10個師団で南フランスの侵攻が出来るならば、
ローマの占拠も断念するほうがよい とすら考えていた。・・・・
大統領がここで諸作戦の時期については最も慎重な考慮を要すると、示唆した。東地中海で何らかの
作戦が企図されるならば、それは『大君主』作戦を6月か7月かまで延期させることになるだろう。
彼自身としては、よし回避しうる可能性があるとしても、かかる延期には反対であった。
・・・・私は、英軍および英管轄下の20個師団が編入されている地中海域の軍隊の行動を、単に、 
「大君主』作戦の日取りとして5月1日を正確に守るというだけのために、犠牲とすることは、
どのような事情においてであろうとも、私としては同意しがたい旨を述べた。・・・・・・】

「第二次大戦回顧録」から -6
テヘラン会談 (最初の三巨頭会談) ソ連対日参戦言明と第二戦線開設時期の確定    
  一九四三年十一月二十八日〜十二月一日
http://tnngsg4601.blog110.fc2.com/?mode=m&;no=156
286 :
名無し三等兵
2016/09/23(金) 18:08:27.94 ID:/EFynFis
>>284
>双方ともに30万以上の損害を出したイタリア戦線

 ではなぜ頭に大がついているのだろうか。それはこの戦争の勝利には多くの国が貢献しているものの、ソ連がドイツ国防軍を
倒した中心国で、その役割を強調しているからだ。ドイツ軍はソ連軍との戦いで、1340万人中74%にあたる1000万人を喪失した。
 アメリカのルーズベルト大統領は第二次世界大戦の最中の1942年5月、ソ連軍の活動とそ の影響を評価してこう記した。
「ロシア軍が連合国25ヶ国の軍隊よりも、対戦国の厖大な兵士と兵器に打撃を与えているという明白な事実を無視することはでき ない」。
 ロシア人がこの勝利を誇りに思い、多くの戦線のひとつととらえたがらないのは当然のことだ。そしてドイツとその同盟国であるイタリア、
ルーマニア、クロアチアが84万人を喪失したスターリングラード攻防戦と、ドイツとイタリアが3万人を喪失したエル・アラメインの戦い
が同レベルの戦いと見なされることを理解できないでいる。
http://jp.rbth.com/society/2013/05/09/42899.html

Losses per theater(戦線別ドイツ軍戦死者統計)
Theater      Dead      %
Africa       16.066     0,3   ←アフリカ戦線ww
Balkans      103.693    1,9
 North      30.165     0,6
 West       339.957    6,4
 Italy       150.660    2,8
Eastern Front
(- Dec 1944)  2.742.909    51,6   ←ソヴィエト赤軍は
Germany (1945) 1.230.045   23,1   ←頼もしいよなぁ♪
Various       245.561   4,6
 Total       4.859.056
http://www.axishistory.com/axis-nations/germany-a-austria/144-germany-unsorted/statistics/2461-german-losses-per-theater
287 :
名無し三等兵
2016/09/23(金) 18:11:19.85 ID:/EFynFis
>>284
>1個師団足らずで行われたドデカネス諸島の戦いが不利だからと言って延期されなかったので

戦力の編成と犠牲者に関する統計が、アメリカのこうした戦略的選択を反映している。転出や部隊再建が
なされたことを考慮に入れると、太平洋戦争において連合国が対戦し、壊滅せしめた日本陸軍の師団の数
はわずか 28 個にとどまり、その半数は、フィリピンに配備され戦ったものであった。連合国の地上部隊は、
アメリカ陸軍 21 個師団と6つの海兵師団、オーストラリアあるいはニュージーランド軍の7個師団から
なるものであった。ビルマで戦い、インド、アフリカおよび英国の師団で編成された第十四軍も、
最終的には日本の 12 個師団と対峙し、その大半を破った。この他、日本軍は当時アジア北部にはおよそ 50、
本土に 50、そのほかフォルモサ島(台湾)に7、東南アジアに 12 の師団を派遣したが、1945 年 8 月の
ソビエト連邦の短い軍事行動を除き、連合国は日本陸軍とは殆ど交戦していないと言える。
http://www.nids.go.jp/event/forum/pdf/2007/forum_j2007_05.pdf
288 :
名無し三等兵
2016/09/23(金) 18:32:00.47 ID:ov+Fc9wg
山本は日本を救うために、真珠湾奇襲を決断した

誰よりも日本の未来を見抜いていた、その屈託した先見性

それが山本五十六の実像に他ならない。

.
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       ヽ〃   真珠湾奇襲プシュ!    
      ( _)
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山本五十六を賛美して毎回射精w 

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289 :
名無し三等兵
2016/09/23(金) 19:44:08.75 ID:oWn/xwqx
会津・庄内は売国奴


【大東亜の決戦】インパール作戦【帝国陸軍】10 [無断転載禁止]©2ch.netYouTube動画>1本 ->画像>2枚

 戊辰戦争さなかの1868年(明治元年)、新政府軍(官軍)と戦っていた会津・庄内両藩が、プロイセン(ドイツ)から
資金を借りる担保として「蝦夷地(えぞち)の領地を99年間貸与すると申し出た」と記した駐日公使発本国向けの外交書簡を、
五百旗頭(いおきべ)薫東大教授らの研究チームがベルリンで発見した。内容通りなら、ドイツの蝦夷地租借構想が水面下で
具体化していたことになる。東大史料編纂(へんさん)所の箱石大(はこいしひろし)准教授は「戊辰戦争が長引いていれば
実現していた可能性がある」とみる。

 これまでは、日大のアンドレアス・バウマン教授が1995年にドイツ連邦軍事文書館で見つけた文書から、1868年
7月に両藩から蝦夷地の土地売却の打診を受けたものの、10月に本国のビスマルク宰相が却下し、交渉は立ち消えになったと
みられていた。

 その後、ボン大学の研究者と箱石准教授が同文書館で、宰相が3週間後に一転、交渉を認可していた文書を見つけ、本国側では
ゴーサインが出ていたことが明らかになっていた。

 今回見つかった外交書簡を書いたのは、横浜にいた駐日プロイセン公使マックス・フォン・ブラント。貸与期間を具体的に盛り
込むなど、両藩との間で交渉妥結の下地が整っていたことがうかがえる。

 とはいえ、ブラントが横浜から本国の宰相に新発見書簡を発信した日付は68年11月12日で、すでに会津藩の降伏から
6日、庄内藩主が降伏を申し出てから5日経過しており、現実には交渉そのものが意味をなさなくなっていた。
290 :
名無し三等兵
2016/09/23(金) 19:45:42.74 ID:oWn/xwqx
 書簡の保管先はベルリンの連邦文書館。五百旗頭教授らが2013年に着手したドイツの史料発掘プロジェクトの中で、国立
歴史民俗博物館(千葉県)の福岡万里子准教授が読み解いた。

 それによると「シュネル(当時東北にいたプロイセン人の仲介役)が、借り入れに対して蝦夷地の領地を99年間、担保として
与えるとする会津・庄内領主の(シュネルに対する)全権委任状を持ってきた。100平方ドイツマイル(5625平方キロ)の
土地を得るのに30万メキシコドルで十分だ」などと書かれているという。

 幕末期の会津藩の領地は現在のオホーツク、根室管内の一部、庄内藩は留萌、上川管内の一部など。書簡には「会津・庄内藩の
蝦夷地の領地に良港はないが、ひとたび足がかりをつかめば他の地の購入が容易になるだろう」ともつづられており、海軍拠点
確保に向けた意図が読み取れる。

 当時のプロイセンは2年前の1866年に対オーストリア戦争に勝利して北ドイツ連邦の盟主となっており、ドイツ帝国の
形成に向かう軍備拡張期だった。(報道センター編集委員 小坂洋右)

09/21 17:15 更新
http://dd.hokkaido-np.co.jp/news/society/society/1-0317478.html
291 :
名無し三等兵
2016/09/23(金) 21:04:04.46 ID:kV66tLdf
>>285
はい、やっぱりいってないじゃんw

”東地中海で何らかの作戦が企図されるならば、”
それは『大君主』作戦を6月か7月かまで延期させることになるだろう。

おまえさん自身が出してる話だ。
しかもその前に
>”例えば10個師団で南フランスの侵攻が出来るならば、”
>ローマの占拠も断念するほうがよい とすら考えていた
とすらある。
そんで結論はこうね。
私は、”英軍および英管轄下の20個師団が編入されている地中海域の軍隊の行動を、単に、 
「大君主』作戦の日取りとして5月1日を正確に守るというだけのために、犠牲とすることは、
どのような事情においてであろうとも、私としては同意しがたい”旨を述べた。

イタリアでの行動をDデイの期日を守るために犠牲にすることは
どんな事情があろうが同意できないって
あんたの逆のことをいってますが?w
292 :
名無し三等兵
2016/09/23(金) 21:07:21.15 ID:kV66tLdf
簡単にいうと
スターリンが
””イタリア戦線をDデイ延期の理由にしないという、1943年のテヘラン会談”で主張したけど、
チャーチルに一蹴されたのがテヘラン会談の骨子。

つまり、そういう意見もあったよねっていうのを骨子にすり替えるみっともない行為を隠すために
ひたすら愚問を喚き続けてたってことでいいのかい?
293 :
名無し三等兵
2016/09/23(金) 23:20:25.07 ID:/EFynFis
>>292
>チャーチルに一蹴されたのがテヘラン会談の骨子。

するとテヘラン会談では、何の合意も得られなかったつーわけだw
294 :
名無し三等兵
2016/09/24(土) 01:32:51.38 ID:u9PQjc+i
牟田口第十五軍司令官は、果断の人だった。弱音を吐かぬ信念の人だった。
物量・兵員数の劣る我が軍による巧妙な用兵と作戦で英印軍を一時的にせよ、叩くのに成功したことは、我々日本人は記憶せねばならない。
十五軍隷下の各師団長の弱音も聞き入れず、果断、
決断、実行により、帝国陸軍の名を歴史に残した。
よく兵站を無視したと批判されるが、
司令官は、我が軍将兵の発奮を促すのに、
あえて食糧・弾薬を少なめに携行させたのだった。
このことはあまり知られていない。これは、司令官が
功に誇るような人物でなく、
謙虚な典型的帝国陸軍軍人だったからに他ならない。
印度独立運動の指導者チャンドラ・ボースは、後にこう言っている。
「彼(牟田口司令官)は約束を守った。
亜細亜の開放に貢献した。その獅子奮迅の指揮ぶりは、
東洋のカエサルと呼んでも過言ではない」と。
終戦後、牟田口司令官は、左翼勢力の台頭の為にあらゆる批判を受けることになった。
しかし如何せん、時代の弊風には抗えなかった。
赤誠な人ほど、不当な評価を受けることが多いが、彼がまさにそうだった のである。
295 :
名無し三等兵
2016/09/24(土) 05:22:24.19 ID:P3p0gnDe
>>291
>イタリアでの行動をDデイの期日を守るために犠牲にすることは
>どんな事情があろうが同意できないって

だからDデイが遅れてしまったのは、日本軍のインパール作戦のせいだってことさw
296 :
名無し三等兵
2016/09/24(土) 05:26:00.24 ID:P3p0gnDe
>>291
>イタリアでの行動をDデイの期日を守るために犠牲にすることは
>どんな事情があろうが同意できないって

 ペンタゴンの軍首脳者たちの考えは、総体的に、シェンノートの航空作戦計画、およびそれを
支えるための大量補給の努力は、アメリカの兵力、資材の浪費であって、ほかの地域の作戦を
妨害するものであるということに一致していた。
 シェンノートの方針は、中国において実効をあげず、ヨーロッパでの活動に制約をあたえていた。
 それは、飛行機やそのほかの装備品を、イタリアから中国に補給がえをしたためである。
 この見解は、一九四四年七月四日にルーズベルト大統領に提出された、中国の危機に関する
統合参謀本部の公式報告に記述された。
 この公式報告は、シェンノートの作戦原理に反論していて、第二次大戦中に発行された
文書のなかでも、一番おかしな内容の文書であった。
http://ktymtskz.my.coocan.jp/J/aircraft/chaina8.htm
297 :
名無し三等兵
2016/09/24(土) 05:31:41.45 ID:P3p0gnDe
>>291
>イタリアでの行動をDデイの期日を守るために犠牲にすることは
>どんな事情があろうが同意できないって

英連邦としては、Dデイの期日は守らなくちゃいけない、さりとて地中海戦線を放棄するわけにもいかない。

>それは、飛行機やそのほかの装備品を、イタリアから中国に補給がえをしたためである。

というわけだ、インパール作戦のせいで、Dデイの期日は無理矢理に狂わされたとしか言いようがない。
298 :
名無し三等兵
2016/09/24(土) 05:33:36.37 ID:P3p0gnDe
 スリムも飛行機が必要だった。彼の第一四軍は、日量七五〇トンが物質が要る
と算出されていたが、メイクテーラ作戦がフル稼働する三月以降は、これが
一二〇〇トンに上る。ある朝、インパールの司令部で上空を飛行機が飛ぶの
を聞いたが、これは自分に割り当てられていたダコタ機三個中隊で、急に中国
へ向かうよう命令されたのだと知って仰天した。彼は、手に入る飛行機を全部
使って、日に七千回の出撃が必要なのに、予告なしに七五機を失うのはひどい
痛手だ(Lewin,Slim 217頁)。紛糾のもとは、中国情勢である。シェンノート
航空隊が、やがて日本本土を空襲するはずだ。その中国のアメリカ軍前進基地
に対し、その使用を封殺するために日本の中国派遣軍が一号作戦を発動し、
飛行場群の奪取を狙っているのだ。
<ルイ・アレン「ビルマ遠い戦場 ビルマで戦った日本と英国」中巻 291頁>
299 :
名無し三等兵
2016/09/24(土) 07:07:41.00 ID:P3p0gnDe
>>292
>チャーチルに一蹴されたのがテヘラン会談の骨子。

英連邦はそういう立場なのか?

イギリス国民に勝利を宣言するウィンストン・チャーチルのスピーチ「明らかな国家元首である
デーニッツ元帥」という部分は事実上、少なくとも無条件降伏の瞬間までフレンスブルク政府を当局として
認識していたことの証拠であった。しかし、連合国はフレンスブルク政府を即座に解体することを決定した。
5月20日、ソ連政府はそれまでのフレンスブルク政府について考えられていたことを白紙にした。
彼らはデーニッツ政府(彼らは「デーニッツ・ギャング」と呼んだ)がどんな権力を持つことも許さず、
どんな考えでも厳しく批判、これを攻撃した。プラウダには以下の通り記述された。
デーニッツ周辺のファシストギャングどもの威信についての議論はまだ続いており、いくつかの目立っ
た連合軍の集団はデーニッツとその協力者の「活動」を利用することを必要と考えている。イギリス議会
でこのギャングどもは「デーニッツ政府」と呼ばれている。(中略)反動的な新聞『ハースト』の記者は
デーニッツの兵籍編入を「政治的に賢明な行為」と称した。このように、ファシストの物書きどもはヒトラー
の弟子たる略奪者と協力することを正しいと考えている。同時に、ドイツの右翼が差し迫った混乱に
似たおとぎ話を作り出したとき、1918年のドイツが条件付けたことを大西洋両側のファシスト報道機関
は広めようとしている。その後、降伏の直後、無傷のドイツ軍部隊が東方で新たな冒険に使われた。
現在の政治活動にも似たようなものが存在し、連合軍の多くの反動的な集まりはクリミア会議に基づ
いた新たなヨーロッパを作ることに反対している。これらの集まりはファシスト体制の維持を考えており、
すべての自由を愛する国々の民主主義の成長を阻害する手段を取ろうとしている。・・・(後略)
https://ja.wikipedia.org/wiki/%E3%83%95%E3%83%AC%E3%83%B3%E3%82%B9%E3%83%96%E3%83%AB%E3%82%AF%E6%94%BF%E5%BA%9C
300 :
名無し三等兵
2016/09/24(土) 07:16:43.51 ID:HO7XGBZx
>それは、飛行機やそのほかの装備品を、イタリアから中国に補給がえをしたためである。

 シェンノートは、揚子江にむかって前進中の日本軍を攻撃してもよいとの許可をあたえられたが、
多くの飛行機をビルマ作戦に転用されたうえ、中国東部にある基地の予備燃料がおそろしく少なかったため、
中国軍に適切な航空支援をあたえることができなかった。
 このとき(四月三十日)、第14航空軍は五〇〇機を保有していたが、使用できたのは四〇〇機であった。
 このうち二〇〇機をビルマ作戦にもっていかれ、残りの二〇〇機で、ヒマラヤ越え空輸の防護と、
中国軍への航空支援を行わなければならなかった。
 二〇〇機という数は、二つの任務をうまく果すためには、到底不十分な数であった。
http://ktymtskz.my.coocan.jp/J/aircraft/chaina8.htm
301 :
名無し三等兵
2016/09/24(土) 07:27:06.29 ID:HO7XGBZx
>>292
>チャーチルに一蹴されたのがテヘラン会談の骨子。

それではテヘラン会談で米英ソは何の合意も得られなかった、何の成果も無かったつーことになるな。
そうではなくて、米英は地中海戦線のためにDデイを延期しない、さりとて地中海戦線を放棄するわけでもない。
その代わりにソ連はドイツ打倒後に対日参戦する義務を負うということで、米英ソはテヘラン会談で合意した。

違うか?

地中海戦線のためにDデイを延期しても良いということなら、わざわざDデイの日付を決める必要無いし、
また第二戦線の早期開設を求めるソ連としては、米英との合意は何のメリットも無いことになる。
302 :
名無し三等兵
2016/09/24(土) 07:31:28.72 ID:HO7XGBZx
テヘラン会談では地中海戦線を理由にDデイを延期しないこと、Dデイは5月1日と決められた。
日本軍のインパール作戦は、無理矢理にDデイを遅らせてしまった。

1944 年、アジア大陸では、日本陸軍は依然として連合軍の戦略を狂わせることができた。
中国南部および中部での一号作戦は、国民党に屈辱を味わわせ、連合軍にその戦略の
再構築を強いた。その戦略とは、日本に対しアジアの人的資源とアメリカの航空戦力を解き放ち、
太平洋を横切って、中国で戦争のクライマックスを迎えるというものであった。
日本陸軍はまた連合軍の作戦を粉砕することもできた。インパール―コヒマへの攻
撃速度はイギリス軍の指揮官たちとインド軍にショックを与えた。両軍が防衛に成
功した理由は、連合軍航空部隊と輸送機が利用できたためという一点に尽きる。
http://www.nids.go.jp/event/forum/pdf/2009/10.pdf
303 :
名無し三等兵
2016/09/24(土) 07:36:20.29 ID:Qa5lXHHi
>>292
>そういう意見もあったよねっていうのを骨子にすり替えるみっともない行為

地中海戦線のためにDデイを延期にすることが無いようにと、釘を刺されたってことだが?
304 :
名無し三等兵
2016/09/24(土) 09:15:12.05 ID:DWw9gH0I
>>284
>1個師団足らずで行われたドデカネス諸島の戦いが不利だからと言って延期されなかったので

ドデカネス諸島の戦いとは、そんなにショボい戦いだったの?
305 :
名無し三等兵
2016/09/24(土) 09:21:31.22 ID:Qa5lXHHi
>>284
>1個師団足らずで行われたドデカネス諸島の戦いが不利だからと言って延期されなかったので

英連邦にとって、ドデカネス諸島の戦いとインパールの戦いでは、どっちがオマケの片手間だったの?
306 :
名無し三等兵
2016/09/24(土) 09:27:10.30 ID:ja2CfZm4
>>305
ドデカネス諸島の戦いは英連邦軍の手痛い敗北、インパールの戦いはオマケの片手間で楽勝。
けれどもソ連としては、英連邦が地中海での苦戦を理由に第二戦線を延期させることは許さなかった。
むしろ英連邦が地中海で苦戦してグズグズしているからこそ、第二戦線開設の日付について釘をさした。
307 :
名無し三等兵
2016/09/24(土) 10:05:25.88 ID:Qa5lXHHi
>>231
>英米が西部戦線に戦力を引きつけてくれたおかげだな。特に航空機の影響がでかすぎる。

米英戦略爆撃は、ソ連の主張する「第二戦線」に相当するのか?

ドイツは、ファシズムからの国の解放で赤軍が決定的な役割を演じたことを覚えている。
ドイツのメルケル首相が、ロシアのプーチン大統領との会談後に述べた。タス通信が伝えた。
メルケル首相は、「ドイツは開戦の責任を負っている。これは私たちの歴史的責任だ。
私たちは、赤軍がドイツ解放で決定的な役割を演じたことを常に思い出すでしょう」と語った。
http://jp.sputniknews.com/russia/20150511/319933.html

第二次大戦が終了したとき、概ねエルベ川の東はソ連、西は英米の占領下にありました。首都ベルリンもソ連軍
の手中にありました。戦後の対ドイツ政策は戦勝国による分割統治と決められ、ベルリンは1944年のロンドン議定書
で米英ソで共同管理となっていました。これにより1945年7‐8月英米軍は東ドイツ地域にあたるザクセン、
チュウリンゲン州から撤兵し西ベルリンに進駐し、ソ連軍も西ベルリンから撤退し米英軍撤兵後の東ドイツ占領区に入り、
東西の占領の配分が決まってしまいました。東ドイツ領域に住んだドイツ人の戦後はここから始まります。
http://www.doitsukitte.com/nyumon/nyumon_c1.html

>ソ連軍も西ベルリンから撤退し

「ソ連兵は、西ベルリンに毎日、自由にやってくる。それに、1961年にベルリンの壁をつくってからも、
記念日には、ソ連軍はベルリンの壁を越えてきて、パレードするから、西ベルリン市民の怒りをかっている」
と、ガイドも怒っている。
http://blog.goo.ne.jp/mulligan3i/e/a26d5bfa4c84a7c567da9567e8decb72
308 :
名無し三等兵
2016/09/24(土) 10:19:43.19 ID:CoOusF7E
バグラチオンの開始日は何時だっけ?

ムッチーがどや顔出来るのは、バグラチオンが不発になる位にDデイを延期させるとか、ソ連軍に西部集団が襲い掛かって痛み分けにできる、
そういうレベルの英米に対する拘束のみ。

ソ連が戦後社会でどや顔できるのは、そもそもの(腹案以前からの)国是である反共に反する訳で。
で、馬鹿土足は散々ソ連のどや顔を書き連ねてくれたわけだ。
つまり、インパール作戦とは(ソ連に数十年の延命を許したと言う)世界に対する犯罪なのである。
309 :
名無し三等兵
2016/09/24(土) 10:25:45.23 ID:CoOusF7E
バグラチオンは6月下旬だっけ?
で、Dデイはそれ以前に成功して、ドイツ西部集団を拘束することに成功している。

それで何の不足が有るの?
310 :
名無し三等兵
2016/09/24(土) 10:27:51.86 ID:Qa5lXHHi
んでさ。「ドデカネス諸島の戦い」で、英連邦は地中海の制海権を保持できたのか?

>>284
>1個師団足らずで行われたドデカネス諸島の戦いが不利だからと言って延期されなかったので 

おいおい…

>>283
>だとしたらイタリアから蹴落とされればせっかく保持した地中海の制海権を失うことにもなりかねず
>その重要性はインパールの比ではないので

地中海の制海権がどうこうってから、ドデカネス諸島の戦いは軽視できないはずだぞ?
311 :
名無し三等兵
2016/09/24(土) 10:31:02.88 ID:Qa5lXHHi
>>309
>Dデイはそれ以前に成功して

テヘラン会談ではDデイは5月ということになっていたのに、日本軍のインパール作戦で1ヶ月遅れたw
312 :
名無し三等兵
2016/09/24(土) 10:36:23.05 ID:j+9eCUbR
15軍の壊滅とビルマ戦線早期崩壊との引き換えがヒ総統の一ヶ月延命かw
313 :
名無し三等兵
2016/09/24(土) 10:42:57.10 ID:RQXlg+V0
>>293
そうだな、おまえのいうような合意はひとつも得られなかったので
するとおまえが日本語を読めないか、嘘をついているかのどちらかだ。
自慢げに真逆のことを骨子の証拠と出してきてるあたり、
日本語が不自由ではないかと思われるがねw

>>295-299
書いてあることと正反対の結論を導き出すなにかの芸なのかそれは?
イタリア(正しくは地中海戦域の英軍)の行動は
Dデイの期日を守ることに拘束されないと半年も前にいってるんだから、
言葉通りイタリアの事情でDデイが遅れたことになにか問題があるのかね?

>>301-303
5月の予定でDデイをやるんならそれを絶対守れよというスターリンの主張にたいし
準備はするけど地中海戦域の状況によって延期もあるとチャーチルが一蹴した。
つまりDデイはやるって合意があり、付帯条件の交渉で遅れる可能性はあるけどねってのが合意だ。
言葉通りに読めばそれ以外の解釈ができないものを無理矢理こじつけようとするなよw
違うか? っていえば全く違ってるじゃんw

>両軍が防衛に成
>功した理由は、連合軍航空部隊と輸送機が利用できたためという一点に尽きる。
それDデイの戦力が転用されたんでは無くて、
インドにあったもともとの戦力とハンプルートの輸送機が転用されたんで
Dデイまったく関係ない証拠だねw
314 :
名無し三等兵
2016/09/24(土) 10:48:31.93 ID:vEpPRAgP
>>313
>準備はするけど地中海戦域の状況によって延期もあるとチャーチルが一蹴した。

ソースは君の脳内ですか? そうで無ければ史料をご提示下さい。
315 :
名無し三等兵
2016/09/24(土) 10:52:55.25 ID:vEpPRAgP
>>313
>5月の予定でDデイをやるんならそれを絶対守れよというスターリンの主張にたいし
>準備はするけど地中海戦域の状況によって延期もあるとチャーチルが一蹴した。

テヘラン会談では、米英ソで交渉決裂してたってか? そりゃ稀に見る新説だなw
316 :
名無し三等兵
2016/09/24(土) 10:54:41.28 ID:vEpPRAgP
>>313
>それDデイの戦力が転用されたんでは無くて、

無知とは恐ろしいものだなw

>それは、飛行機やそのほかの装備品を、イタリアから中国に補給がえをしたためである。
317 :
名無し三等兵
2016/09/24(土) 10:59:49.17 ID:CoOusF7E
>>311
インパール作戦で遅れたにしても、それでソ連が戦後社会でどや顔するようになったのなら、
満州国辺りからの日本の基本政策である反共ぶっ潰した挙句、交渉の仲立ちどころか襲い掛かってくるほどソ連を回復させちゃった大愚行って事になるよねw

そのインパール作戦ってw
318 :
名無し三等兵
2016/09/24(土) 11:00:25.41 ID:vEpPRAgP
そもそもDデイの日付を無視していいなら、テヘラン会談の意味がないではないかw
319 :
名無し三等兵
2016/09/24(土) 11:01:41.65 ID:vEpPRAgP
>>313
>5月の予定でDデイをやるんならそれを絶対守れよというスターリンの主張にたいし
>準備はするけど地中海戦域の状況によって延期もあるとチャーチルが一蹴した。

「ドデカネス諸島の戦いで英連邦軍は大苦戦したからDデイは未定です」ってことになるのか?
320 :
名無し三等兵
2016/09/24(土) 11:16:01.07 ID:CoOusF7E
>>318
テヘラン会談はその後の連携プレーの為に協力するって骨子が重要なのであって、
西側が遅れたからバグラチオンやらないとかドイツと単独講和とかスターリンが言うほどキレなきゃセーフですよ。
(オーバーロード作戦が7月以降になったら考えてもいいかもね)
321 :
名無し三等兵
2016/09/24(土) 11:24:30.20 ID:Qa5lXHHi
>>320
Dデイが延期されていた1ヶ月間、米英はスターリン閣下に「待ちぼうけ」を食らわしたことになるが?
322 :
名無し三等兵
2016/09/24(土) 11:40:45.58 ID:CoOusF7E
>>321
同時に攻撃するのが約束なら、当然バグラチオンの方も5月1日にすべきじゃん。
実際には「遅れたDデイ」よりも更に後。

留意は、心に留めておくという意味で、『気をつける程度が弱く』
悪い事態にならないように「警戒する」といった意味では使われない。

って訳で、それほど重要な約束じゃないのよ。5月1日はという日時は。
323 :
名無し三等兵
2016/09/24(土) 12:20:52.53 ID:Qa5lXHHi
>>322
>実際には「遅れたDデイ」よりも更に後。

散々「待ちぼうけ」を喰らわされたんで、史実のDデイも疑われたんじゃねーの?
324 :
名無し三等兵
2016/09/24(土) 13:31:02.12 ID:RQXlg+V0
>>314
つ285

>>315
スターリンのDデイに関する付帯要求が一蹴されただけといってるのが読めなかったかね?
それとも各国が話し合いのために持ち出した条件が
寸分の狂いもなく合致してなんら交渉すら行われない円満会談でないとおまえの世界では決裂というのかね?
そりゃ稀に見る新説だなw

>>316
>それは、飛行機やそのほかの装備品を、イタリアから中国に補給がえをしたためである。
はい、Dデイとはまったく関係がなくなりましたねw
さっきからなにをとんちんかんなことばっかりいってるの??

>>318-319
おまえが出した資料だと思うんだがチャーチルがそういってないように見えるのか?
325 :
名無し三等兵
2016/09/24(土) 13:41:39.25 ID:RQXlg+V0
つーか平時でもないのに半年先の軍事作戦の予定を厳密に決定して
部隊の行動を縛ることなんか意味があるのか?
スターリンだってそのくらいのことはわかってるんだから、
きっぱり断ったチャーチルに反論すらしてないじゃん。
326 :
名無し三等兵
2016/09/24(土) 14:19:40.94 ID:Qa5lXHHi
>>324
>スターリンのDデイに関する付帯要求が一蹴されただけといってるのが読めなかったかね?

大変申し訳ないが、自分にはそんな珍妙な読み方はできない。交渉決裂なら会談する意味が全くない。

>>325
>つーか平時でもないのに半年先の軍事作戦の予定を厳密に決定して
>部隊の行動を縛ることなんか意味があるのか?

そのためのテヘラン会談なんだが?
327 :
名無し三等兵
2016/09/24(土) 14:23:20.50 ID:Qa5lXHHi
>>324
>はい、Dデイとはまったく関係がなくなりましたねw

冗談にしても面白くないなぁ。

>シェンノートの方針は、中国において実効をあげず、ヨーロッパでの活動に制約をあたえていた。
>それは、飛行機やそのほかの装備品を、イタリアから中国に補給がえをしたためである。

イタリアには第15航空軍が置かれていて、そこからルーマニア空襲作戦が行われているのを知らんのか?
328 :
名無し三等兵
2016/09/24(土) 14:28:26.06 ID:Qa5lXHHi
>>325
>つーか平時でもないのに半年先の軍事作戦の予定を厳密に決定して
>部隊の行動を縛ることなんか意味があるのか?

第二戦線については、独ソ戦が始まって以来、スターリンが主張していることだ。
「第二戦線の開設はいつですか」、スターリンはテヘラン会談のずっと前から米英に問うている。
テヘラン会談で第二戦線の日付けは5月1日、「オーバーロード作戦」と名付けられた。

時期を具体的に指定しなければ「やるやる詐欺」と同じ。
329 :
名無し三等兵
2016/09/24(土) 14:36:15.76 ID:Qa5lXHHi
>>325
>つーか平時でもないのに半年先の軍事作戦の予定を厳密に決定して
>部隊の行動を縛ることなんか意味があるのか?

ならテヘラン会談に意味があるのか?

米英ソの共同作戦でやる以上、「半年先の軍事作戦の予定を厳密に決定して部隊の行動を縛る」のは当然。
330 :
名無し三等兵
2016/09/24(土) 15:02:35.15 ID:Qa5lXHHi
>>325
>つーか平時でもないのに半年先の軍事作戦の予定を厳密に決定して
>部隊の行動を縛ることなんか意味があるのか?

イエナには世界最大の光学機器メーカー、カール・ツアイスの本部があった。イエナはチューリッヒ州にあるため
ソ連占領地であることが合意されていた。ところが、ソ連の占領がもたついたため、カール・ツアイスの確保をもくろんだ米国は、
イエナをいち早く占領してしまった。しかし、ソ連の抗議によって、最終的には、イエナはソ連に引き渡された。結局、
実際の現場のドサクサ紛れの占領よりも、首脳間の合意が優先するという、当たり前の結末に至っている。
http://cccpcamera.asablo.jp/blog/2007/07/01/1617254

1945年2月の「ヤルタ会談」では、戦争が終わった後のこともきちんと計画されていたんだぜ!
331 :
名無し三等兵
2016/09/24(土) 16:42:25.05 ID:CoOusF7E
>>329
そこまでの厳密性が必要なら、バグラチオンとオーバーロードは同日に行うと決める筈じゃん。
それが挟撃効果を一番高める。

実際にはそんな作戦は不可能なので、各自が「留意する」程度で準備を進めるだけ。
いや、7月8月辺りまで延ばすとかして、最初っからドイツの東部戦線のみに出血させて失血死を高みの見物とかいう態度に見られる程の大遅延を発生させるほどの戦果が上がればよかったんですがね。
そのための準備なんかしてないから、史実のオーバーロードが始まった頃には「顔色で察して、お願い」な戦況だったじゃないですか。

一か月遅れた理由だとしてもね、良くて「ふ〜ん?だから何?」
悪くすりゃ「余計なことしたせいで原爆と4島、後満州大虐殺、おまけに戦後世界での共産勢力の伸長」
どの評価が欲しい?
332 :
名無し三等兵
2016/09/24(土) 16:50:46.22 ID:CoOusF7E
>>327
つまり、オーバーロード無関係w

そもそも、その圧力ってのは太平洋戦線とか中華戦線という日本の参戦自体が引き起こしてるんであって、
馬鹿ムッチーの無意味な暴走の必要は全くない。

だいたい、補給線を切らなきゃチャンコロにも勝てないゴミカス陸助しか持てない国は、
さっさと大陸から引いて連合軍の一員となるべきだったのだw
333 :
名無し三等兵
2016/09/24(土) 17:00:32.47 ID:CoOusF7E
スリムやジファードが6月に撤退許可を要求する位追い込めても、
じゃ、「そこ放棄するわ」と返された時点で欧州への影響は無しなんだけど。

必要だったのは戦力を泥沼のように飲み込む(実際に無理でもせめてそう見える)戦線なのに、
肝心の火力や防御陣地をぶん投げて突貫する馬鹿ムッチーのせいで、むしろマウントバッテン大喜びw
334 :
名無し三等兵
2016/09/24(土) 17:57:34.85 ID:RQXlg+V0
>>326
>大変申し訳ないが、自分にはそんな珍妙な読み方はできない。交渉決裂なら会談する意味が全くない。
大変申し訳ないが、自分にはそんな珍妙な読み方はできない。交渉決裂なんかしてないもの。
なにもかもスターリンのいうとおりにすることが交渉なのかね?
いうとおりにならなかったから交渉決裂なのかね。
どんだけ珍妙なこといってるんだよ。

>そのためのテヘラン会談なんだが?
>時期を具体的に指定しなければ「やるやる詐欺」と同じ。
だから、そんなもん、そのときの軍事上の都合どころか
天候によってすら簡単に延期されるものにすぎませんよ。
たとえばUボートが史実より活躍して船が足りなくても5月1日を守らなきゃいけないんですか?
天候が悪くても無理矢理5月1日には作戦を開始せにゃならんのですか?
ドイツへの爆撃が想定以下の効力しか発揮し得ず
作戦自体成功があやしいのに5月1日には開始せにゃならんのか?

んで、そもそも具体的に指定しているじゃん。いったいなにが不満なんだ?

>米英ソの共同作戦でやる以上、「半年先の軍事作戦の予定を厳密に決定して部隊の行動を縛る」のは当然。
よってなにが当然なんだかまったくわかりません。
つーかさ、そこへむけて準備していたけど不都合が生じて延期しましたってのが史実でしょ。
なにが厳密に決定して(キリッだよw
おまえさんみたいに珍妙な厳密の話はそもそもお話になってない。

今はその不都合がイタリアなのかインパールなのかの話をしているわけだが
テヘラン会談を持ち出したのでそもそもその中でチャーチルは地中海戦域の状況で
延期もするよって明言してるじゃんって話なんだがね。
335 :
名無し三等兵
2016/09/24(土) 17:58:45.84 ID:Qa5lXHHi
>>331
>一か月遅れた理由だとしてもね、良くて「ふ〜ん?だから何?」

サラ金とかで借金の返済が一カ月遅れたら、遅延損害金を余計に請求されるだろう?
336 :
名無し三等兵
2016/09/24(土) 18:03:02.28 ID:Qa5lXHHi
>>334
>テヘラン会談を持ち出したのでそもそもその中でチャーチルは地中海戦域の状況で
>延期もするよって明言してるじゃんって話なんだがね。

そんなこと言ってないでしょ。チャーチルはスターリンの要求を断り切れずに受け入れている。

R巻 p.141
【・・・・・12月2日。私はテヘランからカイロへ帰り、・・・・・・12月4日の午後、われわれはテヘラン以来
の第一回全体会議を開いた・・・
・・私はいった。・・・・二つの決定的な事態がこの二,三日に起こっている。
第一には、スターリン元帥が、ソ連はドイツが敗北した瞬間に対日宣戦をする、と自発的に言明した。
・・・・・・われわれが「大君主」作戦の成功を期して力を結集すべきことを、それだけ重要ならしめるものである。・・
・・・第二の第一級的重要事項というのは、五月に海峡横断を行うことに決定したことである。私自身としては、
七月を取るものであったが、それにもかかわらず、五月の決行を完全に成功せしめるために、全力を尽くすべく決意している。】
この記述は、連合国にとって「ソ連対日参戦」言明がいかに重要であったかを示している。第一級的重要事項として、
海峡横断が第二で、ソ連対日参戦を第一とまで言っている。
チャーチルは、ソ連対日参戦言明が、「『大君主』作戦の成功を期して力を結集すべきことを重要ならしめる」と、
その言明ゆえに「大君主」作戦の成功がより重要になったとしている。
ソ連対日参戦と第二戦線開設が暗黙の取引になったと言って過言ではない。
http://tnngsg4601.blog110.fc2.com/?mode=m&;no=156

米英はオーバーロード作戦を5月に行う、だからソ連も対日参戦してくれって内容。
337 :
名無し三等兵
2016/09/24(土) 18:08:12.88 ID:Qa5lXHHi
>・・・第二の第一級的重要事項というのは、五月に海峡横断を行うことに決定したことである。私自身としては、
>七月を取るものであったが、それにもかかわらず、五月の決行を完全に成功せしめるために、

英連邦軍はついこの前「ドデカネス諸島の戦い」で失敗しているので、Dデイを延期してでもしばらくは
地中海戦線のほうに専念したかったに違いないが、スターリンはこれを拒否した。
338 :
名無し三等兵
2016/09/24(土) 18:44:50.59 ID:CoOusF7E
>>335
それは「遅れた時の規定」が前もって決まってるから取れるのだが、
そもそも「遅れたツケ」を払うのは勝ち組の間でのやり取りで有って、日本の有利不利には関係ない。

あのふざけたタイミングで可能な対日参戦なんて、スターリンにしてみりゃ義務というより領土を切り取る口実をくれるご褒美な訳で。
それを領土の引き直しを暴力でやるの良くない、という路線だった米英にご褒美として黙認させたのが一か月遅れの代償っていうなら、
北方4島はムッチーのせいで取られたのですよ。
339 :
名無し三等兵
2016/09/24(土) 18:48:25.61 ID:CoOusF7E
うん、オーバーロードをぶち壊しにしてバグラチオンを不発に終わらせる位の大戦果を挙げれば、
ムッチー大活躍で戦況は好転したと言えるのでしょうが。

その為には、文字通り空砲三発でスリムの首を印度人が(寝返って)投げて寄越すくらいでないと無理なのですよ。
340 :
名無し三等兵
2016/09/25(日) 07:40:54.60 ID:TsadgoBM
>>336
いや、最後の最後まで「言明」してなかったじゃん。
講和の仲介頼む間抜けが居た位に。

ドイツが死んで「即時」が三か月後なら、「5月」の仕事が6月上旬にずれる事なんかゴミですな。
341 :
名無し三等兵
2016/09/25(日) 11:43:46.56 ID:jcDQjX4T
>>336
イタリアを理由に遅延することをスターリンは拒否できてませんね。

>そんなこと言ってないでしょ。
日本語読めるかあ?
おまえ自身が出した資料だろ。
きちんといってるが?

>チャーチルはスターリンの要求を断り切れずに受け入れている。
だからおまえが出さなきゃいけないのは
5月を断り切れずに受け入れた資料じゃ無くて
イタリアを理由に延期するなというスターリンの要求を断り切れない資料。

おっと忘れてた。
>イタリアには第15航空軍が置かれていて、そこからルーマニア空襲作戦が行われているのを知らんのか?
すまん、俺にもDデイ無関係にしか見えないのだが?
シェンノートがインパール作戦でなにかしたのか?
342 :
名無し三等兵
2016/09/25(日) 16:31:06.79 ID:ddxYtpk+
なぜ最近書き込まないかというと
豊洲の問題を検証していて忙しい。

でだいたいわかった。
なぜ地下に空洞のある設計に変わったのかが。
理由は東日本大震災による液状化現象で
この対策として、地下を空洞にする案に代わったと。

たぶんマスコミもその経緯を知ってるはずだが
そのことを隠している。
343 :
名無し三等兵
2016/09/25(日) 16:49:41.48 ID:4lAASrvr
【ディマプールは攻略できた。そして、それで日本軍は勝利出来たというのが連合軍側の一致した見解】

■マウントバッテン大将(東南アジア連合軍 (SEAC)・総司令官)
「英印軍に非常に幸運だったのは、日本軍が驚くほど弾力性を欠いていたことだ。」
「すぐに第二目標であるディマプール攻撃に移っていたならば、
そのころ、まだ兵力の集中できていなかった連合軍はこれを防ぐ方法は無かった。 」

■スリム中将(連合軍第14軍司令官)『敗北から勝利へ』
日本の軍司令官のなすべき全ては、コヒマを妨害するため一支隊を残置し、師団の主力を持って猛烈にディマプールを衝く事であった。
幸いにも彼(佐藤師団長)はほとんどそれをとろうとしなかった。
佐藤中将は、私の遭った日本の将軍中で最も消極的であった。

■ストップフォード中将(第33軍団司令官・ジョラート)
「このときもし日本軍がコヒマからディマプールに果敢に急進していたのなら英国に勝利はなかった。(作戦全体において)」

■スチルウェル中佐(北部戦域軍(米支軍)参謀・レド)
「英軍は完全に奇襲された。準備半途を衝かれ、奇襲は決定的なものであった。
首府ディマプールには予備団も無く、日本軍があのまま 一押しすれば攻略は易々たるものであったのだ。
一方に、インパールの驚きは想像以上であって、守将ジファード大将(第11方面軍司令官)の如きは、一旦遠くカルカッタ方面まで
退却して後図を策するの是非を、マウントバッテン総師に伺いを立てるほどの驚きであったのだ」

■アーサー・パーカー中佐(第4軍団参謀・インパール)
「もし日本の連隊がディマプールに突進しておれば、インパールも日本軍によって占領されていたでありましょう。
なぜなら、佐藤師団がディマプールに突入していたら、英第四軍団はインパールから撤退していたからであります。」

■アーサー・スウィンソン大尉(英第2師団参謀・ディマプール)『コヒマ』
牟田口の方が、実際には正しかったのである。何といっても正しかったのは間違いないのである。
これがナポレオンの言った「機宜」というものであろうか。佐藤師団長が一ヶ月の間に、ディマプールを占領しさえしていたら、英軍は懸崖に立たされていたであろう。
344 :
名無し三等兵
2016/09/25(日) 17:02:56.53 ID:ddxYtpk+
おれが検証した結果、これが結論

当初は盛土だけで行く予定で
先行して敷地の造成工事は始まっていた。

ところが2011年3月、東日本大震災が発生
液状化現象によって造成地も水浸しになってしまった。
盛土だけでは問題があることがこの時に明らかになった。

そこで改めて建物の設計を検討し
液状化現象に対する対策として地下を大きな空洞にする
案が生まれた。
345 :
名無し三等兵
2016/09/25(日) 17:08:28.18 ID:OVbq8xih
>>341
>だからおまえが出さなきゃいけないのは
>5月を断り切れずに受け入れた資料じゃ無くて
>イタリアを理由に延期するなというスターリンの要求を断り切れない資料。

ほい。

>海峡横断作戦と地中海作戦のいずれにどの程度力を入れるべきかということについてスターリン
>の考えを聞きたいと願ったとしているが、海峡横断作戦こそが本命であるということは1942年から
>一貫してスターリンが主張してきたことであって、ことさら聞くまでもないことではなかったか。
>スターリンにしてみれば「開戦当初からの話し合いは何だったのか、無視されている」という思いだったのではないか。

>・・・第二の第一級的重要事項というのは、五月に海峡横断を行うことに決定したことである。
>私自身としては、七月を取るものであったが、それにもかかわらず、五月の決行を完全に成功せしめるために、全力を尽くすべく決意している。

まだ文句あるか? 罵詈雑言なんでもどうぞw
346 :
名無し三等兵
2016/09/25(日) 17:10:11.44 ID:OVbq8xih
>>341
>すまん、俺にもDデイ無関係にしか見えないのだが?
>シェンノートがインパール作戦でなにかしたのか?

 シェンノートは、揚子江にむかって前進中の日本軍を攻撃してもよいとの許可をあたえられたが、
多くの飛行機をビルマ作戦に転用されたうえ、中国東部にある基地の予備燃料がおそろしく少なかったため、
中国軍に適切な航空支援をあたえることができなかった。
 このとき(四月三十日)、第14航空軍は五〇〇機を保有していたが、使用できたのは四〇〇機であった。
 このうち二〇〇機をビルマ作戦にもっていかれ、残りの二〇〇機で、ヒマラヤ越え空輸の防護と、
中国軍への航空支援を行わなければならなかった。
 二〇〇機という数は、二つの任務をうまく果すためには、到底不十分な数であった。
http://ktymtskz.my.coocan.jp/J/aircraft/chaina8.htm
347 :
名無し三等兵
2016/09/25(日) 17:14:27.46 ID:xa9UWl7B
>>278
>おまえがまじめに議論しようとしているようにはまったく思えないのだが?
>なんでいちいち全部聞いてくるんだ?

そりゃあんたがテヘラン会談で何が決まったのかを、頑なに理解しようとしないからだよ。

少しは勉強になったか?
348 :
名無し三等兵
2016/09/25(日) 17:16:57.91 ID:xa9UWl7B
>>341
>すまん、俺にもDデイ無関係にしか見えないのだが?

日本語読めない?

>シェンノートの方針は、中国において実効をあげず、ヨーロッパでの活動に制約をあたえていた。
>それは、飛行機やそのほかの装備品を、イタリアから中国に補給がえをしたためである。
349 :
名無し三等兵
2016/09/25(日) 17:21:04.33 ID:OVbq8xih
>>284
>1個師団足らずで行われたドデカネス諸島の戦いが不利だからと言って延期されなかったので 

ならもう少し勉強しような。

>>283
>だとしたらイタリアから蹴落とされればせっかく保持した地中海の制海権を失うことにもなりかねず
>その重要性はインパールの比ではないので

地中海の制海権についてだが、そういうことならドデカネス諸島の戦いを無視してもいいのか?
350 :
名無し三等兵
2016/09/25(日) 17:22:44.79 ID:OVbq8xih
>>278
>おまえがまじめに議論しようとしているようにはまったく思えないのだが?
>なんでいちいち全部聞いてくるんだ?

議論を楽しむか、このスレから立ち去るかは、君の選択に委ねる。
351 :
名無し三等兵
2016/09/25(日) 18:00:43.19 ID:TsadgoBM
>>345
で、約束破った(w)ツケって、結局火事場泥棒を見て見ぬふりって形で日本が支払ってる訳で。
また、「ちきしょう今頃になって美味しい所だけ持って行かれてたまるか、日本をさっさと落とせ」とばかりに原爆連打したのもソ連参戦項目が現実化したせい。

約束を破らせたのはインパール作戦ってんなら、両方ともムッチーのせいだな。
352 :
名無し三等兵
2016/09/25(日) 20:04:18.50 ID:4lAASrvr
敵前逃亡で日本軍を敗走させた馬鹿が、
牟田口司令官に責任を押し付けるww
353 :
名無し三等兵
2016/09/25(日) 20:25:41.80 ID:jcDQjX4T
>>345
日本語読めないんですか?
>だからおまえが出さなきゃいけないのは
>5月を断り切れずに受け入れた資料じゃ無くて
>イタリアを理由に延期するなというスターリンの要求を断り切れない資料。

>>346
日本語読めないのか?
それのどこにシェンノートがインパールでなにかしたということを指すんだ?
それですらインパールじゃなくて中国戦線が足を引っ張ったというお話になるがw

>シェンノートの方針は、中国において実効をあげず、ヨーロッパでの活動に制約をあたえていた。
>それは、飛行機やそのほかの装備品を、イタリアから中国に補給がえをしたためである。
日本語読めない?
インパールのイの字もないじゃんかw

>地中海の制海権についてだが、そういうことならドデカネス諸島の戦いを無視してもいいのか?
あたり前だろ。
ドデカネス諸島に制海権を左右するドイツやイタリア海軍の基地でもあったのか?
354 :
名無し三等兵
2016/09/25(日) 20:29:03.25 ID:jcDQjX4T
あのさあ、たとえばシェンノートについていえば
中国担当のシェンノートがなぜかインパール作戦対応のために
Dデイのために準備されていたなぜかイギリスの航空兵力を引き抜いて使用したから
延期したって話をしてくれないと
悪意があるなら単にあなたが資料をトリミングして誇大にいってるだけ、
悪意がないなら単にあなたが日本語を読めないだけって結論にしかならんよ。
それをいちいち全部質問してきたところでそれ以上議論はすすまない。
まあ相手をあきれさせて勝ち誇ろうっていうみっともない行為をするつもりがないなら
もうちょっとまともな根拠を出してくださいよ。
355 :
名無し三等兵
2016/09/25(日) 20:52:07.25 ID:OVbq8xih
>>353
>ドデカネス諸島に制海権を左右するドイツやイタリア海軍の基地でもあったのか?

ふーん…

>>283
>だとしたらイタリアから蹴落とされればせっかく保持した地中海の制海権を失うことにもなりかねず
>その重要性はインパールの比ではないので

ふーーーーーーん…
356 :
名無し三等兵
2016/09/25(日) 20:54:57.47 ID:OVbq8xih
>>354
>悪意がないなら単にあなたが日本語を読めないだけって結論にしかならんよ。

大変申し訳無いが、あなたの日本語が非常にわかりにくい。そういうわけで、これからも議論を続けていこうか。
357 :
名無し三等兵
2016/09/25(日) 20:57:00.16 ID:OVbq8xih
ドデカネス諸島はエーゲ海の南東部に浮かぶ島々で、伊土戦争以降イタリア領となっていた。
イタリア統治下で、戦略的に重要な位置にあるこれらの島は、地中海東部におけるイタリアの領土的野心の中心となった。
諸島で最大の島、ロードス島(ロドス島)は、主要な陸軍及び航空部隊の基地となった。良港を持つレロス島は、
強固に要塞化された航空基地になり、ムッソリーニは「地中海のコレヒドール」と豪語した。
358 :
名無し三等兵
2016/09/25(日) 21:01:23.92 ID:OVbq8xih
>>354
>悪意があるなら単にあなたが資料をトリミングして誇大にいってるだけ、

トリミングしちゃって悪かったな、余計なお世話かもしれないが、君には少し勉強してもらいたかったんでw
359 :
名無し三等兵
2016/09/25(日) 21:45:35.58 ID:jVGN0Exd
>>353
>ドデカネス諸島に制海権を左右するドイツやイタリア海軍の基地でもあったのか?

???
360 :
名無し三等兵
2016/09/25(日) 21:48:08.05 ID:uY/7JxzE
というか地中海の戦いなんて、「ドデカネス諸島の戦い」みたいなショボいことしかやってない。
361 :
名無し三等兵
2016/09/25(日) 21:59:26.47 ID:jcDQjX4T
つーかさ、
>テヘラン会談で何が決まったのかを、頑なに理解しようとしない
つうんだけど、
テヘラン会談でよそがどうだろうと期日厳守が決まったっていうんなら
なんでインパール作戦で延期させられるのかね?
きっぱり明言して断ったイタリア要因による期日移動の可能性をかたくなに理解しようとせず、
なにひとついってないインパールではころっと変更するって
支離滅裂なんだよ、おまえさん。
362 :
名無し三等兵
2016/09/25(日) 22:12:15.75 ID:TsadgoBM
>>352
1:インパール作戦のせいでオーバーロードちゃんが遅刻した(とキチガイが言い張る)
2:オーバーロードちゃんが遅刻した場合の不利益はソ連の増長
(OLちゃんが死んだ事をドイツが認識しない限り、バグラチオンに救援のドイツ軍は来ないので相当な大遅刻をさせない限りソ連が勝つ事に変わりが無い)
3:ソ連の増長を許した結果が北方4島であり、放置すると北海道とか東北まで取りかねなかったので原爆連打。
これらの損害は1と2が真実である以上、インパール作戦を主張して実行したムッチーの責任となる。
363 :
名無し三等兵
2016/09/25(日) 23:49:47.10 ID:TsadgoBM
インパールの為に本国が何をインドに廻したのか、
またはオーバーロード用の何を印度から取り寄せる予定が有って、そいつをマウントバッテンが手放さなかったのか。

この説明ができない以上、インドの場末での勝ち戦(連合軍視点)がどうしてオーバーロードの妨げになったのか、を説明しなきゃただの妄想だよねw
364 :
名無し三等兵
2016/09/25(日) 23:52:10.10 ID:4xs5jXbB
>>352
牟田口も軍司令部を捨てて逃亡しているが?w
365 :
名無し三等兵
2016/09/25(日) 23:54:49.54 ID:jcDQjX4T
英国の航空作戦指導―マレー及びビルマ - 防衛省防衛研究所 -
によれば
3月29日、統合参謀本部は地中海と中東から米軍のダコタ64機と英空軍のダコタ25機をマウントバッテンの指揮下に一時的に移すことに同意し、
「ヒマラヤ山脈」ルート輸送機の指揮権も与えた。しかし、4月28日、米軍は中東から回した輸送機を5月中旬まで戻すよう要求した。

シェンノートw関係ないし、たった25機の輸送機が不足していたからオーバーロード作戦を延期したのかねえw
366 :
名無し三等兵
2016/09/26(月) 00:00:44.55 ID:E7HVAVo9
さらにいえば43年12月の段階で
ビルマ方面における航空兵力は735機で日本側の3倍。
400機という数字がどこからでてきたか知らんが、
200機の記述を見る限り中国方面の航空兵力であって
ビルマの航空兵力の不足を補うため、
Dデイが延期されたようにはまったくみえない。

日本語読めるのか不思議でしょうがない
367 :
名無し三等兵
2016/09/26(月) 00:02:33.65 ID:o8x0jMIt
>>366
まともな議論だと負けるのでわざとバカの不利をしているのだ。

バカは有利だと勘違いしているんだな。
368 :
名無し三等兵
2016/09/26(月) 01:06:22.37 ID:AjioIDfO
おお、しっかり勉強してるじゃないか。しかしながら、

>>365
>3月29日、統合参謀本部は地中海と中東から米軍のダコタ64機と英空軍のダコタ25機を

合計84機だね、「たった25機」てはない!

>たった25機の輸送機が不足していたから

Dデイに間に合うように、5月中旬まで戻すようと要求してるわけだ。

>4月28日、米軍は中東から回した輸送機を5月中旬まで戻すよう要求した。

納得した?
369 :
名無し三等兵
2016/09/26(月) 01:11:48.25 ID:AjioIDfO
>>366
> ビルマ方面における航空兵力は735機で日本側の3倍。
>400機という数字がどこからでてきたか知らんが、

シェンノートの在支14空軍は、ビルマ方面とは別なんだが?

>このうち二〇〇機をビルマ作戦にもっていかれ
370 :
名無し三等兵
2016/09/26(月) 01:15:21.05 ID:AjioIDfO
>>361
>きっぱり明言して断ったイタリア要因による期日移動の可能性

???

>・・・第二の第一級的重要事項というのは、五月に海峡横断を行うことに決定したことである。
>私自身としては、七月を取るものであったが、それにもかかわらず、五月の決行を完全に成功せしめるために、全力を尽くすべく決意している。
371 :
名無し三等兵
2016/09/26(月) 01:20:46.47 ID:AjioIDfO
>>313
>それDデイの戦力が転用されたんでは無くて、
>インドにあったもともとの戦力とハンプルートの輸送機が転用されたんで

間違いを認めた君の勇気は素晴らしい!

>>365
>3月29日、統合参謀本部は地中海と中東から米軍のダコタ64機と英空軍のダコタ25機を
372 :
名無し三等兵
2016/09/26(月) 01:28:30.45 ID:AjioIDfO
>>361
>なにひとついってないインパールではころっと変更するって

つまり、変更を余儀なくされたってことだよなw

>4月28日、米軍は中東から回した輸送機を5月中旬まで戻すよう要求した。

Dデイの遅れは米軍にとっては痛恨ゆえ、インパールが片付き次第、輸送機をヨーロッパへ戻したかった。
373 :
名無し三等兵
2016/09/26(月) 01:36:15.34 ID:AjioIDfO
>>365
>3月29日、統合参謀本部は地中海と中東から米軍のダコタ64機と英空軍のダコタ25機を

たったの一日で89機もの輸送機がビルマ送りになったのは、たったの一日で88機(全損+大破)を失い作戦中止になった、
1943年10月のシュバインフル卜航空戦に匹敵する損失であり、Dデイ延期の要因になりうる。
374 :
名無し三等兵
2016/09/26(月) 05:54:11.95 ID:hAauKz8z
>>368
それって、6月に顔色で云々言ってた馬鹿ムッチーより先にって言うか...
インパールは連合国が勝つって4月中に見切られてるじゃんw

インパールが巨大な地雷原で、突っ込んだムッチーがアホという証拠ではあるなw

そして、その愚行の結果がソ連の増長とそれによる北方四島と原爆の悲劇。
盧溝橋からやらかし続けて、ぜ〜んぶ陛下に尻拭いさせた大逆賊ムッチー。
375 :
名無し三等兵
2016/09/26(月) 07:18:49.67 ID:nLn+8v7u
コヒマへの攻勢作戦とその空輸によって輸送機が負う多大な負担とウインゲートの第
二次チンデット作戦(「木曜日作戦」)の補給支援、さらにはインパールの戦力増強のた
めに F・W・メサービー大将の第 7 インド師団の一部をアラカンから空輸する決定とい
った、これら様々な空輸作戦を行うためにはより多くの輸送機が必要である ことは明白
であった。そこで、3 月 25 日にマウントバッテンは、さらに 70 機のダコタを送るよう、
また、「ヒマラヤ山脈」ルート空輸任務から抽出している輸送部隊への指揮権を与えるよ
う統合参謀本部に要請した。3 月 29 日、統合参謀本部は地中海と中東から米軍のダコタ
64 機と英空軍のダコタ 25 機をマウントバッテンの指揮下に一時的に移すことに同意し、
「ヒマラヤ山脈」ルート輸送機の指揮権も与えた。しかし、4 月 28 日、米軍は中東から
回した輸送機を 5 月中旬まで戻すよう要求した。米軍輸送機の支援が得られなくなると、

ビルマでの作戦に多大な影響が出ることになり、マウントバッテンは、輸送機の確保に
関して極めて困難な状況に直面した。ワシントンはその代わりに米本土からダコタを送
ることを申し出たが、それらのダコタの操縦士たちは戦闘の経験がなく、モンスーンや
山岳気象の中での飛行に必要な航法訓練も受けていないため、役に立たないことをマウ
ントバッテンは十分に承知していた。マウントバッテンは輸送機を中東に戻すことを拒
否し、結局、ワシントンが譲歩して当初は 5 月 31 日まで、最終的には 6 月 16 日までマ
ウントバッテンが中東の輸送機を指揮することを認めた。
http://www.nids.go.jp/event/forum/pdf/2002/forum_j2002_12.pdf

>3 月 29 日、統合参謀本部は地中海と中東から米軍のダコタ64 機と英空軍のダコタ 25 機を
>マウントバッテンの指揮下に一時的に移すことに同意し、「ヒマラヤ山脈」ルート輸送機の指揮権も与えた。
>しかし、4 月 28 日、米軍は中東から回した輸送機を 5 月中旬まで戻すよう要求した。

Dデイ(オーバーロード作戦)を目前にしていた米軍としては、この転属措置はやりきれない思いだったろう。
376 :
名無し三等兵
2016/09/26(月) 07:31:40.60 ID:nLn+8v7u
>ビルマでの作戦に多大な影響が出ることになり、マウントバッテンは、輸送機の確保に
>関して極めて困難な状況に直面した。ワシントンはその代わりに米本土からダコタを送
>ることを申し出たが、それらのダコタの操縦士たちは戦闘の経験がなく、モンスーンや
>山岳気象の中での飛行に必要な航法訓練も受けていないため、役に立たないことをマウ
>ントバッテンは十分に承知していた。

パラシュート部隊を運んだりグライダーを曳航したC-47スカイトレイン輸送機。
英軍もダコタの名称で空挺隊員の輸送に使用した。(英軍の場合、グライダーの曳航には4発重爆を使用)
白黒の帯はノルマンディー上陸作戦に合わせて描かれたインベイジョンストライプで、
上陸作戦時からしばらくは米英機の胴体後部、主翼を巻くように描かれたが、やがて目立ちすぎるの
を嫌ってか下側のみに描く機体が増えた。
http://oldbattlefield.web.fc2.com/19440606_USairborne.html

(でも第二次世界大戦で、実際に戦いで使われたことに思いが及ぶと、なんとも言いようの無い気持ちになって、
単に歴史的な飛行機、スケール機として楽しめない気分になります。以前見たことのあったTVドラマBand of Brothersの、
ノルマンディ上陸作戦で相当数の輸送機がC-47でした。北フランスに出撃した海と空の<おびただしい>艦船、
航空機の中でも、重要な任務を果たしたC-47でした)
http://sky.geocities.jp/ic275375/planes/14skytrainC47.html
377 :
名無し三等兵
2016/09/26(月) 07:34:18.41 ID:nLn+8v7u
>4月28日、米軍は中東から回した輸送機を5月中旬まで戻すよう要求した。

日付が6月6日に変わった深夜、空挺部隊によって大陸への侵攻が開始。
英第6空挺師団が「メルヴィル砲台」の無力化に挑み、
米軍の2つの空挺部隊「第82空挺部隊」と「第101空挺部隊」もC-47輸送機で飛び立ちます。
死地へ向かうことを理解している部隊員たちは、エンジンの咆哮と振動にひたすら耐えつつも、
襲いくる吐き気に胃の中身を床にぶちまけ、肝心の時にひどく滑りやすくなってしまいます。
テイラー少将の「断じて一人も機内に残すな」の命令は、
最後に飛び降りる軍曹たちによって遂行され、高射砲によって重傷を負った10数名を除けば、
例外はわずかに2名。1人は機内で緊急用パラシュートが開いてしまった者、
もう1人は、心臓発作に見舞われたある少佐です。。

アントニー・ビーヴァー著の「ノルマンディー上陸作戦1944(上)」
http://ona.blog.so-net.ne.jp/2012-12-15
378 :
名無し三等兵
2016/09/26(月) 13:27:02.78 ID:E7HVAVo9
>>368
いや毎度毎度思うんだが日本語読めないのか?
戻したのなら遅延の理由にならないじゃないか。
だから戻ってない25機のことをいったんだよ。

>シェンノートの在支14空軍は、ビルマ方面とは別なんだが?
んなこたわかってるよ。
んで俺の記憶ではこいつらはビルマ作戦、
すなわち新編中国軍の援護に当てられたのであって
インパール作戦対応のためにあてられていない。
だからさっさとシェンノートとインパールの関係を出せっていってるの。

>つまり、変更を余儀なくされたってことだよなw
それがイタリアでおかしい理由でもあるのかw
そもそも引き抜かれたのは中東と地中海の輸送機だ。

>たったの一日で89機もの輸送機がビルマ送りになったのは、たったの一日で88機(全損+大破)を失い作戦中止になった、
>1943年10月のシュバインフル卜航空戦に匹敵する損失であり、Dデイ延期の要因になりうる。
だから地中海と中東の輸送機が足りなくなったことがDデイとどう関係があるんだ?
なりうるとかバカな憶測でいいなら、
マリアナ沖でもなんでもいいからなりうるなw
379 :
名無し三等兵
2016/09/26(月) 13:28:28.56 ID:E7HVAVo9
つかこっちのいってることわかってるの?
引き抜かれたのが地中海と中東の輸送機なんだから
イギリス本土の戦力は一機たりともビルマにいってないわけだ。
ノルマンディーで地中海と中東の輸送機が使われる予定でもあったのかねw
380 :
名無し三等兵
2016/09/26(月) 13:51:13.18 ID:+X0ovzNn
>>378
>だから地中海と中東の輸送機が足りなくなったことがDデイとどう関係があるんだ?

地中海や中東はDデイとは関係無いと、あんたは主張するのか?
381 :
名無し三等兵
2016/09/26(月) 14:05:12.20 ID:dW8kXroX
Dデイ>地中海>インパール、の順では?
382 :
名無し三等兵
2016/09/26(月) 14:07:14.08 ID:etETzlDV
>>379
>引き抜かれたのが地中海と中東の輸送機なんだから
>イギリス本土の戦力は一機たりともビルマにいってないわけだ。

地中海と中東の輸送機は、Dデイとは無関係に存在するものなのか?
383 :
名無し三等兵
2016/09/26(月) 14:10:58.63 ID:etETzlDV
>>378
>それがイタリアでおかしい理由でもあるのかw
>そもそも引き抜かれたのは中東と地中海の輸送機だ。

中東と地中海の輸送機は、イタリア戦線とは関係無い?
384 :
名無し三等兵
2016/09/26(月) 14:32:17.69 ID:etETzlDV
>しかし、4 月 28 日、米軍は中東から回した輸送機を 5 月中旬まで戻すよう要求した。

もともとビルマ戦線は優先順位も低く、積極的に介入する意図も無かったのに、
日本軍のインパール作戦で仕方無しにヨーロッパから転用せざるを得なかった。
だからインパールが片付き次第、直ちにヨーロッパへ戻してくれってことだ。
385 :
名無し三等兵
2016/09/26(月) 14:38:18.72 ID:etETzlDV
もともと優先順位が低かったビルマ戦線だからこそ、連合国としては予期しないインパール作戦に対して、
優先していたはずのヨーロッパ戦域からの転用を余儀なくされた。
386 :
名無し三等兵
2016/09/26(月) 19:14:28.85 ID:iqgMJgvt
>>374
牟田口は連合軍の英雄かね。
ろこうきょうで中国共産化のきっかけ、日本は領土大喪失して英米占領下に
387 :
名無し三等兵
2016/09/26(月) 19:16:51.93 ID:iqgMJgvt
>>232
アメリカはドイツ防空に大損害を受けて1944年後半になるまで爆撃はショボかったが
イギリスは1943年にチャズタイズ作戦とゴモラ作戦でドイツに大打撃を与えている。
これがなければクルスクでソ連は敗北してたな。
388 :
名無し三等兵
2016/09/26(月) 19:21:12.62 ID:iqgMJgvt
>>382
中東の輸送機はイタリア戦線と関連するもので、ノルマンディーとは関係ないぞ。
むしろビルマ戦で予想外に日本軍が早く崩壊したから、日本の無条件降服が一年も早まった。
インパール作戦の失敗で東條内閣があっさりつぶれたしな。
389 :
名無し三等兵
2016/09/26(月) 19:24:01.93 ID:iqgMJgvt
>>385
そして予期しない大日本帝国陸軍始まって以来のトンでもない大敗北に、日本の降服が一年も早まった。
マリアナがあっさり陥落したのも、フィリピンがたった8ヶ月で制圧されて50万の日本兵が死んだのも
だいたい牟田口のせい。
390 :
名無し三等兵
2016/09/26(月) 20:35:29.42 ID:fPNoyWYW
日本の無条件降服()
391 :
名無し三等兵
2016/09/26(月) 20:39:32.44 ID:E7HVAVo9
>>380
んでどう関係したの?
Dデイに備えていた飛行機が引き抜かれて延期したの?
それに地中海はともかく中東は関係ないだろ。

>>381-385
だーれもそんなこたいってない。
あれほど会談会談喚いていたのに不測の事態の一言で済ますおまえに、
不足の事態がインパールでなければならず
イタリアであってはいけない理由をきいているんだ。

んで地中海中東をヨーロッパ戦域とすり替え、
Dデイと絡める愚にもつかない論理の飛躍をそうやってごまかすつもりかね?
君にとってそれが効果のあることなのかい?
392 :
名無し三等兵
2016/09/26(月) 23:24:16.37 ID:nLn+8v7u
>>391
>それに地中海はともかく中東は関係ないだろ。

スエズ運河はどこにあるの? 第二次大戦当時はどこの国の管轄?
393 :
名無し三等兵
2016/09/26(月) 23:25:05.32 ID:nLn+8v7u
>>391
>んで地中海中東をヨーロッパ戦域とすり替え、

地中海と中東は、ヨーロッパ戦域とは無関係?
394 :
名無し三等兵
2016/09/26(月) 23:26:26.98 ID:nLn+8v7u
>>391
>君にとってそれが効果のあることなのかい?

議論を楽しめればそれで良い。
395 :
名無し三等兵
2016/09/26(月) 23:30:41.80 ID:nLn+8v7u
まあDデイが遅れた理由はいろいろあるんだろうが、1943年12月のテヘラン会談で「想定外」だったのは、
大陸打通作戦とインパール作戦に尽きるのではないかと、個人的にはそう思えてならない。
396 :
名無し三等兵
2016/09/26(月) 23:34:08.45 ID:nLn+8v7u
テヘラン会談で地中海戦線の長期化は盛り込まれていたが、ビルマ戦線についてはそうではなかった。
むしろ取るに足らないと思われた戦域で思わぬ衝撃を受け、ヨーロッパから輸送機議が転属された。
397 :
名無し三等兵
2016/09/27(火) 00:51:34.27 ID:7D8tcVBW
またまた、ツッコミどころ満載で…

>>391
>んで地中海中東をヨーロッパ戦域とすり替え、
>Dデイと絡める愚にもつかない論理の飛躍をそうやってごまかすつもりかね?

Dデイ以前は、地中海中東が主たる戦域だったから。操縦士には実戦経験が必要だった。

>ビルマでの作戦に多大な影響が出ることになり、マウントバッテンは、輸送機の確保に
>関して極めて困難な状況に直面した。ワシントンはその代わりに米本土からダコタを送
>ることを申し出たが、それらのダコタの操縦士たちは戦闘の経験がなく、モンスーンや
>山岳気象の中での飛行に必要な航法訓練も受けていないため、役に立たないことをマウ
>ントバッテンは十分に承知していた。
398 :
名無し三等兵
2016/09/27(火) 00:53:24.25 ID:7D8tcVBW
>>379
>引き抜かれたのが地中海と中東の輸送機なんだから
>イギリス本土の戦力は一機たりともビルマにいってないわけだ。

イギリス本土で待機しているだけの、実戦経験の乏しい操縦士は要らないってば!
399 :
名無し三等兵
2016/09/27(火) 10:19:09.47 ID:xfkvVK6V
>>375-377
>>375で、貸し出したダコタちゃんは16日までマウントバッテンの指揮下になったとある。
つまり、(遅れた)D-デイに参加してないし、予定の空挺降下はちゃんと行われたのでオーバーロードの遅延とは無関係。

補給機としてフランスの港からの陸路じゃ足りない分を補うために必要だった、
なんて言っちゃうと、返済期限から考えて2週間以上前進した軍団には、平坦な道路をトラック使い放題の米英でさえ陸路での補給が難しかった証拠になる訳で。。。

それを牛に担がせて山道でって言うムッチーの馬鹿さ加減が浮き彫りになるだけ。
400 :
名無し三等兵
2016/09/27(火) 10:22:29.99 ID:xfkvVK6V
で、>>362のムッチーの責任は認めるの、認めないの?
401 :
名無し三等兵
2016/09/27(火) 14:30:32.00 ID:xfkvVK6V
>>382
テヘラン会談でユーゴスラビアのパルチザンに差し入れをする事になってるね。

ユーゴスラビアはバグラチオンで奪還する地域の隣(ドイツ寄り)の地域なので、
敵の増援や補給に対する嫌がらせとして「バグラチオンの」助けになる物。
地中海の部隊は基本的にこういうお仕事。中東は陸揚げしたソ連行きの物資でしょう。
402 :
名無し三等兵
2016/09/27(火) 19:42:38.89 ID:lX/C5d9l
>>397-398
突っ込みどころ満載っておまえ何が見えているんだ?
俺がパイロットの経験について述べているようにみえたのか?

地中海中東とヨーロッパ戦域をすり替えたのに気づいてないのか?
それなら実戦経験がどうこうじゃなくて
おまえが出すべきはDデイに使われる予定だった飛行機が
インパールで引き抜かれたため延期になったということだろ。
それがないから、インパールのせいじゃないよといってるわけだ。
403 :
名無し三等兵
2016/09/27(火) 19:47:41.72 ID:lX/C5d9l
俺の記憶するところでは
アイゼンハワーが一ヶ月延期したのは必要な物資・兵力をかき集めるため。
それは北アフリカやイタリアといった安定した戦線から転用するものであり、
この時期には安定している予定だったイタリア戦線から引き抜こうと思っていたが
とても(3月か遅くとも4月にはイギリスにいてほしい)部隊を5月に間に合うように引き抜ける戦況では無かったと記憶している。

つまりDデイの兵力を他方面に回したから延期したのではなく
他方面からくるはずの兵力が戦線が安定せず引き抜けなかったから延期したということ。
延期前に相手の攻勢で始まっているインパール要素まったくないんだけどね。
404 :
名無し三等兵
2016/09/27(火) 20:14:03.83 ID:7D8tcVBW
>>402
>地中海中東とヨーロッパ戦域をすり替えたのに気づいてないのか?

いやだから、実戦経験豊富な地中海中東からビルマ方面へ輸送機部隊が引き抜かれたってことなんだが?

>アイゼンハワーが一ヶ月延期したのは必要な物資・兵力をかき集めるため。
>それは北アフリカやイタリアといった安定した戦線から転用するものであり、
>この時期には安定している予定だったイタリア戦線から引き抜こうと思っていたが
>とても(3月か遅くとも4月にはイギリスにいてほしい)部隊を5月に間に合うように引き抜ける戦況では無かった

イタリア戦線から引き抜こうと思っていたが、日本軍のインパール作戦でイタリア戦線から引き抜かれ、
とても(3月か遅くとも4月にはイギリスにいてほしい)部隊を5月に間に合うように引き抜ける戦況では無かった。

納得した?
405 :
名無し三等兵
2016/09/27(火) 20:16:21.75 ID:7D8tcVBW
>>403
>それは北アフリカやイタリアといった安定した戦線から転用するものであり、
>この時期には安定している予定だったイタリア戦線から引き抜こうと思っていたが

「3 月 29 日、統合参謀本部は地中海と中東から米軍のダコタ 64 機と英空軍のダコタ 25 機を
マウントバッテンの指揮下に一時的に移すことに同意し、「ヒマラヤ山脈」ルート輸送機の指揮権も与えた。
しかし、4 月 28 日、米軍は中東から回した輸送機を 5 月中旬まで戻すよう要求した。」
406 :
名無し三等兵
2016/09/28(水) 08:38:27.27 ID:R/EQNttC
>>404
>納得した?
うん、おまえが精神的にやんでいるのは納得した。

>とても(3月か遅くとも4月にはイギリスにいてほしい)部隊を5月に間に合うように引き抜ける戦況では無かった。
と書いているのに
>「3 月 29 日、統合参謀本部は地中海と中東から米軍のダコタ 64 機と英空軍のダコタ 25 機を
>マウントバッテンの指揮下に一時的に移すことに同意し、「ヒマラヤ山脈」ルート輸送機の指揮権も与えた。
>しかし、4 月 28 日、米軍は中東から回した輸送機を 5 月中旬まで戻すよう要求した。
とか書き込んでいてなにも不思議に思わないおまえさんの精神がね。

日にちまできちんと書いてやったのになにも見てないんだなあ。
407 :
名無し三等兵
2016/09/28(水) 09:37:41.24 ID:WV0gv1Jj
ダコタちゃんがアイゼンハワーの元に実際に返ってきたのは遅刻版のDデイの後ですよ。
(最終的に6月16日まで指揮下に置くことを認めてるので、原隊復帰はもっと後。)
つまり、無くても(オーバーロード本体には)問題ない存在だったと言う証拠が>>375

だいたい、ダコタちゃん世界中で引っ張りだこなのに、中東や地中海に「無駄に駐機させていた」訳ないのです。
留守中に溜まった仕事が積み上がってるので、その処理やらされてるに決まってるじゃん。

アイゼンハワー:「んなのどーでもいいからフランス手伝え」
って指示が有るなら、ビルマ行き同様に移動した証拠が有るはずだからそれ提示な。
出来ないなら、オーバーロードにまったく無関係だったってだけw
408 :
名無し三等兵
2016/09/28(水) 09:42:11.69 ID:WV0gv1Jj
しかし、輸送機が足りないから、揚陸艇が足りないから、と準備の為なら延期した方が成功するのだから、
牛で山道の制空権無しの馬鹿ムッチーが大惨敗したのは、師団長どうこう以前にムッチーの作戦負けだわな。
409 :
名無し三等兵
2016/09/28(水) 10:04:30.30 ID:WV0gv1Jj
馬鹿土足は、それまで揚陸艇ガー言ってたのだが、
印度の防衛に何の役にもたたない鉄のたらいやゴムボートをマウントバッテンが出し惜しみした、とはまったく酷い侮辱である。

このような侮辱が許される以上、当スレでムッチーを連合軍のスパイと認定するのに何の根拠も無用ですねw
410 :
名無し三等兵
2016/09/28(水) 19:31:51.51 ID:4HKRj/5W
>>101
このゲームで最強の国作ろンゴ
http://ankachan.info/

国に所属して内省したり外交したり軍事行ったり戦争したり修業したり討伐したりして
強くなったり国統一したり絵を描いたりカジノしたり商売したりアイテムコンプリートするゲーム
スマホでもできるンゴよ
411 :
名無し三等兵
2016/09/28(水) 21:51:29.75 ID:JBRrK00e
牟田口第十五軍司令官は、果断の人だった。弱音を吐かぬ信念の人だった。
物量・兵員数の劣る我が軍による巧妙な用兵と作戦で英印軍を一時的にせよ、叩くのに成功したことは、我々日本人は記憶せねばならない。
十五軍隷下の各師団長の弱音も聞き入れず、果断、
決断、実行により、帝国陸軍の名を歴史に残した。
よく兵站を無視したと批判されるが、
司令官は、我が軍将兵の発奮を促すのに、
あえて食糧・弾薬を少なめに携行させたのだった。
このことはあまり知られていない。これは、司令官が
功に誇るような人物でなく、
謙虚な典型的帝国陸軍軍人だったからに他ならない。
印度独立運動の指導者チャンドラ・ボースは、後にこう言っている。
「彼(牟田口司令官)は約束を守った。
亜細亜の開放に貢献した。その獅子奮迅の指揮ぶりは、
東洋のカエサルと呼んでも過言ではない」と。
終戦後、牟田口司令官は、左翼勢力の台頭の為にあらゆる批判を受けることになった。
しかし如何せん、時代の弊風には抗えなかった。
赤誠な人ほど、不当な評価を受けることが多いが、彼がまさにそうだった のである。
312KB

lud20160928215433
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